モンスターと戦っていると思ったら自分がモンスターだった……みたいな話
そのモンスターの名前を承認欲求モンスターという。
人が承認欲求を口に出すとき、大抵の場合、その人物を見下すために使っている。
僕からしたら、承認欲求と人を馬鹿にしてる人も、「自分は人間の事を冷静に見る事の出来る人間です」と言う承認欲求アピールでしかないのだが。
そもそも人間なんて社会的な生き物なのだから、他に認められたり、他に褒めて貰うのが嬉しい生き物なのだ。
勿論例外は沢山あるが、それでも「特別な人に褒めて貰いたい」とか「自分の好きなところを認めて貰いたい」と言う場合を除外してもどれほど残るだろうか?
知らない男に美人と言われても嬉しくないが、彼氏に可愛いねと言われれば喜ぶとか、勉強出来ることよりもギターを褒められた方が嬉しいとか。
そう言う単なる条件づきの為に、観察されにくいと言う場合の方が多いだろう。
問題となるのは、結局ネットでのバズりの為に、無茶苦茶な事をする連中、仲間の間でのウケを狙う行為、示威行動……が問題になるだけだ。
否、著名人が生半可な知識で社会問題に乗り込んで、馬鹿を引っかき回したり、金持ちがSNS買い取ってサービスをぐちゃぐちゃにするとか、どっかの一流大学の学生がカルトにハマってテロ行為に参加するとか、会社の役員が「俺を通さずに決めるな」と関係ない事業に口を出したり……
馬鹿な若者が冷蔵庫に入るなんかよりも、よっぽど厄介で、解決不能な承認欲求を発揮する人がいるじゃないか。
どれほど著名になり、どれほど金があっても、自分のそう言う欲求を満足させることは不可能だ。
なまじ金と実行力を持つと、そのために色々と行動出来てしまう。
金の有無、社会的地位の高低は別にして、我々にできる事は、自分がそう言う欲求を持っていると自覚することだ。
そして、その上で自分のやろうとしている事が、正しい事なのかどうかを冷静に考えることだ。
勿論、承認欲求をポジティプに使うことなんていくらでもある。
慈善事業に寄付をするとか、ボランティアを頑張るとか、社会にも従業員にも顧客にもよい立派な経営をするとか、後進を育成するとか。
人々にポジティブに認められる、地道な方法は沢山ある。
ただ、簡単に注目を浴び、極端な人々に強く支持されると言う便利な方法の方が、光り輝いて見えると言うだけである。
承認欲求は特別なことでも、それ自体が愚かさを証明するものではない。
ただただ、己の愚かさ或いは賢さを拡大させるだけだ。
それをもう一度自覚したほうがいい。影響力の大きな人間ほど。
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