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西尾維新『掟上今日子の設計図』既読前提感想

「20XX年6月20日! その日は僕が、今日子さんに依頼をしてるんですよ! 不法侵入及び業務上横領及び銃刀法違反の濡れ衣を晴らしてもらっているんです! 忘却探偵のその日のファッションから必要経費込みの依頼料まで水も漏らさず覚えていますとも!」

 前作『掟上今日子の乗車券』以来、およそ1年半ぶりのシリーズ第12弾。あらすじを簡潔に述べると、

 『學藝員9010』を名乗る謎の人物が、動画内で立体駐車場の爆破を披露すると共に、町村市現代美術館の爆破を宣言する。
 それを阻止すべく、現場に向かうのは、優良警部に原木巡査、2匹の犬をパートナーとする爆弾処理班のエース・『両犬あざな』こと扉井あざな警部補らを擁する警察官達。更に、事件に巻き込まれた隠館厄介、掟上今日子も参戦し、『學藝員9010』との熾烈な攻防戦を繰り広げる。
 町村市現代美術館館長・町村市群ら美術館職員達とのいざこざも発生する中、彼らはタイムリミットの午後8時までに犯人を特定し、爆発を防ぐことができるのか。

 ⋯⋯といった感じ。
 警部視点と厄介視点の組み合わせは『裏表紙』で、一冊通しての探偵と犯人の対決は『色見本』で、既に行われているのだけど、今回はその2つの合わせ技のような構成となっている。警部、厄介、犯人の視点が組み合わさり、ひとつの事件を多角的に描く構成。
 全体の感想としては、「こんなの推理できるか!」というような真相の明かし方をしたかと思えば、やたらと巧妙に張り巡らされた、物語を彩る前振り伏線や、一文にさらりと真意を隠し含ませる様に唸らされるなど、幾度となく上手さを感じた一冊だった。


 以下、各キャラクターごとに焦点を当てる形で、物語の詳細に少しずつ触れていこうと思う。

 まずは隠館厄介。
 ひとつ前に『悲痛伝』を読んで、空々空という主人公を見ていただけに、より強く思ったことなんだけど、厄介は本当に、正しく怒れるというか、真に怒るべきときにこそ怒ることができる人間なんだなと感じた。聖人じみてる。
 真に怒るべきとき、なんて言えば、彼はもっと世界を恨んでいいような、それこそ今回の犯人と同じことをしでかしてもおかしくないくらいの災難に苛まれているのだけれども。

 このシリーズの長編は、特異な不幸や孤独を抱えたゲストが登場しがちで、そこが大きな魅力だと思っている。『遺言書』の逆瀬坂雅歌、『婚姻届』の囲井都市子、『裏表紙』の十木本未末など。逆に『旅行記』の矍鑠伯爵(最後に名前が!)や、『色見本』の誘拐犯あたりは、背景が不明で、不幸や孤独を描くってタイプの人物ではなかったので、その点において、彼ら自体の魅力はともかく、作品としてはやや物足りないところがあった。そこへ行くと本作は、個人的に長編に求めていたものが詰まった、かなり満足度の高い巻だった。
 話を戻すと、そうした厄介の真っ直ぐさ、芯の部分の歪みのなさが、ゲスト達との対比になっていると言えるのかもしれない。不幸は厄介の、孤独は今日子さんの、アイデンティティでもあるので。

 そんな彼の本作最大の見せ場であった、一番上で挙げた台詞、『學藝員9010』による偽りの真相を看破した際の一言は、彼らしいシュールさがありつつも、ストレートに格好良かった。
忘れる今日子さんと忘れない厄介、といった対比も、今回で強く示されたところである。

 
 次に、今日子さんについて。
 探偵としても、精神的な意味でも、彼女がここまで追い詰められたのは、シリーズが始まって以来だったんじゃないかと思う。檻の中でさえ、誘拐されてさえマイペースを崩すことがなかった、そんな彼女が、である。今回、特に一度記憶を奪われるまでの今日子さんは、彼女比でかなり調子が悪かったというか、その隙に付け込んだ相手が優秀だったのだけど、そんな状況下においやられても、彼女は最速の解決と、最善の結末を諦めなかった。最後まで推理を止めず、あらゆる手を打つその姿は、まさしく名探偵だった。彼女の行為には無駄がなく、必ず何らかの意図が内包されている。本当に、最後の最後まで、手抜かりがない。

 
 そして、そんな今日子さんを追い詰めた、『學藝員9010』について。
 この人の鬱屈した内面描写は、本作の読みどころのひとつだった。『ヴェールドマン仮説』のヴェールドマンに通ずると言うか。凄惨な背景を抱えながら、誰のことも恨んだことがないと述べるこの人には、ちょっとしたシンパシーを抱いたものだけど。誰のことも恨まないというのは、誰が死んでも構わないというのと、深いところで一緒なのかもしれない。

 そんなこの人物の、美術館破壊の動機は、こちらの想像を軽く超えてくるような、大掛かりな──それでいて美しさすら感じさせられるようなものだった。令和の『金閣寺』とでも呼ぼうか。ここで設計図というタイトルが上手く絡んでくる。タイトルまでミステリに収束する様が見事。⋯⋯それだけに、既刊で、『挑戦状』や『家計簿』みたいな、あまり内容と結ばれているとは言い難いタイトルがあるのが惜しいよなと思う。

 また、この人が予告を行った動画サイトで、爆破のそれよりも猫が戯れているような動画の方が再生回数が伸びたりしていることに関しては、世の中にはこれだけ、鬱屈とした苦しみを抱えた人や、危機的状況に満ちているというのに、世間はそんなことを知りもせず、或いは見て見ぬ振りをしながら、くだらないことに興じては平和ボケしている、といった悲哀を感じさせられた。それが、ラストで、だけどそうやって、皆が平和ボケできるくらいの世の中が案外一番なんじゃないのと優しく問い掛けてくるような、そんな味わいに変化する。

この世に正義があるとして、たとえヒーローがいるとしても、きっとこの物語はそれとは無関係のところで決着する。それはたぶん、愛とか、友情とか、そういうものだ。
(『悲鳴伝』)

 本作の物語の決着──『學藝員9010』の物語の決着は、上述の一節を連想させられた。たとえ名探偵がいるとしても。
 
 改めて、近年の西尾維新さんは、「当たり前の絆」だったり「当たり前の善意」のようなものを、変化球的にとは言え描くようになった、信じるようになったのかなと思うところである。いや、昔はそうじゃなかったかと言えば、そうでもないような気がするけど。
 連想したのは昨年ジャンプSQ.にて掲載された読切『たびたびデーモンストレーション』。以前記事を書いたけれど、あちらは、物語の主役の少女たちと、ドイツの学生達──特に名前が明かされたりもしないような、所謂モブキャラ達との、そういう絆を描いた物語だった。
 そして本作。優良警部や原木巡査、扉井警部補を除いた警察関係者や、町村館長を除いた美術館職員など、名前のない一般人については台詞すら描写しない様は、安定の西尾維新作品と言えるけれど、しかしその取り上げ方は、かつてにはないものだったように思う。   

 最後に、警察関係者について。
 優良警部、原木巡査、扉井警部補と、本作はこれまでに増して好感の持てる人物達で脇を固められていたように思うけれど、その中でも特筆したいのは、扉井警部補である。

 発売前に公式のあらすじを確認して、「火薬探知犬と盲導犬を左右に司る爆弾処理班のエース」などといった記載を目にしたときは、今回はなんだか随分異色だなといった印象を抱いたものだけど、しかし彼女、ある共通点から、美少年シリーズの主人公・瞳島眉美を前身として生まれた人物なんじゃないかと思う。

 『ザレゴトディクショナル』の言葉を借りれば、禁じられたクロスオーバー。⋯⋯もっとも、クロスオーバーは今や禁じられていないし、どころか両シリーズに関しては、既にコラボ済みだったりするのだが(『パノラマ島美談』収録『白髪美』)。
 まあ、それを言うなら、美少年探偵団は、忘却探偵シリーズの登場人物(登場団体)として予定されていたものだったと、コミカライズ版のあとがきで述べられていたりも。
 或いは、西尾維新さんとしては、『症年症女』のあとがきで述べられていたような、「でも、これを書いた以上あれを書かないわけにはいかないな」、といった心境だったのかもしれない。瞳島眉美を書いたからには、扉井あざなを書かないわけにはいかない、と。

 上述したある共通点とは、両シリーズを読んでいる方々には言うまでもないだろうけど、他にも共通点がふたつ。
 ひとつは、舞台が美術館であること。美術館は、忘却探偵シリーズでは、『推薦文』以来となった舞台だけど、美少年シリーズではそれ以上の回数で舞台となっていて、そこで犯罪が繰り広げられていたりもする。というか、『白髪美』がまさにその例に該当する。
 そしてもうひとつの共通点は、2人共に、素晴らしい仲間に囲まれているということ。


 以上。大変面白い一冊だった。元々『掟上今日子の五線譜』が予告されていた中、前回と今回の2回続けて、別のタイトルが来た形となったけれど、次こそは卜落島の事件が描かれることを期待して。
 後、忘れられていなければ罪悪館殺人事件の方も⋯⋯。

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