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西尾維新『人類最強のヴェネチア』雑感

「なんだよ。俺の臑ならもうないぞ」
 呆れたように旧警部がぼやいたが(帯も下駄も奪われれば、ぼやきたくもなるだろう)、しかし、臑はなくとも、そして救難ロープもウインチもなくとも、この土地には、いくらでもあって使い放題な自然の恵みがひとつある。島全体を取り囲んでいて、汲めども尽きぬ生命のスープ。
「もしかして⋯⋯、う──海?」
 アクア・アルタを起こすぞ。それも、とびっきり酷い高潮を。

 戯言シリーズ、人間シリーズ、最強シリーズと、同一世界線上で長らく活躍を続けている人類最強の請負人・哀川潤を語り部に据えた新作。
 彼女が語り部を務めるのは最強シリーズと同様なのだが、そちらは第4巻『人類最強のsweetheart』で完結という扱いで、こちらは最強シリーズに含まれないようである。

 違いを挙げるとするなら、最強シリーズは講談社ノベルスから刊行されている(その内、現在第2巻の『人類最強の純愛』まで文庫化済)のに対し、こちらは同じ講談社でもハードカバーで刊行されている。
 比較画像(↓)。サイズがかなり違う。

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(左:文庫 中:ノベルス 右:ハードカバー)

 物語の時系列としては、最強シリーズの直後に該当する(そもそも『人類最強のsweetheart』の巻末『人類最強のhoneymoon』で、本作に繋がる予告編が描かれている)。

 内容としては、宇宙人に月面探索、ホムンクルスなど、SF的題材を扱った最強シリーズから一転、凶悪殺人犯とも対峙するミステリとなっている──原点回帰。SFからミステリに回帰するのは、『sweetheart』収録の実質上の最終話『人類最強のPLATONIC』で行われており、その流れを汲んでの今回のお話であると言える。
 例によって、過去シリーズのキャラやワードが沢山登場しているが、物語自体は単体で完結しているので、この巻から読んでも問題はない(と思う。私はこの巻からの読者ではないので憶測だが⋯⋯)。

 あらすじを書くとこんな感じ。

 軸本みより(『人類最強の純愛』で哀川潤の相方を務めた少女。心理学の権威)が講師として勤務しているケンブリッジ大学のゼミ生達が、イタリアの水上都市ヴェネチアで、本来不可能とされている一筆書き(すべての橋を一度ずつ渡った上で出発点に戻ってくること)を成立させてしまった。その謎を突き止めるべく、ヴェネチアに向かうみよりと、それに付き添う哀川潤班田玲(『クビキリサイクル』以来の登場となる、「鴉の濡れ羽島」のメイド長)。しかし、彼女達が検証に励んだり、観光を愉しんだりするその裏で、水を使った犯行を繰り返す凶悪殺人犯・通称アクアクアが、水都を震撼させていた──。

 いわゆる「ケーニヒスベルクの橋」の検証と、アクアクアの正体、真相に迫るミステリ⋯⋯ということになるのかな。
 世界観が世界観なだけに、犯人の能力から人格までぶっ飛んでいるのだけど、いずれも「できる人にはできる」ということがちゃんと提示された上でのトリックにはなっているので、その意味ではフェアと言える⋯⋯のだろうか。

 本作は、推理小説であると共に旅行小説でもある。国内外を問わず頻繁に旅をしている、作者の旅行趣味が反映された内容と言えるだろう。
 「アクア・アルタ」「ゴンドリエーレ」「オテル・ダニエリ」など、舞台となるヴェネチアにまつわるワードが(戯言ワールドのワード以上に)頻出し、(私のような)地理などに詳しくない読者にはやや難解なところもある。見慣れぬ言葉の意味をググって、メモ帳アプリに記録しながら読み進めていた⋯⋯あれ? いつもの西尾作品じゃん。
 今回はやや特殊なケースだけど、難しい言葉が沢山あるのに引っかからずに読み進められるのは、やはり文章力なのかね。

 最強シリーズでは、潤さんの単独行動か、長瀞とろみや軸本みよりらとのコンビで活動する話が描かれてきたのに対し、今回はトリオでの進行となる。トリオというのは西尾維新作品全体でも珍しく(潤さん絡みだと『クビツリハイスクール』まで遡るだろうか)、かなり新鮮な楽しさがあった。軸本みよりと班田玲は、潤さんとはまた異なる芯の強さと長所を持っていて、潤さんの一人舞台になることなく、3人全員に見せ場が用意されているのも嬉しいところ。

 
 それから、本作を語る上で欠かせないのが、犯人役のアクアクアである。
 開幕早々、赤ちゃんはどうして母親のお腹の中で溺れてしまわないのかといった疑問から、妊娠中の妻の腹部を切り裂き、彼女の頭部を彼女自身の胎内へ折り畳むという、衝撃的なエピソードを打ち明け、更には、妻の死の真相を突き止めなければならないと使命感に駆られ、検証のために己の肉親を含む多くの人々(曰く、「協力者」)を殺し続ける──大真面目に。
 語れば語るほど、本人の中で思い込みが膨れ上がっていく──大切なものを失いながら、こぼれ落としながら、それでも平坦に突き進んでいく様は、戯言シリーズや人間シリーズの登場人物を含めてもトップレベルの凶悪さであり、しかしだからこそ、哀川潤の敵対者たり得るのかもしれない。
 超人の相手は凶人か。
 強くなり過ぎて、一時は請負人としての依頼すら禁じられた孤高の赤色にとって、自分と張り合える人類が未だ存在するという事実は、喜ばしいことでもあるのだろう。

 本作は、探偵サイド(潤さん)の語りの合間に犯人サイド(アクアクア)の語りが挟まれる、ダブル一人称形式の作品なのだが、前例と言うべきか、同作者の中で同じ形式のものとして、『ヴェールドマン仮説』が挙げられる。
 『ヴェールドマン仮説』の犯人であるヴェールドマンもまた、「布」を用いた犯行を繰り返す、印象深い凶人であるのだが(多彩かつ一貫性のある殺し技を持つ点で、アクアクアとヴェールドマンは共通している)、デビュー当初より一貫して異端者たちの物語を書き続ける作者だけに、その描写は徹底している。真に迫るというか。
 愛すべき異端とは言い難い、排除されるべき異端となってしまった、悲哀めいた存在である彼ら彼女らを、ありのまま、真摯に書き続けるところに、作者の本領が発揮されているように思う。

 ところで、本作と『ヴェールドマン仮説』の間には、もうひとつ共通点が窺える。
 それは原点回帰。先述した言葉ではあるのだが⋯⋯、ここで言う原点とは、戯言シリーズの第一作にして作家・西尾維新の処女作『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』のことである。

 『ヴェールドマン仮説』(記念すべき著作100冊目として刊行された本作が原点に帰るのは意味があると言えるだろう)は、様々な「持つ者」に囲まれた「持たざる者」を語り部に据えた点で、『クビキリサイクル』を継承している──令嬢の趣味により、様々な分野の天才達が召集された鴉の濡れ羽島に、天才少女の付添人(本人曰く付属品)として足を踏み入れた戯言遣いに対する、家族全員が「探偵」に関連する職業に従事する中、唯一無職である吹奏野真雲。

 対して、『人類最強のヴェネチア』における『クビキリサイクル』要素は、多数挙げられる。まずは潤さんがミステリに帰ってきたこと、鴉の濡れ羽島の住人である班田玲さんの再登場(最強シリーズの一編『人類最強のxoxo』では佐代野弥生さんが先に再登場していたが)、それから、舞台が島であることもまた、欠かせない共通点である。
 ミステリとしては、謎を解く探偵役のミスディレクション (『ザレゴトディクショナル』玖渚友の項参照)だったり、何者でもないという犯人の個性だったり、×××××トリック(ネタバレにつき伏字)だったり。
 何者でもない犯人に関しては、戯言シリーズではとうとう実現しなかった、潤さんとあの人との対決が、別の形となって本作で実現したと言えるのかもしれない──バックノズルとジェイルオルタナティヴ?

 
 最後に、本作は最強シリーズの各短編と同じく、雑誌『メフィスト』に先行掲載された小説になるのだが、本作が収録された『メフィスト 2020 VOL.1』では、長きにわたる休止を経て再開した同作者の『新本格魔法少女りすか』第十一話『将来の夢物語!!!』が同時に掲載された。
 戯言シリーズとりすかシリーズは、同時進行もしていた初期作品同士であり、りすかシリーズの主役を務める魔法少女・水倉りすかは、哀川潤のカラーを受け継いで生まれたといった縁が存在する(『ザレゴトディクショナル』参照。2回目)。そんな2人の主役が、再び同時に描かれたという事実には、私自身当時の読者ではないながらも、何か感じさせられるものがある。
 『ヴェネチア』と『りすか』の間にも、いくつか関連性が窺えるのだが、その辺についてはまた後日。

 というわけで、面白い一冊だった。あとがきによると、シリーズ化を目論んでいるとのことで、『メフィスト』のほうでは次回のタイトルが予告されているみたい(雑誌は購読しておらず、タイトル名までは拾えていない⋯⋯)。
 哀川潤の行く末を、再び見届けられれば。

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