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心を晒した先にあるもの。

なぜ、晒さないといけないのかと思うときがある。心の奥にしまいこんたデリケートな事柄をどうして不特定多数の人の目に触れる場所に晒さないといけないのか分からない。

そんなものを晒したら心がやられるに決まっている。

それなのにうっかり晒したくなるのはSNSのおそろしい側面だと思う。

だってあの人もこの人も自身の過去のトラウマを葛藤しながらも晒しているじゃない。葛藤しながらも晒せるって胸を打たれる。すごく勇気があると感じる。

勇気って何?

うっかり勇気だと思ってしまうよ。勇気っていうのはかっこいいことだから、じゃぁ晒すことはかっこいいってことになるのかな。

過去の傷を晒すことってすごく危険。晒したあと自分の心はどうなるの? 誰かのためになるかもしれない。同じような傷を持っている人が「私一人じゃない」って癒されるかもしれない。でも自分は? 晒すことで癒される?

結果的に癒されるならいい。でもそんな保証ないでしょ? 一か八かの勝負みたいなことをしちゃダメだよ。

と、自分に言っています。

下書きに誰にも言ったことがないことを書きました。もう何ヶ月も前です。それを読み返しながら、どうしてこんなことを書いたんだろうと思います。誰のためにこれを書いたんだろう。そしてなんのために削除できないんだろう。

今のネット時代の「がんばって晒しあおう」の空気になんとなく飲み込まれているのかもね。

言葉だと絶対に言わないのに、文章だとつい書きたくなっちゃう。

文章って怖いね。

文章の魔力だ。

だけどだからこそ、すごい文章が生まれることもある。

文章にすることで見えること、描かれる世界がある。他人が他人の心の奥底に触れることができる。

目の前で話している少数の人だけじゃなくて、それを必要とするたくさんの人に届けられる。


だけど心を晒すことには慎重にね。みんな無理しないでね。


#エッセイ #文章





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