見出し画像

無茶振り、ハプニングだらけの旅行が最高に楽しかった件:城崎温泉(後編)#秘境旅行 #一度は行ってみたい場所

金曜の夜から始まった、母との2人旅は「竹田城跡地で雲海を見て」「丹波鉄道に乗って天橋立を楽しむ」までが無事に済んだ。天橋立で綺麗な海と空と紅葉を満喫した私はかなりご機嫌だった。だがこの後、母はとんでもない行動をとる。車をレンタルするというのだ。「嘘でしょ?」と私は言った。母は「私も不安なんだけど今から行く場所、車じゃないといけない場所なんだよ〜」と言い出したのだ。

私が知ってる限り母が車を運転していたのは10年以上前だ。その後は「膠原病」を発症し、寝たきりになって、1年ぐらいは左手が全く使えなかった。この時期は本当に暗黒の時代だった。今は最新の薬とリハビリのおかげでかなり左手も回復し動くようになったが、いまだに左手の握力は3キロ弱、右手の30キロの3分の1も満たなかった。そんな母が運転って⁉︎ 母は呑気に「今なら運転できる気がするんだよねー」と言って、レンタカー会社に入っていった。すでに車は用意されていて、何も知らない若い定員さんは笑顔で出迎えてくれた。

まず最初に母は「ハイブリットって何ですか?」から始まった。10年前はまだ主流じゃなかった。「え、車のキーはボタンなの?」「あの、窓をふくやつって何でしたっけ?」「右に曲がりたい時に押すボタンはどれ?」「停車するときに押すのってなんでしたっけ?」定員さんの顔は青ざめていた。「このお客さんに貸していいものだろうか?」と思っていたに違いない。私なら貸さない。車の後ろにできる限りのシールを貼ってもらった。初心者マークだの、子供乗ってますだの、高齢者マークも…。同乗したくないが、乗るしかない私はトランクに荷物を詰めて、助手席に座った。神様…お願いしますよ…と祈りながら。

そこから1時間半はまるでジェットコースターに乗っている気分だった。母が「あー」「嘘」「ヤダァ」という度、ドキドキする。だいぶ日も落ちて、車線しかない山道をひたすら走った。トンネルに入ると明るいので安心するが、普通の道はほぼ真っ暗だった。反射板が見えるがそれが右側なのか左側なのかわからず、「きゃー、これ道どこ?」と母が叫ぶ。その度に「4ぬ」という文字が横切る。田舎道で煽り運転などはないものの、何かあるごとに「うわぁー」と叫ぶ母に驚かされる。それでも久々の運転に母は楽しそうだった。城崎温泉に到着するまでシートベルトを握り締め続けた私の手は強張っていた。最後、駐車場に車を停める時まで母は騒がしかった。

簡単に一言でいえば「城崎温泉は最高だった」辺鄙な場所にあるが、人気の観光地になる理由がわかる。私ももう一度来たいと思う温泉街の一つになった。私は漫画(アニメ)の「文豪ストレイドッグス」のファンだ。ゲームで第五人格とコラボが始まってすぐにお小遣いを叩いて太宰治の衣装を購入した。母は中原中也や室生犀星、宮沢賢治の小説が好きで、志賀直哉の本も家に揃っていた。その為か「志賀直哉の城崎温泉にての場所だよ」と聞いて、「あー、あの寂れた温泉街」とイメージしてた。実際に現地に到着したら、全く違う温泉街だった。大正ロマンを残しつつ、ちゃんんと改装されていて、ちょっとしたテーマパークに迷い込んだような感覚になった。

客層は老若男女様々だが、みんな宿泊所から受け取った無料の温泉チケットと地元買い物券を持って、旅館の浴衣と下駄を履いて、夜中の23時ぐらいまで、温泉街を闊歩する。下駄の音があちこちから響き川沿いの柳の下を団扇を仰ぎながら歩く姿は、撮影村のようだ。昔ながらの射的場もあったり、今時のタピオカ屋があったりお土産屋も夜中まで開いている。お祭りような雰囲気だ。私たち親子は3つの温泉に入り最後は足湯に浸かって、宿に帰った。

ふかふかの布団で寝て、近くの川のせせらぎを聴きながら眠りについた。今日は移動が多かったので爆睡した。よく寝たせいか、早起きした朝風呂に入って、美味しい和食を残さずいただいた。また、母の運転する車に乗るのは気が重たかったが、夜と違って安心して乗れた。昨日は真っ暗で周りが田んぼなのもわからなかったが、山の中に畑が広がっていた。母が車を急に止めた。「見て!!こうのとりだよ」この辺りはこうのとりを野生化させるため、畑を無農薬にしたりとかなりの努力をしているそうだ。白サギのようにも見えるが、お尻が鶴のように黒く柄がついていた。初めてみるこうのとり…。
色々、あったけど、今回の旅は最高に楽しかった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?