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ダメになる理由ばかり探している

一歩踏み出せない理由は、様々だ。
叱られるのが怖い。
批判されるのが怖い。
嗤われるのが怖い。
面倒くさい、と感じるのは、こういう怖いなど、自分の足枷になる言葉を選んでしまうからだ。
賞に応募したいのなら、さっさと応募すればいい。
何故躊躇うのか。結局のところ、上で述べた感情を大事にしてしまい、動かないで良い理由を作るからだ。
「自分には才能がない」と言えば、賞に応募することを諦められる。
否定的な他者の意見に同調すれば、賞に応募することを諦められる。
諦めたいから、他人の意見を大事にしてしまう。
「やってみなければわからないじゃん!」と口から出て反論するのは、本当は賞に応募したい気持ちが残っているから。
他者から否定されて傷つくのは、他人から向けられた刃のような否定言葉に立ち向かってしまうからだ。
立ち向かうということは、刃を受け入れるということだ。
刃を受け入れない方法は、相手が用意した土俵(舞台)に乗るな、ということ。その舞台は決して自分の為に用意されていないからだ。
相手が主役になるように、相手自身が気持ちいい・心地いいと感じるよう作られているから、相手以外の人間が入れば、その時点で自分の居場所はない。自分が輝ける場所は、そこでは得られない。

だから、相手からの挑発は買ってはいけないのだ。
自分の人生を大事にしたいのなら。

相手の土俵で一生自分の意見も見せ場もない人生を送りたい、というのならまったく構わない。
でも、そんな人間いるのだろうか。
誰しも、自分の意見は大事にしたいのではないだろうか?
自分の人生を、自分の思うように生きてみたいのではないだろうか?

だから、私のこのnoteはほぼほぼ受け入れなくてもいい。
私の意見を丸々受け入れるのではなく、私の意見を「参考に」しながら、あなたの力で、あなたの意思で、あなたの人生を歩めばいい。
他人の意見は、参考にする程度の気持ちで受け入れるのがちょうどいい。

私も、賞に応募しない理由は、めんどうくさいから。
他人に舵を任せているから。
でも、応募したい気持ちがあるのは、他人が一生自分の舵をとりつづけてくれるとは思っていないから。
いつかは自分で漕がないといけないのでは? という自分の思いがあるから。
他人が薦めてくれた進路を、他人の舵で進もうとすることより、自分の手で舵を掴み、自分が進みたい進路に向かって漕いでいきたいから。泳ぐでもいい。

そうするにはどうしたらいいか。
簡単な話。なにもわからないならまず自分の行きたい道を決めればいい。
そうして失敗したら、そのとき進行方法や進め方に問題があったのではないかと考え、軌道修正しながらまた進めば、確実に答えへ近づくことが出来る。
漕がなければ、答えに近づくことはない。
風が吹いたり波が荒れて動いたらたまたま答えへ近づくことが出来ることもある。
ただし、近づくだけでゴールはできない。
自分の行きたい道はいつだって、自分の力でしかたどり着けないからだ。
人生の荒波や強い風は、あくまで力を貸してくれる「アイテム」にすぎない。
だから、傷つきたくないのなら、ダメな理由を他者から受け入れるばかりではなく、考えて自分の力で動くしかないのだ。

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