大企業で役職定年となった直後に年収アップの好条件で転職できた秘訣とは?
「大企業」の「役員」、すなわち経営者になることは、そこに勤める社員にとって最高の報酬であると言っても過言ではない。このため、人事異動や賞与の査定など、サラリーマンにとって社内評価や金銭的対価を意味する他の指標よりも、「昇格・昇進」こそが、社員の最大の関心事となる。
この点、目立った失敗がなく、昇格年次に上司との巡り合わせが悪くなければ、(実際に部下がつくか否かは別として)「部長」の肩書を得ることはさほど非現実的な目標ではない。大企業でも同期の3分の1くらいが最終的に部長に昇格できるケースもある。
一方で役員となれば話は別だ。取締役の数は、東証上場企業の平均で1社当たり僅か8.28名であり、平均従業員数約2,500人に対する割合は0.3%となっている。(ちなみに、従業員数が最大のトヨタ自動車の役員数は23人で、全従業員数約75,000人の0.03%に過ぎない。)
「宝くじ並み」とまでは言えないが、「300人に1人(0.3%)」(トヨタ自動車の場合は「3,300人に1人」!)となることを目指すのは、あまり効率的とは言えない。
例えば司法予備試験のように、合格率4%(25人に1人)の難関試験であっても、合否の要因が全て自分自身に帰属するという公平性が認められるのであれば、狭い門戸の通過を目指して努力を続ける意味もあるし、また例え結果が思い通りにいかなかったとしても、残念には思うだろうが不満を抱くことはないだろう。
しかし社内の出世競争の場合、そうはいかない。大抵の場合、能力がなければ役員にはなれないが、(敢えて断言するが)能力があって努力をしても役員にはなれない可能性の方が高い。
そこには明らかに「運」の要素が存在する。
最も顕著な例が、人との巡りあわせである。「上司の引きで偉くなった。」「〇〇専務とのつながりで、初発(「同期の中で最初に」の意味)で部長になった。」などといった話が当たり前のように通用するのが、大企業における出世競争である。
そういう特別な人間関係に恵まれる幸運がなかった一般の社員は、(営業で好成績を出し続けていれば人事部の評価で部長くらいにはなれるかもしれないが、)普通は役員にまではなれない。
役員になれるか否かは、人事部ではなくその時点での役員による評価で決まる。役員による評価は合議ではなく、その役員の主観で決められるため、レポーティングラインの役員が、部下たる部長を役員に上げたければ良い評価を付けるし、そうでなければ平均以下の評価を付けるという形になる。
簡単に言えば結果ありきの判断だ。役員にとって部下である部長を「役員に上げたいか否か」の基準は、その部長を役員にしたときに、推した役員自身にとってプラスになるか否かという点が決め手となる。
このように、努力しても運が良くなければ報われないような目標を目指して、日々ストレスを感じながら精神を擦り減らすような努力を続けることが、生産的と言えるのか。
新卒から60歳定年まで勤め続けた場合、同一企業に38年間も勤め続けることになる。
日本人男性の平均寿命は約80歳なので、38年間と言えば、平均的な人生の半分くらいになる。定年が65歳に延長されれば人生の半分以上だ。
大企業に勤め続ければ、殆どの場合、経済的には人並み以上の生活を送れることにはなるが、それだけのために、二度とない人生の約半分を、ストレスに耐え我慢することに費やすことが、果たして幸福な人生と言えるのか。
運よく役員になれれば話は別だ。我慢に見合う対価は、役員就任期間中に元が取れてお釣りがくるだろう。上場企業の役員であれば、接待贈答を始め会社の経費で「おいしい」思いを存分に味わうことができる。ゴルフでも高級レストランでも、「自腹を切る」ようなことは滅多にない。多くの社員から敬意(大抵の場合上辺だけのものだが)を示され、スケジュールは秘書が管理。自宅から送迎の車が手配されることも珍しくない。
繰り返すが、運だけで役員になるケースも稀だが、能力のある人が努力しても、よほど運が良くなければ役員にはなれない。そして役員を目指して努力し続けた人の大半が、特別な運に恵まれることなく、失意の中で数十年のサラリーマン人生を終えることになるのである。
もちろん、役員になることだけがサラリーマン人生の目標ではないだろうし、「偉くならなくても好きなことができれば満足だ」という人もいるだろう。そのような人生観も立派だし、否定するつもりは全くない。
ただ、多くの場合、大企業は意図的に社員を出世競争に長い間晒し続けようとする。
社員が出世競争の中でモチベーションを維持し続けた方が、会社にとって都合が良いからだ。それに乗せられた多くの人が、「こんなはずではなかった」という気持ちでサラリーマン人生の終盤を過ごすことになる。
私は大手金融機関3社に通算で33年間勤務し、(半沢直樹ではないが)関係会社に「飛ばされた」(出向させられた)人や、肩書きだけは何となくは立派だがその実何の権限もなく、さらに言えば仕事も殆どなく、日がな「仕事をしている振り」をして過ごす「役員になれなかった人」の悲哀を傍目で見てきた。
一方、私自身は、40代で仕事を続けながらロースクールを修了し、転職でアピールできる程度に英語力を磨いて、役職定年となった初年度に56歳で資産運用会社に好条件で転職、それまで勤めた会社とは、規模では比較にならないものの、重要な権限を任され、ストレスを感じることなく充実した日々を過ごしている。
私は、大企業に勤める多くの人が、転職であれ起業であれ、キャリアの終盤に充実した日々を過ごせることを願っている。何よりそれが本人にとって幸せであるうえ、少子高齢化が進む日本の経済にとってもプラスであると考えるからだ。
そのためには、「社内の出世競争を勝ち抜くチャンスが未だ自分にもある」と信じている30代、40代の頃から、冷静かつ客観的に、労働市場で普遍的に評価される自分自身の価値を高めていく努力が必要である。(続く)
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