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生後11ヶ月になった娘を眺めて思う

娘の様子を日々観察していると、自身のこどもの頃の記憶がふっと舞い降りてくることが度々あります。

西日が差す午後のリビング。カーテンの隙間からこぼれて壁に現れた光のスジを掴もうと、小さな手を伸ばして目を輝かせている姿。
お風呂の時間。湯船の中で浴用スポンジを握りしめてぷくぷくと出てくる気泡の粒を不思議そうに眺めている姿。

大人なら気にならないような何気ない日常の風景が、こどもにとっては新鮮なことばかり。自分もこどもの頃同じように、生活の中の些細な風景や現象を不思議に思ったり、おもしろがったりしていたことを思い出します。

大人になるにつれて、いつの間にか、そういう好奇心が薄れていき、毎日を効率的に生産的に生きていくことに注力するようになっていました。
出産し育児が始まってから、人間の成長や本来持っている好奇心を、娘を通して目の当たりにし、自分自身も人生をはじめから生き直しているような感覚があります。

ニコニコと嬉しそうに、私の方へやって来て膝の上や腕の中に飛び込んでくる娘。この子は今、私のことを疑うこともなく、無条件に信頼し愛してくれている。

幼少期には親のことを全能だと思っているけれど、思春期になれば親は自分のことを何も理解してくれないと感じ、親元を離れ一人暮らしをはじめると次第に親のことを気にかけることは少なくなっていくのでしょう(私自身がそうであったように)。

親もまた全能ではなく不完全な一人の人間であり、たくさん悩んだり苦しんだりしながら、大きな愛情で私を育ててくれたのだと、自分が親になり身を持って思い知る日々です。

自分自身が親から受けた愛情を、次はこの子につなぐ番。
娘が親のことを普通の人間なのだと理解するまでの短い時間だけでも、
「私の親はかっこよくて、おもしろくて、何でもできて、最高にイケてる。」そう錯覚できるよう、今はたっぷりと愛情を注いで育ててあげたい。

育休終了まであと一ヶ月、毎日変化していく娘の成長の瞬間や、今しか見られない輝きを見落とすことがないよう、残された時間を大切にすごしていこう。

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