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機能不全家族(母のこと④)

私が中学生にもなると、母はほとんど家にいなかった
中学校はお弁当だったのだけど、作ってくれたことはない。

私も気を使って購買でパン買うからいいよ。といった。
中学生で毎日パンだけなのはクラスで私一人だけだったけれど。。
お友達のかわいいお弁当が羨ましかった。
自分で作ろうとも考えたけど、危ないからという理由で台所に
入ることは許されなかった。

その頃には同じ家に住んでる祖母と父・母は会話はなくなり、
ご飯も別々、完全に家庭内別居の状態だった。
私も耳も遠く眠ってばかりの祖母に、私もなにをはなしかけてよいのかわからなくなり一緒に住んでるのに祖母は孤独だったと思う。
ごめんね、おばあちゃん。

その頃母の不倫相手は絵描きさんのようだった。

母をモデルにして絵がたくさん送られてきていたし、ラブレターも見てしまった。
当時ティファニーのハートのネックレスが流行っていて、家には
ギフト包装されたティファニーの箱がたくさん。

離婚も近いのかなと思ってたのに、なぜか離婚しなかった。
父とも母ともうまくいってないのに離婚しないのが不思議だった。

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