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五井野博士と男の子の話

お客様が浮世絵をより楽しめるよう、時々、展示浮世絵の説明をさせていただきます。
季節の変化に合わせ好きな絵を展示させて頂いてますので、説明も学術的な堅苦しいものではなく、かなり主観的です。
気楽に観賞して頂ける手助けになれば幸いです。
最初ですので、私が印象深かった、過去の展示した浮世絵から紹介させて下さい。

源氏絵:若紫年中行事の内 水無月
絵師:歌川豊国(国貞) 
年代:1847~1852年の間(弘化四年~嘉永五年)
源氏絵:薄紫曙にしき 春の宵船の遊
絵師:二代 歌川国貞)
年代:1854年(安政一年)

友人から聞いた、友人の小さな息子の話です。
友人一家が会合で五井野博士と同じ旅館に宿泊した朝の出来事でした。
いつもは遅い博士がその日は朝食前に起きて来られ、博士から友人に声を掛けたそうです。
「3歳ぐらいの男の子がいるか?私の夢の中に出てきたんだ。
船上パーティーでその子から握手を求められたのに忙しくて握手できなかった。握手しないとな。」
とても驚いた友人は、小さな息子を連れてきて博士に向かわせました。
すると、博士は「握手出来なかったな。」と友人の息子に話しかけ、博士の方から手を差し伸べたというのです。
息子もまっすぐ博士を見上げ素直に手を差し出し握手しました。
博士は、普段は早起きではありません。
「こんなに朝早く起きて来ることはないんだが、今朝は早起きして握手しないといけないと思ったんだ。握手できて良かった。」
と言い、そして握手後に一言、「この子は、力があるぞ。」
博士はすぐに部屋に戻られた、と友人。
その後、友人は遊んでいた息子を呼んで、昨夜どんな夢を見たのか尋ねたそうです。
3歳の息子は、「大きな船に乗ってた。人がいっぱいいたよ。」と父親に話しました。
まさに同じ日に同じ夢。
彼は、鳥肌が立ち、あの時は暫く何も考えられず呆然としていた、と語っていました。

その話を聞いた私もまた驚きました。
博士が小さな子にそのような気を遣われたことなど今まで聞いたことがなかったのです。
それも身近な人に起こった出来事なんて。


船には時空を超えるイメージがあります。
ゴッホも船をその様に描いているように。

生涯独身であったゴッホが唯一家族の幸せを感じたのは、ハーグの屋根裏部屋のアパートで、娼婦をしていたシーンと彼女の2人の子供と4人で生活したほんの短い間でした。
ゴッホは弟テオに宛てた手紙で、そこを「船倉と同じ」と表現します。

「シーンは何を見るにつけ、一切について上機嫌だったが、とりわけ幼児ベッドや安楽椅子にね...(中略)この手紙を書き始めたのは昨夜だ。
そして今、僕ら‐つまり女と子供 2 人、それに僕だが‐は大きな屋根裏部屋で一夜を過ごしたのさ。
寝室はまるで汽船の中の船倉と同じだよ。」(書簡 215 ハーグ 1882 年 7 月 16 日)
そう、シーンはゴッホの家に最初に来たときに、先ず「ゆりかご」と安楽椅子に喜び、それからゴッホとシーンの家族の記念すべき出で立ちの夜はまるで船に乗って人生の船出をするような一夜だったのである。

その船倉のような部屋でシーンは赤ん坊をあやす為に子守歌を歌う。

ゴッホにとって、その歌はいつのまにか一生忘れる事が出来ない心の歌となっていたはずである。

五井野正著「第三部」の原稿より

経済的支援者の弟テオによって、ゴッホは娼婦であったシーンと別れることになります。
しかしゴッホにとってシーンは生涯忘れられない女性どころか、浮世絵の国日本に生まれ変わって添い遂げたいと願うようになります。
その所信表明がパリ時代の1887年の「雨中の大橋」や「花魁」など、油彩で描いた浮世絵作品なのです。

ゴッホ画 -雨中の大橋-
ゴッホ画 -花魁-

五井野正著「ゴッホの『向日葵』の復活」第二編に、ゴッホが浮世絵を描いたこれらの作品の詳しい説明があるので、ここでは控えます。
大橋の下の小舟(筏-いかだ-)は、ゴッホ達が彼岸(日本)へと渡る大橋を横軸とするなら、その橋に対し縦軸の様な川を、ゴッホ達が橋上を歩くよりも遥かに速く、まるで時空を超えるように上流へ移動します。
その小舟で日本へたどり着くストーリーが、「花魁」の周囲にはまるで紙芝居のように左から上、右へと時計回りに描かれています。
2羽の立ちんぼの鶴が一艘の小舟に乗って竹の国(日本)へ行く、と。
これらのパリ時代の作品がゴッホのシーンに対して抱いていた心情、というのです。

ー歌川正国(五井野正)画「文字解き雨中の大橋の上のゴッホ」エルミタージュ美術館展示作品
アルメニア共和国所蔵

シーンと時空を越える舟に乗り日本へ生まれ変わりたい。
しかし、アルルでのゴッホの小舟は、横倒しになり、水が入ってしまうのでした。

ゴッホ画 -洗濯女のいるアルルのラングロワ橋-

かたやその男の子は、夢の中でいとも簡単に、博士と一緒に船に乗ったのです。
それも小舟ではなく大きな船に。
どんな世界を旅したのでしょう。
私はその子を想い、上の浮世絵を展示しました。
勿論2人が乗ったのは展示した浮世絵のような舟ではありませんが、絵のようにまるで別の星のような、とても美しい世界へ行ったのだろう、と私は思ったのです。

ゴッホの理想世界が江戸時代の日本ならば、源氏絵に描かれる世界は、ゴッホの理想とする江戸時代の日本人がさらに理想とする世界なのです。

駒ヶ根は今夜も満天の星空です。
博士の乗った大きな船はたくさんの人を乗せ、天空をその上流へと遡っているのでしょう。

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