墓参り
GWも終わり、明日からは通常通りの診療が始まります。
3日の日は父親の命日でした。
亡くなったのは6年くらい前になりますが、生前から春の彼岸は雪がお墓に残ってるので、GWのあたりにいつも父と墓参りをしたものでした。
父は知ってのとうり孤児でしたので、墓参りと言っても、実の両親ではなく育ての親という状態でした。
そのころの僕は、その墓参りを父に言われるから仕方なくいくだけで、どうせ生んでもらった親ではないのにと思いながらいました。
なんと愚かな考えだったのでしょう。
父の思いを考えたらそんな事を思ってもいけなかったことでした。
父は孤児で6歳前後に渡邊家に養子に入ったことになります。
戸籍もなかった父に初めて戸籍というものができたわけです。きっとうれしかった事でしょう。
その後、10年たたずに育ての父親が亡くなり、16歳で父は母とまだ小さい弟の面倒を見なければいけなくなったのです。
働きながら、高校を出て大学に行った父の苦労はきっと僕では計り知れない事だと思います。
それでも勉強が好きで勉強することを義務だと思っていた父は大学まで一人で出たのですからすごいものです。
今と違って、福祉制度も満足ではなかったはずです。
苦労は今の比ではないでしょう。
滝野霊園のお墓に行き、線香をあげてしばらくいろいろな事が頭をよぎります。
母のことや今後の母の生活のことなど考えていました。
ふと隣のお墓を見ると、墓誌が書いてありました。
生前の父と、隣のお墓の墓誌のことを話ししたのを思い出しました。
自宅と違って、隣といってもどんな人なのか、お会いしたこともありません。
ただ、墓誌に書いてあるおそらく残ってるだろうとおもわれる奥様を思い、父ときっと一人残ってしまったんだろうねと言っていたのです。
美しく四季の流れるこの里に、やすらかに眠れ、わが夫よ、子よ。
父と二人でだまってこの詩を読み、ただ眺めていました。
読まれることなどきっとあるとは思っていないその詩を。
時の流れはあれから10年くらいでしょうか・・・その昔、母と父と3人で来た墓参りも、とうとう3人のうち二名はこれなくなりました。
いつか、この墓参りも終わることでしょう。
そう思うと切なさが募るものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?