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リアコとアクセと他愛もない話

※このnoteに出てくる「推し」は以下のnoteで取り上げた人と同一人物です。先にこちらを読んだ方がもしかしたら分かりやすいかもしれません。
※ワンチャン身バレする可能性も無くは無いのですが、もしこれを読んだあなたが私のリアル知人だったとして「もしかして…」と思ったら、私に対しても推しに対しても、そっとしておいてもらえると嬉しいです。ここは趣味の場なので…。
※途中で有料になりますが、無料部分だけで完結はしています。



推しがいつも身につけているピアスがある。シルバーの、シンプルなデザインで、少しやんちゃそうな彼によく似合っているピアス。
時折、「今日着けてくんの忘れてん〜」と言っている時もあったが、私が知る限りはほぼ毎回着けている。

私自身は「推しと同じものを身につけたい」というより「推しのメンカラやモチーフを身につけたい」タイプのオタクだったので、いわゆる「お揃い(風)」のモノを身につけることは今まで無かった。
ただ、現場に来る同担の子が、彼と同じようなピアスを着けているのは、ちょっとだけ「良いな」と思っていた。めちゃくちゃはっきり言うと羨ましかった。


推しと出会ってそろそろ2年が経つ。2年前よりずっとずっと好きになっているし、願わくばずっとずっと応援していたい。でも最近、それだけではない自分がいることも自覚していた。
リアコ。あるいはガチ恋。絶対になるまいと思っていた人種になってしまった。


リアコとは「リアルに恋している」の略で、ジャニーズのアイドルやイケメン俳優、声優、ユーチューバー、アニメ、マンガに登場するような2次元の男性キャラクターなど手が届かないような存在の「推し」に真剣な恋心を抱いてしまってしんどい状態を指す言葉。

Weblio辞典

ガチ恋とは、「ガチの恋」、すなわち、冗談めいた意味合いではなく真剣に恋愛感情を抱いた様子を述べる言い方。とりわけアイドルやタレントに対して、また最近ではVTuberなどのネット配信者に対して、ファンの域を超えて本気の恋愛感情を抱いてしまった状況を指して用いられることが多い。

Weblio辞典

別にリアコもガチ恋も悪いとは思わない。が、それはあくまで「他人が推しをどう推すか」の話であって、自分の話となるとまっぴらごめんだ。
私なんかがガチ恋なんて、推しにただただ申し訳なくて。推しに激重告白をしようとしては辞め、勝手に同担に嫉妬しては自己嫌悪に陥り、「chu♡こんなオタクでごめん」と枕を濡らす夜もある。だいぶ重症のオタク兼リアコである。


もちろん推しは私のそんな感情を知るはずもなく、笑顔を振りまいて、パワフルな歌声とパフォーマンスで、私のことも皆のことも夢中にさせる。その度に「全人類推しのファンになってくれ〜〜〜」と「私だけ見てくれ〜〜〜」がごちゃ混ぜになっては、リアコに理解のある友人に泣きついている。

推しが幸せでいてくれればOK!と思う反面、少しで良いから私のことを見てほしい・あわよくば意識してほしいなんて、「恋」じゃなければこの感情は何なんだ。オタクとしての自分とリアコとしての自分が常に板挟みで、正直つらい。
推しのことは間違いなく好きだし、それは今後も揺らぐことは無いと思いたいが、それはそれとして嫌いになれたらどれだけ楽だろうかと思うこともある。私も好きでリアコになった訳ではない。


ぐだぐだと色々書いたが、時は先日のこと。リアコに理解のある友人と遊んでいた時に、推しの写真を見ながらふと「推しとお揃いのピアス(イヤリング)欲しいな…」と思った。というかそのまま口に出ていた。
「ええやん、買お」と件の友人。「いや流石に…」と尻込みする私。

実は少し前に似たようなイヤリングが無いか調べたことがあった。その時はこれといったデザインが見つからなかったことや、流石に気恥ずかしさが勝ってそのまま開いていたページをそっと閉じた。
「オタクが推しと勝手にお揃い風にするのはちょっとヤバくない?」「私シルバー似合わんし」「推しに何て思われるか、」とあれやこれやと理由をつけて逃げる私に、友人が一言「好きならとことんやり切れ!」と喝。

本当にとことんやり切ってしまっては推しに迷惑を掛けかねないが、よく似たイヤリングを着けるくらいは許されても良いんじゃないだろうか。
でも推しはどう思うかな。勝手に自分が着けているものと似たようなものをオタクに身に着けられるの嫌じゃないかな。と、ずっと気持ちが揺れ動いていた。


そもそもこんなに悩んでいるのは、推しがどう思うかだけじゃなくて、それが自分に似合うと思えないのもあった。
自問自答ファッションに足を踏み入れてから、自分の「好き」や「似合う」を深堀りして、自分の「かわいい」と向き合って、ひとつひとつのアイテムを文字通り吟味して…ということもあって、正直「推しが着けているものと似てるから」という理由だけで買いたくはなかった。

私が「好き」で「似合う」アクセサリーは、どちらかと言えば派手で、少しクセのある可愛さのモノ。色はゴールドかピンクゴールドの温かみのある色がよく似合う(と自分では思っている)。
対して推しが身に着けているピアスは、シルバーの、本当にシンプルなデザインのモノ。男性が着けやすい、という意味ではそれを選ぶのも納得だな、といった感じ。だが、私の「好き」からも「似合う」からも外れている。

(やっぱゴールドのが似合うよな〜…)と、お店の鏡の前で悩む。インターネットである程度目星をつけて、某格安アクセサリーショップに似たようなデザインのイヤリングがあることを確認し、実店舗まで赴いた。件の友人からは「ゴールドでも色違いみたいになって良いと思う」とは言われていた。
が、本当に私は「色違い」で良いのか?

ここまで読んでくださって、勘の良い方ならお気づきになるだろう。私の中で選択肢が「買う・買わない」から「シルバーにするか・ゴールドにするか」になっていることに。正直、友人からの「好きならやり切れ」の言葉にだいぶ救われているのと、この2年間推しから服装やアクセサリーその他諸々褒められたことはあれど、苦言を呈されたり顔を曇らせたりされることはなかったから大丈夫じゃないかと思い至った。大丈夫じゃなかったらその時はその時だ。

明らかに似合っているのはゴールドの方だが、お揃い風にするならシルバーだ。元々のデザイン的にも決して私に似合うものでもなければ、コンセプトに合うものでもない。ぐるぐると店内を無意味に歩き回る。好みのデザインのアクセサリーを手に取ってみたりもする。それでもどうしてもシルバーのあのイヤリングが気になる。



「推しと同じものを身に着けたい」という感情が今までよく分からなかった。推しと同じものを身に着ける人は、推しになりたいんだと思っていた。「推しと同じものを身に着けたところで推しになれるわけではない」と思っていた。
そういうことではなかった。推しになりたいわけじゃなくて、推しにそばにいてほしかったんだと気がついた。

勿論、「いや推しになりたいから身に着けてますけど…」という人もいると思う。あくまで私がそう感じたことだと思っていてほしい。

推しを感じられるものを身に着けることで推しがそばに感じられる。いくら距離感が近い界隈と言えど、決して友人にも恋人にもなってくれない彼を、少しでもそばに感じたかったんだと気がついた。

きっとレジをしてくれたアクセサリーショップの店員さんも、街行く人も、どういう気持ちで私がこのイヤリングを買って、着けているか知る由もない。それどころか推しも知ることはないだろう。

今日も私は推しとお揃い風のイヤリングを着けてライブに遊びに行く。


※ここからは有料です。実際購入したイヤリングの写真と着画+完全な蛇足話を載せています。


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