ハチ

飼い猫が死んだ。名前はハチ。

出会いは2018年の7月30日。
何となく外が騒がしいような気がして部屋からでたら、家族で仲のいい友達のお母さんがちっちゃい子猫を抱いていた。キジトラの縞模様が目に飛び込んできた。
職場に1匹でいたところを、どうしても見過ごせなくて連れて帰ってきた。でも家には犬がいて、夫も病気で猫がさわれないからと、とりあえずうちに連れてきたそうだ。うちはいつも動物で溢れてるから、里親を探すのと預かってほしいのとで、その日私の家に新しい命がやってきた。
その数日後に病院に連れていった。
メスで生後約3か月、体重はわずか450グラムしかなかった。誕生日は4月15日になった。

お母さんは里親探しを始めた。その横で私はどうしてもうちで育てたいとお母さんに言った。

結局、どうしても欲しいという人がみつからなかったのと、私だけでなくお母さんもメロメロになっていたのではれてハチはうちの子となった。

外で農作業をするおばあちゃんとおじいちゃんにじゃれて邪魔をして、ハチが来る少し前から居候してた茶トラのおじいちゃん猫にちょっかいをかけて、木を登っては降りれなくなったり縁下に潜っては出れなくなったり、小さい頃は結構やんちゃだった。
それでも夜一緒に寝る時は大人しくて、人間が布団に入るとすぐに潜ってきて、私たちの顔か首を枕にして、ぐるぐるいいながら寝る。
その鳴らした喉と、感じる体温が何とも幸せだった。

やがて4月がきて1歳になり、ハチも少しは落ち着いてきた。それが寂しいような嬉しいような...でも私は計5個のイヤフォンをかじって使えなくされたので少し嬉しかったかも。

ハチが1歳になる少し前、私はお母さんとお父さんと3人で引越しをしていたので、私は定期的にハチ不足になりハチに会いにおばあちゃんちに通っていた。
夏休みもおばあちゃんちに入り浸って、おじいちゃんの膝の上がすっかり定位置になったハチを最高に愛でた。

ハチは人見知りを全くせず、初対面の人の膝で寝ちゃうくらいなので皆から愛されたが、特におじいちゃんの溺愛っぷりはすごくて、しょっちゅうハチを膝にのせて「ハチはかわいいな〜ハチはかわいいな〜」と言っていた。私はそんな楽しそうなおじいちゃんをみるのが好きだった。お兄ちゃんも私も皆引越しちゃったけどハチがいるからじいは寂しくないね、ハチがいてよかったねとよく皆で話した。
おばあちゃんもいつもハチを愛おしそうにみていた。
ほんとうに幸せな空間だった。

年越しもおばあちゃんちで終えて、冬毛でもふもふなハチと一緒に寝た。携帯のカメラロールのハチの写真はとうに800枚をこえていた。

今週の月曜日(1月13日)に、用事があっておばあちゃんに電話した。その時におばあちゃんからハチの具合が悪くて病院に連れていったということを聞いた。
色んな検査をしてもらって、点滴と薬をいれてもらったらしい。ハチは去年の9月頃に外耳炎なるものにかかっており、病院に連れて行って薬をもらって飲ませていたが、どうにも治らず慢性的になっているようだった。しかし何となく治ってきているような感じだったので安心していたちょうどその時だった。
12日におばあちゃんちに行ってその時にハチに会ったが、なんとなく悪化しているような気がして、買ってきたおやつにも見向きもしなかった。どこかおかしいとは思ったがあんまり気にしなかった。
だから具合が悪いと聞いてやっぱりそうかと思った。でも病院行ったんなら大丈夫かなと安心した。

次の日の朝、おばあちゃんから電話がきた。
「ハチが駄目かもしれない」
そう頻繁におばあちゃん繰り返す。
とりあえず病院連れて行ってねといい、学校にいった。
でも正直学校どころではなくて、10時頃におばあちゃんに電話をかけてみた。どうやら入院することになったと。
その日にハチのお見舞いにいった。
ぐったりしてて覇気がない。あんなに元気だったハチがここにいるということが不思議でしょうがなかった。おばあちゃんが朝よりは元気になったと言うのを聞いて少しほっとした。
その次の日もハチを見に行った。
やはりぐったりとしていたけど、お昼は頑張って顔をあげてたんだよとお医者さんに言われた。
そこで詳しく話を聞いた。

内耳炎という症状で犬にはよくあるのだけれど、猫は珍しいから医者の私たちでもどうなるか分からないと。でも薬がきけばよくなるはずだからと言われた。

ばあちゃんと、明日はうちに連れて帰ろうと話をした。だめでもうちで看取るため。
でも正直私は治るもんだと思ってた。ぐったりはしてるけど、薬をずっといれてるからだと思った。

そして今日、ばあちゃんとまた病院にいった。入るとお医者さんがでてきて、「ハチちゃんさっき死んじゃったの」といった。
え?と聞き返すのが精一杯で、思考が追いつかなかった。
少しして死んだと理解してから涙が溢れてきた。
泣いて泣いて泣いて、まだあったかいハチを抱っこして帰った。ハチはまだふにゃふにゃで、寝る前にハチを抱っこして部屋に行く時とおんなじ感触だった。

車の中でハチを抱っこしながら、ばあちゃんと信じられないと口にしながら泣いた。

家に帰っておじいちゃんにハチの亡骸をみせた。おじいちゃんが初めて声をあげて泣くところをみた。

ハチって呼ぶと畑までかけてくるんだよ。
とことこきてばあちゃんにすりすりしてね、
ばあちゃんはすごく懐かしいように話した。

急だったね、元気だったのにね、そうハチを囲って話していることが嫌だった。ハチがもう動かないということが1番嫌だった。
ハチがいる日常が当たり前すぎて、今が現実なのかよく分からなかった。そして夢であってほしかった。

お母さんと写真を見せ合いながら、この写真がかわいいこの寝相が面白いと言いあった。ハチのお腹をなでる感覚を思い出して、また涙が溢れた。ハチの存在があまりにも大きすぎた。

大人になっても2キロちょっとしかなかった。
小さくてほそくて甘え上手で、かわいいかわいいハチ。

私たちにはまだハチが必要だったのに
心の準備なんてできてないする必要も無いと思ってた

どうにか、どうにかハチが戻ってきてほしい。
なんでハチなんだろう。

まだ2歳にもなってなかったよ。

今までありがとうなんてまだ言えない。
ただただかなしい。

この思いを忘れるなんてありえないけど、いつかは忘れてしまうだろうから文字に残した。

ハチ、ハチ、ハチ、かわいいハチ

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