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奈良美智 ここから

青森県立美術館で開催されていた『奈良美智 The Beginning Place ここから』には行けなかったのですが、現地に行かれた知人の方がお土産にカタログを買って来てくれました。(涙)
青森県立美術館の買い物袋も素敵です。

カタログで作品を眺めていると、《くまは夜行性》(1996年)という、幼き日のエピソード交えたドローイングがありました。

始めて家を出たのは6歳のとき 
台風が東北地方をおそったあとだ。
単線電車の終点の温泉町へいき
かえりの電車の中で、ほどうされた。
中央駅まで母親が、むかえにきていて、
家にかえってからは父にしかられた。
僕はずっと父に背を向けて本だなをみながら泣いた。

奈良美智 ここから

台風の後に、6歳で電車に乗って終点まで行って折り返したと。ひとりで乗った理由も謎ですが…

年末に読んだ「奈良美智 完全読本」でもドイツ時代、日本から離れて一人でいることで初めて自分と向き合えて子供時代を思い出したとあったので、その時の作品でしょうか。

カタログに掲載されている、奈良さんと蔵屋さん(横浜美術館館長)の対談でも故郷について触れてます。

ドイツでは言葉が話せなくて人とコミュニケーションがとれなかったから自分自身と対話する事が増えていった。すると、自分の感覚や感情が大人になってからではなく、あるいは10代.20代の頃に読んだ本でもなく、学校で教わったことでもなく、子どもの頃に自然に培われたものからできあがっていることに気がついた。

奈良美智 ここから

新しい何かを得るために東京に出て、愛知に行き、更に離れたドイツに辿り着き、そこで自分の感性は故郷での子供時代にできあがっていた事に気付く。

今回の展覧会のタイトルでもある『ここから』『The Biginnibg place』にも繋がります。

対談の最後には作品サイズとコミュニティについて独自の考えを述べられてました。

小さくなると守ってもらえるという安心感があるんだと思います。コミュニティも小さくなればなるほど守られている感じが強くなるし攻撃されない。
大きくなるほどコミュニティ内での攻撃も増える。そういう意味では自分のサイズを小さく感じられるようにすることには何か意味があるのかもしれません。

奈良美智 ここから

奈良さんの作品には可愛いさやチクッとする痛みを感じる事がありますが、通底しているものに“安心感”があるのかなと。
誰もが求めているものだし、だからこそ多くの人が奈良さんの作品に惹かれてしまう。

現地にはいけませんでしたが、若き日の奈良少年の過ごした日々に思いを馳せました。やっぱ行きたかったなー。



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