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平熱日記_2024年 4月

某月某日
某全国会議参加のため、横浜パシフィコへ。
帰途、横浜美術館でトリエンナーレ展を覗く。無料エリアのみ。美術館は丹下健三の設計だとか。重厚である。
崎陽軒の蟹シュウマイを買って帰宅。

某月某日
昨年末から色川武大ばかり耽読している。きっかけは昨年秋に吉祥寺よみた屋で買った「怪しい来客簿」だったのだが、なにかその時の心情と重なってしまったのか。読了したものを順不同であげてみると「生家へ」「引越貧乏」「離婚」「なつかしい芸人たち」「怪しい交友録」「あちゃらかぱいっ」「喰いたい放題」「無芸大食大睡眠」「寄席放浪記」「色川武大・阿佐田哲也エッセイズ1,2」細君の「宿六・色川武大」伊集院静「いねむり先生」などなどである。

そして本来は最高傑作ではとみなしている「狂人日記」と「百」に挑む予定だったのだが、なぜかここにきてカフカ、2001年白水社刊行の「カフカ小説全集全6巻」に俄然興味がわいており、ネット通信で5冊を注文し、あとは読むだけという状況になっている。
この真逆の読書路線変更に関しては後日。

某月某日
今年の桜はよい桜。実に晴れやかに咲いている。柳瀬川沿い、黒目川沿いなど、自宅近くの名所を散策して楽しむ。先週の日曜は川越の喜多院を訪ねる。徳川家ゆかりの寺院で江戸時代から花見の名所だったとのこと。主に家族連れがビニールシートを敷いて花見を楽しんでいる。派手ではなく会社がらみとか学生のバカ騒ぎ的な感じもなく、家族的な感じで、見ていて懐かしい感じがした。桜木もあまり背が高くなる、落ち着いた感じ。
仮設の花見茶屋も出ていたが、昨年夏に見つけて気に入った居酒屋大吉に行ってみると、突然の閉店であった。川越の長い商店街を歩くが、居酒屋はチェーン店しかないようだったので、チェーン店で少々飲んで帰る。

某月某日
明日は朝礼の当番なので発表内容を考える。テーマはクレドについて自分事として語る。私の明日の担当は「挑むが勝ち!」
先日読んだ「いねむり先生」のサブローに対するIさんの言葉をもじろう。
小説はもう書かないかと問われたサブローは、
「ボクはやめました。(中略)才能がまるっきりありません」
「才能なんて必要なのかな」
「一番大事なところじゃないんですかね」
「そうかな……ボクはそうは思わないな。必要なのは腕力やクソ力じゃないのかな」
 (伊集院静「いねむり先生」)
クソ力というのが実に良い。
つまり小難しい理屈をこねたりして、あるいはプライドが邪魔をして足が前に出ないときに、背中を押してくれるような言葉と感じたのだ。
「クソ力」いい言葉である。

某月某日
会社で依頼されて、役員ブログ「これが人生の正解だ!」を12月から書いている。監査役の仕事をはじめ管理業務全般を面白おかしく書いているのだが結構好評で、「ファンです」などと声をかけられることもあるのだ。
ブログの中に画像を挿入し、ややシュールなコメントを添えるのだが、これが結構好評なのだ。
例えば新宿中央公園で少し奇妙な雲を撮影したのだが、そこに「それが雲だと、君は妄信しているわけだが?」などというコメントを添える。
手法としては「ロシアフォルマリズム」に近いかなと思うのだが、衒わずに言うならば文学なのだな。

某日某月
色川武大「ばれてもともと」読了。最後の雑文集というべきものであろうか。

Freeを聴き直している。若いころから2枚組ベスト盤の「Free Story」と「Live」を聴き続けていて、それはそれで結構満足だったのだ。全アルバム(少ないのだが)をそろえようという気がしなかったというか。

その後世評に高い「Alright Now」と大好きな”Wishing Well”が入っている「Heartbreaker」を買ったりしたのだが、それ以上のモチベーションが起きなかった。結構全部同じようなサウンドだからと思っていたのではないかな。
しかし、ある日、何かが来たのだ。
自分のロックの原点をもう一度見てみたい、というか。
まさか自分がロック離れを起こすことはないと思っていたが、もしや、という不安が頭をもたげた?それは、もはや感性は摩滅してしまったのかという不安でもある。
それではそうでないことを証明するために、自分の根源的なものを極めてみよう、もう一度、というか。
御託を並べながら新宿DUに行ってみたら一気にそろってしまったのだな。
おまけにアマゾンで集大成的無発表テイク集「Songs of Yesterday」を安価で購入した。

4月10日
とうとうカフカを読み始める。まずは第一長編の「失踪者」から。
今回は2000年に白水社から出版された「カフカ小説全集」全6巻で読み進める予定である。(現在6巻中5巻が手元にある)

昨日まで読んでいた色川武大と作品の傾向は正反対である。色川は実体験に基づいた小説、エッセイである。もちろん病気ナルコレプシーも実体験で、異様な迫力に満ちた小説世界である。
このような世界を書いてみたいと思うが、かなわないな、と思ってしまうのだ。中学校の無期停学、父親との確執、不良少年時代の遊蕩、浅草黄金時代の見聞、ギャンブルへの耽溺などなどまだあるのだが、彼はそれらの体験を作品として昇華させていく。その力量もさることながら、まず体験の絶対値が私とは違い過ぎる。
こちらは大学を卒業以来会社員しかやったことがないのである。作品として昇華すべき体験が絶対的に乏しい。それを書けばそのまま読むに値する作品になるような体験は皆無といって良い。サラリーマン小説という手もあるのだろうが、こちらには関心が向かわない。

しかしカフカは、大学卒業後実直なサラリーマンとして保険会社に勤務し、規則正しい生活の中で創作を続けた作家である。おそらく頼みになるものは自らのイマジネーションのみではなかったか。それなら私の創作の参考にもなるのではないか、と思ったのだ。
なによりも無用な劣等意識を持つ必要がないではないか。

今朝の入浴時から読み始めた。リラックス時間の入浴時には少々堅いかな、と危惧をしたが、翻訳者池内紀の力量か、実に平易で読みやすい。

父親との確執があったようだし4、5人ほどの女性と婚約とその解消を繰り返している。そしてなんと最初に婚約した女性とは2度婚約と婚約解消を行っている。少々普通ではないが印象もあるが、アブノーマルな感じは受けない。解説によると、女性的なものにっ純粋に惹かれるのだが、結婚という制度が自分の最大の愛着である創作に集中できなくなるのではないかという懸念(恐怖?)にさいなまれたのではないかと。
だから、むしろ長編小説の創作に情熱を燃やす、実直なベジタリアンの青年というイメージが生まれてくるのだ。

このペースだと夏ごろには読了できそうである。
なにか好ましい影響を受けそうな滑り出しである。

某日某月
最近感じること。趣味の両立ができない。
例えば最近色川武大、カフカと文学づいているのだが、その一方音楽に関する関心が薄れている(ような気がする)。
そうだろうか。音楽に関する関心が薄れて文学に関する関心が相対的に強まっているのではないか。
とか。最近そんなことを考えていることが多い。私の趣味は、簡単に言うと音楽、文学なのだが、それに関する関心が薄れることは、自身の感性が擦り切れていくことなので、恐怖であるのだ。音楽にも文学にも関心がない、面白いと感じないなど地獄ではないか。
そんな恐れが心の底にあるので、冒頭のようなことを考えるのかもしれない。

某日某月
会社を休み文筆活動の日にしようと思った。
執筆中の小説「蟹記」を図書館やコーヒーショップなどで書いてみようと思ったのだ。まず、図書館へ行くと金曜は休館日であったので、ロビーでノートPCを開いたが、WiFiが飛んでいないのでnoteを開けない!テザリングも要領を得ないので、そのまま帰宅。
今後は文書をメモ帳にコピーして、帰宅後にそれをnoteにコピペすればよい。
その後ダイニングで1000文字ほど書くが、めちゃくちゃ眠たくなる。

一休みしてひばりが丘の古着屋Jumbleへ。狙いはW29インチのリーバイスのホワイトジーンズだったのだが、まったくそのまんまのがある。若干フレアだがむしろおしゃれ。いやあ、こんなこともあるんだな。

朝風呂中にカフカ「失踪者」を読む。ご都合主義的な展開が妙に笑える。面白い。これは壮大なギャグ小説ではないのか?平易な訳ですいすい読める。

某月某日
気温は25度まで上がったようだ。
そんな中自転車で和光樹林公園へ、多分片道10キロ近いはず。

4月17日
カフカ「失踪者」読了。300P以上の長編であったが、1週間程度で読み終えた。読んだ場所は電車の中、入浴中、リビングである。
何とも言えないご都合主義的な展開や、章立てが終わってからの、つまり失踪後のまさにカフカ的な展開など、堪えられない。
明日からは「審判」を読む予定。

某月某日
小説「蟹記」を書き続ける。モチーフは人間の蟹化、暴力的な挨拶、放火である。
今日だけで4000字ほど書いたので、全部で10000字近くになってしまった。400字詰め原稿用紙で25枚ほど。まだまだかけそうだが、テーマが拡散しないようにしなくては。20000字ほどにはまとめたい。あくまでも短編のモチーフだと思うからだ。

某月某日
「蟹記」を書き続ける。しかし放火の比重がだんだん重くなってきてタイトルが不適切になってきた感がある。400字詰め原稿用紙で25ページ程度。あと20ページほど必要かも。テーマが少し大きくなってきたので、短編にこだわらずもっと長くしてもいいかもしれない。

4月18日
カフカ「審判」を朝の入浴中に読み始める。いきなり引き込まれ、ノンストップである。

某月某日
買ったばかりのものを落としたらしく夜中に探しに行くが何とも心当たりがないのでさまようことになる。
「あなたこんな夜にこんなところで落とし物を探すなんて、一種の才能ですよ」
「集中しますね」
「ところでいったい何を落としたのです?」
「・・・」
「大きさは?」
「・・・」
「重さは?」
「・・・」
「形状は?」
「・・・」
「食べ物ですか?」
「・・・」
「楽器ですか?」
「・・・」
「本当に落としたんですか?」
「それは間違いないのです」
「そうですか。間違いないのですか」

某月某日
書きかけの小説から「蟹記」の部分を抜く。すっきりとする。よってタイトルも「蟹記」から「放火(仮)」とすることに。
放火と古川さんの話とする。末尾も大体わかってきた。

某月某日
Dr.JohnのCreole Moonが素晴らしすぎる。A.トゥーサンに続いて聴いている。その前はJ.J.ケイルだった。音楽に対する関心がよみがえりつつある。

渋谷陽一が昨年11月以来療養入院していることを知る。

某月某日
朝、異様に疲れている。ここのところ歩きすぎなのかもしれない。
平日の10Kmはしようがないとして、週末は1日20キロ近く歩いている。足首も少々痛む。いや、歩くのは平気なのだが、走ろうとすると痛む。
少し休もう。

某月某日
昨夜は早く休んだためか、6時半ころ起床。
柳瀬川~空堀川沿いを歩き、全生園を横切って帰途につく。2時間以上、距離でいうと10キロは歩いているはず。
ある橋のほとりに小公園があり、木の株をあしらった椅子が置いてあるのだが、今日はそこに3人が静かに座っていた。1人は女性、2人目は男性、3人目は初老の男性。3人とも静物のように動かないのだ。2人目の男の前の椅子には缶酎ハイのロング缶が置いてあるのだが、じっと見つめるのみ。もう飲んでしまったのだろうか。しかし早朝から缶酎ハイロング缶とは。

全生園はかつてのハンセン病患者の隔離施設である。その中にすべてがある。住居棟はもちろん、寺院、キリスト教の教会、神社、火葬場等々。その中で患者の生涯を完結させるのだ。
7,8年前に、サイクリング中に偶然紛れ込んでその存在を知った。なんとも厳粛な気分になる、特別な空間である。1か月ほど前には絵画展を見学した。当たり前だが、そのモチーフなどは「健常人」と何ら変わることはない。

某月某日
阪神タイガース中日ドラゴンズに大勝!ようやく歯車がかみ合ってきたか。大山の復調が大きい。森下の勝負強さが頼もしい!

某月某日
自転車で安売りスーパー・ロジャースへ下着を買いに。下履き2枚組で500円、靴下1足99円。いつもながら客が多い。自動車で来てまとめ買いをするタイプが多いのだ。拡張工事をしている。流行っているのだ。儲かっているのだ。

阪神タイガース降雨を押して試合決行。佐藤の3ランでコールド勝ち。首位に躍り出る。
しかし今日の勝者は阪神園芸であろう。

カフカ「審判」鞭打人の章。これはギャグでしょう?思いつくままに筆の進むままに小説は進んでいく。

某月某日
昨夜からの雨が朝も降り続いていた。月曜の雨の朝は気がめいって良くない。

Amazonに注文していた池内紀「となりのカフカ」到着。入門者用のカフカ評伝。GWの帰省時に読もうか。

今後読んでみたい古典文学。
・ドストエフスキー5大長編
 「罪と罰」と「カラマーゾフ」は読んだのだが改めて。
・バルザック「人間喜劇」
 学生時代はわからなかったが、今なら楽しめるかも知れないという。
・シェイクスピア全集
 「それでも英文科か」と言われてもおかしくないほど読んでいない。
・ディケンズ代表的な長編
 大学時代不勉強だったので。
・ジェイムス・ジョイス
 ユリシーズどころか、ダブリン市民すらろくに読んでいない。
・夏目漱石後期長編など
 明暗、虞美人草、草枕など、未読多い。
・ラテンアメリカ文学の代表的なもの。
マルケス、リョサ、ボルヘス等々、ほとんど未読。

結構今回のカフカの読書が刺激ななっているのだ。古典は面白いということかもしれない。

某月某日
昨日からはっきりしない天気が続く。気温も20度を少し下回り少々涼しい。
浩平34回目の誕生日である。時がたつのは早い。明日はもう給料日である。 

「審判」読み続ける。工場主と画家の章、今までで一番訳が分からない。ここら辺が難解と言われたゆえんかも知れないが、雰囲気を味わいながら読み飛ばすにことだ。
楽天のポイントを使ってG.マルケス「愛その他の悪霊について」、B.リョサ「緑の家」を注文する。

「放火のはなし(仮)」考え考え書き続ける。原因と結果の因果関係に陥らないことが何よりの目標。日常のの不穏さが描けていればよいのだが、さてどうだろう。

朝ドラの「虎に翼」脚本に難あり。いらぬスキットやいかにもな人物類型など。あと面白いことをやって笑わそうというところが古い。

某月某日
「放火のはなし」さらに書き続ける(題名は正式にこれにする)。古川のエピソードの中に、つげ義春の漫画のあるエピソードをアレンジして挿入する。少し葛藤したが、これしかないという思いがある。まあパクリというレベルではないのでGOである。

しかし創作は疲れる。多分普段使っていない部分の脳を使うからではないか。やたらと眠くなる。原因と結果の因果関係は、なしである。

1970年代の沖縄のハードロックバンド、紫がいまだ健在と知る。俺も年が、とか言ってらんないのだよ。

某月某日
「放火のはなし」最終版。古川の奥さんのはなしを独白形式で書く。まずまずだが、これに続く最終章をどう書くか。じっくり考えよう。
来るべきGWで書き上げればよい。なによりも焦らないこと。

大まかな執筆のペースは、日記は毎日、短編小説は月に1作と大まかに決める。それでそれぞれを月に1回noteにアップする。ペースを決めることは大事。短編小説は遅れてもよし、とする。仕事になってはつまらない。

「審判」最終盤の大聖堂の章。聖職者との会話は、難解というよりは混乱しているのだ、と思う。

本棚を整理する。今自分にとって重要なものを上段に配置。ラテンアメリカ、カフカ、色川、筒井等々。しかしこれは時間がかかる作業だ。








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