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フリースタイル和歌

いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな


伊勢大輔

『詩花集』


気づけばもう春なので、いちばん春っぽい百人一首の歌を紹介。
作者は伊勢大輔(たいふ)。なんか男っぽい名前だけど女性である。
わざわざ訳なんてしなくてもこの詩の美しさは分かると思うけど一応
「昔は奈良で咲いてた八重桜が、今では京都でもっと美しく咲いてるなあ。
(これはきっと、今の方が世の中サイコーだからだよな?)」
という詩。
「古(いにしへ)」と「今日(けふ)」、「奈良」と「京(けふ)」、「八重」と「九重(都のこと)」という3つの対比によって、桜の美しさと京の都の繁栄を同時に歌い上げている。即妙でよくできた綺麗な歌だけど、この歌の素敵なところはこれが詠まれた背景にもある。



時は平安時代

 ある春の日、宮中に桜の枝が届いた。それは京都ではあまり見かけないなんとも美しい八重桜で、どうやら奈良のお寺からの献上品のようだ。時の権力者、藤原道長様はこれを見て、
「こんなきれいな桜、タダで受け取るのは無粋でしょう。紫式部ちゃん、ちょっとこれで歌詠んでみてよ」と嬉々として言う。
平安じゃこんなの当たり前、詠めなきゃ歌人失格と言わんばかりの無茶ぶりである。しかし指名されたのは先輩の紫式部さんだった。内心ホッとしつつも、先輩はどんな歌を詠むのだろうと期待していると、
「それでしたら、あそこにいる新人の伊勢大輔さんが適任だと思うのだけど?」
聞き間違いではない、静かな春の宮中に、私の名前がハッキリと響いた。その場の全員の視線が自分に向けられ、胸の鼓動が早くなっていくのを感じた。しかしここは京の都、即興で歌の一つも詠めないヤツはただの役立たずだ。すぐに覚悟を決め、震える手で墨を磨る。さっきとは明らかに空気が違う。そして筆をとり、静かに目を閉じた。
 ——喝采。静寂の宮中を満たしたのは賞賛と感嘆の声であった。道長様を含め、宮中の誰もが自分の即興を絶賛する中、ただ一人、私に大役を譲った先輩だけは横目でこちらをちらりと見たあと、期待通りとでも言うように微笑んだ。
全く、この人には敵わないなあ。



多少妄想も含まれてるけど大体こんな感じ。
当時新人だった伊勢大輔が大先輩である紫式部に桜を受け取る役を譲られて、道長に歌を詠むよう命じられる。そして即興、まさにフリースタイルで生まれたのがこの詩。即興とは到底思えないほど素晴らしい完成度で、当時
「万人感歎、宮中鼓動す」(『袋草子』)
と書かれるほど宮中はこの詩で盛り上がったらしい。
 紫式部と道長は伊勢大輔を試していたっていう説もあるらしいけど、紫式部ほど鋭く人のことを観察していた人物であれば、たとえ新人であっても、伊勢大輔の才能を見抜いていたんじゃないかと思う。道長や彰子は予想外の出来に驚いたかもしれないが、紫式部だけは「やっぱりね」としたり顔で微笑んでいたに違いない。
そういう意味で、この詩は平安の二人の才女が生み出した、奇跡の芸術だと言えるだろう。

余談、というかこの話にはちょっと続きがあって、この即興を受けた彰子
(道長の娘)はこんな歌を返したとされている。(紫式部の代作という説あり)

九重に にほふを見れば 桜がり
重ねてきたる 春かとぞ思ふ

「この桜と今の詩のおかげで、まるで春が二回もやってきたみたい」
というなんとも素敵な返しで、あまり記述がないがこっちも素晴らしい即興だと思う。まさにセッション。




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