長い夢

十七歳の六月、窓際で五時間目の授業を聞きながしていた。勢い良く開けた窓からは教室に篭っていた先ほどの体育の熱気が、雨つぶを飲み込んだ涼しい風とすれ違うようにして出て行った。なんとなく気だるげで落ち着かない教室の雰囲気は、まるで夏を待っているようだった。放課後までまだ四十分もある。私は机に顔を伏せて少し眠ることにした。

そこは暗い森の奥、大きな屋敷のような旅館だった。そこには私の他にも既にたくさんの客が居た。彼らは育った場所も年齢も様々で、学校にいるときは出会えないような人ばかりだった。最初こそ一人だったが、だんだん他の若者の客たちと仲良くなっていった。初めてお酒を飲んで、それぞれの故郷や生い立ち、将来の夢や恋など朝まで語り明かした。ここに来る時、旅館の人には森の外には絶対に出ないよう言われていたが、毎日誰かの部屋でそうして過ごしていると、旅館での暮らしは退屈ではなかったし、ここが森の中であることすらも忘れられた。しかし時々、元の世界の親しい人たちのことも思い出しては少し寂しいような気持になった。今は会えないが、この夢が終わったらまたいつもの放課後に戻るのだ。目を覚ませばクラスメイトたちが放課後を今か今かと待っている。教室の外では授業が早く終わった親友のトシキが待っていて、私を見つけてはふざけて笑っている。ケータイを開いて、彼女のユキちゃんからの「明日どうする?」には「放課後いつもの公園!」と返信した。そんな午後三時を想像して、今夜も誰かの部屋に向かった。
そんな森の中の暮らしは、寒い日に暖かい湯船に浸かっているときのように心地よく穏やかで、それからもしばらく続いた。しかしそれは永遠ではなかった。旅館の客たちはだんだん元いた世界へと帰り始め、したがって一人になる夜も増えた。知っている顔は日に日に少なくなっていき、年齢も自分より下の人ばかり見るようになった。そんな日々が続き、そのうち自分も元いた世界が堪らなく恋しくなった。とうとう私は旅館を飛び出して、暗い森の外へと裸足で逃げた。途中何度も旅館にいた日々のことを思い出し、振り返りそうになるのを堪えてとにかく走った。

目を覚ますと、教室には夕日が差して辺りを薄暗いオレンジ色に染めていた。午後の授業はとっくに終わっていて、周りには誰もいなかった。一体どのくらい眠っていたのだろうか、ずいぶん長い夢を見た気がする。不思議と夢で逢った友達のことはよく思い出せなかった。不安になって辺りを探してみたが、大勢いたクラスメイトも、いつも横にいたトシキも見当たらない。誰からの通知もケータイには届いていなかった。自分が自分でないような気がして、今いるここが現実じゃないような気さえした。
「私はどこから来た何者で、私は本当にこの世界生きていたのだろうか?」
このような問いが心の奥から湧いてきたが、メッセージの下に埋もれていた数年前のユキちゃんとトシキとのやり取りを見つけてようやくその答えを理解した。
それから何日も待ってみたが誰かが現れることはなく、夏だけが足音を鳴らして近づいた。間抜けなことに、私は今でも待っている。誰もいなくなった教室で、暗くなった公園で、もう会えなくなった恋しいひとが私の隣に座るのを、ずっと待っている。昔どこかで聞いた蝉の声が、遠くから聞こえたような気がした。

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