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アンネ・フランクに倣って―日々の習慣にしたいこと

 これまで、日々の習慣にしていることと、捨てたい習慣について書いた。最後は、これから日々の習慣にしたいことについて、書きたい。

 日々の習慣にしたいことは、リクライニングチェアで寝落ちしたりせず、清潔な体で、ベッドで寝ることを筆頭に、あげるときりがない。けれど、あと一つに絞るなら、毎日、文章を書くことだ。 

 noteを始めたきっかけは、映画のレビューを書いても発表できる場所がない、ということが割と大きかった。noteに映画のレビューを書けたらいいな、と思った。しかし、映画については、自分なりにとことん考えた上で書いたものを載せたい、という変なこだわりがあり、そう思うとしょっちゅう更新することは難しい。
 noteのユーザーさんには、おそらく別に仕事を持っておられながら、毎日映画のレビューを載せる方がいらっしゃる。すごいなあと尊敬はするけれど、映画を観るだけでだいたい2時間は必要だし、さらにそれを咀嚼した上で文章にするなんて、私にはとうてい真似できない。

 じゃあ、私にも毎日できそうなことは何だろう、と考えると、日記を書くことである。これを日々の習慣にしているという、noteのユーザーさんの記事をいくつも目にした。 

 父にいわれて、私は小学校に入る前から、毎日、絵日記をつけていた。中学生ぐらいまでは続いていたと思う。引っ越ししても、私の絵日記は捨てられることなく、大事にとってある。人が身の回りで起きたできごとを記す日記という表現形式は、私にとって小さい頃から慣れ親しんだものだ。紙に鉛筆で書く絵日記の代わりに、写真に文章を添える電子上の日記ならできるのではないかしら、そんなふうに思う。とはいっても、noteには負の感情をぶつけた文章は載せたくないので、毎日、公開できるかどうかはわからないけれど。

 noteを始めたとき、自分のことに興味を持ってもらう必要はない、取り上げた映画の面白さが伝わりさえすればいい、なんて傲慢なことを考えていたけれど、今は日々のできごとをつづることで、毎日書くという目標を達成できればいいな、と思っている。

 そういえば、高校生の頃、一番好きな本は、ユダヤ人少女アンネ・フランクの書いた『アンネの日記』だった。彼女は日記に「親愛なるキティー」と呼びかけ、自分を客観的に見つめながら日記を書き、隠れ家で暮らしたわずか2年ほどで飛躍的な成長を遂げた。
 私はいつの間にやら、アンネの母親、いや伯母さんぐらいの年齢になってしまった。今から書いたところで、彼女のように日記が世界記憶遺産に登録される、なんてことはまずありえないけれど、毎日書くようにすることで、本格的なレビューなんかを書くときも、言葉がすっと出てくるようになればいいな、と思う。毎日、アウトプットするためにはインプットもしないと、と思うけれど、こんなふうに書いていると終わらなくなってしまうので、今日はここまで。


 最後まで読んでくださった方、長いひとりごとにお付き合いくださって、ありがとうございました。みなさんは、毎日書くために、どんな工夫をしていらっしゃいますか? 

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