「情」がある。|大学生日記08
「情」という言葉がある。人にはどうしようもない感情、理論では語れないもの。「わかってはいるけど、理屈じゃないんだ。」ついこのように言ってしまう時も、情があるからこそ。
人間として、切り離せないもの、それが「情」。
とあるきっかけから、この「情」とは何か、どんな作用を起こすのか、考えるようになった。
情が絡むから、人の思考は複雑で、こんなにも悩んでしまうのだ。
きっかけは経済学
私は現在経済学と経営学を学ぶ大学3年生。ゼミでは金融を専攻していて、社会の経済事情に関して日々議論している。
先日とある友達と昼ごはんを食べているときに、話がえらい盛り上がったことがあった。それがこの「情」に関しての話だった。
その友達も、私も、経済学を学んでおり、日々その知識を増やしながら、物事を考えている。経済学では、事象と理論をもとに物事を考えている。この理論の部分の話で、「情」というワードが登場して盛り上がったのだ。
さらに詳しく言うと、私も彼もマクロ経済学を中心に学んでいる。ここではやはり、理論ベースで話が進んでいく。「〜〜という状況下では、市場(=人々)は〜〜という行動をとる」ということを学んでいる。簡単な例で説明すると、需要と供給の関係である。とある財に対する需要が増すと、供給量が増える。均衡価格を調整しながら、自然とバランスの良い価格が決まる、と言った感じだろうか。
他にも様々な要因が関与して、複雑に変化していくのだが、それも全て理論のもとに進められる。「財が安くなれば、消費欲求が高まるのは当然」と言ったように、ある程度想定されている。人の動きが予想されている。もはや決めつけられていると言ってもいい。
このような考えを学ぶ私たちがどのようなことで盛り上がったかというと、「理論上は教科書通り、専門家の言う通りに行動していれば、社会は良くなるはず。でも人は理論だけじゃないよな!」ということだ。
授業で様々な理論を学んだ。その理論は、先人たちが世の中を良くしようと思って提唱してきたもので、人々がそのとおりに行動すれば世の中は良くなるはず。ただその理論は、個々人の意思決定をどこまで反映しているのか。全ての人が無感情に理論通りに行動することが前提になっているのではないか。いろいろ疑問も出てくるけど、頭の中にはいろいろ浮かんでるけど、うまく言えない。「理屈じゃないんだよ。」その一言でしか表現できない。
社会コストと個人コスト
この「理論と情」にまつわるエピソードが、もう一つある。
とある日のゼミのこと。私の所属するゼミでは、日経新聞の気になった記事を誰かがプレゼンし、それに関連する議題を用意してみんなで議論するという時間が毎週ある。ちょうどその週は、私が担当だった。
私が用意した記事は、「マイナンバーカードがAndroidスマホで利用できる」「保険証とマイナンバーカードの統一」という記事だった。
この記事から派生した議論は主に二つ。
一つ目は、「日本の大事な公的書類を海外のサーバーに全部お任せしていいのか」という議題。この議題に関しては、日本がクラウドを持っていない問題点、やはり持つべきだという意見、持つとしたらどこの企業がやるのか、そしてなぜ日本がクラウドを持っていないかの歴史的事情について先生から軽く話があった。結論としては、「頑張ってクラウドを作ってほしい」という感じで終わった。むしろ本題は二つ目。
二つ目の議論は、「マイナンバーカードの義務化による ”国に管理される” ことに関してどのように思うか」という議題だった。みんなマイナンバーカード持ってる?使ってる?という話から始まり、マイナンバーカード制度に対してどのように思っているかをそれぞれ意見した。便利さ、リスク、そもそも良くわからない、様々な意見が出た。そして議論が進み、国に管理されることについてという話題になった。
個人に番号が割り当てられているというのは、世界的に見ると多くの国で執り行われていることだそうだ。例えばアメリカでは、「社会保障番号」というものが存在する。
このような制度があると、どんな活用法があるのか、ということを考えた。もう一つの新聞記事で登場した健康保険証に関連していうと、お薬手帳と個人番号をリンクさせることによって、平常時から災害時まで、その人にどんな薬が必要なのかがすぐに分かるようになる。群馬県前橋市では、Suicaと紐付けて年齢ごとの割引サービスを改札で判別するという実証実験も行われているそう。確かMaeMaaSという名前だった気がする。他にも様々な活用方法をみんな自由に出し合った。
「犯罪の減少」という話が出た。職質で身分証明書を見せるが、その身分証明書で過去の犯罪歴、どういう経歴の人物なのか、年収、家庭状況などなど、その人個人に関するあらゆることが把握できるようになるということだ。全てが個人番号の照会で明らかになる。具体的な方法はひとまず置いておいて、確実にこれで犯罪の件数は減るだろう。犯罪の件数が減るということは、対策のために使用していたコストを、別のことに割くことができるというわけだ。時間、人材、金など、様々なコストを別のことに利用でき、結果社会はよりよいものになるよねっていう話。
犯罪を例に出したが、他にも様々あるだろう。役場の仕事なんかかなり削減されるのではないだろうか。マイナンバーによる管理社会が実現することで、社会はコストの再分配をすることができ、必要な箇所によりコストをかけることにつながる。その結果、より良い社会の到来!やったね!となるはずである。
そう、理論上はね!
ここで今回のテーマ、「情」が登場したというわけだ。前置きが長くなりました。
マイナンバーカードがいまだに普及しきっていない原因の一つに、国に管理されることをよしとしないということが挙げられる。先ほどのように、個人を完全に管理することで、あらゆる点でいいことが生まれるのは間違いない。理論上、理屈の上では。だがここに個々人の考えは反映されていない。管理されることが嫌だ、そう思う人がもちろんいるということだ。ここ。ここに私は「人って難しいな〜」と感じる部分がある。
確かにマイナンバーがあれば社会はより便利に、いい方向に行くだろう。だが、管理されることをよしとしない人もいるし、嫌なものは嫌である。理屈で、理論で説明されようが、どんなメリットを提示されようが、嫌なものは嫌なのだ。
これを「個人コスト」と呼んでいた。より良い社会を目指す社会コストと、個々人の感情のような個人コスト、どっちを優先するのが正解なんだろうね〜、答えはなかなか出ないよね、と言った感じでひとまずゼミの議論は幕を下ろした。時間の都合もあったので。
ゼミが終わってからも、私は社会における「情」について非常に関心があり、悶々としていた。いろいろ考えていた。頭の中を可視化したいと思い今回文章にしてみたが、筆が止まらない。きっと答えが出ないテーマだとは思うが、私の思考も回り続けるだろう。
気が向いたらまた「情」について書きたい。どんな話をしても、「理屈じゃないんだよね〜」という最後で終わってしまう。果たしてこれは正しいのだろうか。私は考え続ける。
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