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人生後半を生きていく拠りどころとなる基盤「不変の部分:自己・アイデンティティ」の再確立


私たちは普段、自分が自分で
あることの根拠は記憶にあると
漠然と考えています。
実際、物心ついた頃から
今日まで生きてきた記憶
(自伝的記憶)をたどると、
そこに連続性が感じられるため、
「私は同じ私であり続けている」
というアイデンティティ
(同一性、私が変わることなく
同じ私であり続けている事態)を
見いだすことができます。


このような自伝的記憶は、
もちろん脳ときわめて深い
関連を持っています。
一般に、人が感じる
「自分らしさ」や「私が私で
あることの根拠」は、自伝的記憶
に多くを負っています。


いつ、どこで誕生し、
どのような家族のもとで成長し、
どのような学校に通い、
どのような人間関係を形成し、
どのような仕事をしながら、
今までの人生を生きてきたのか、
自伝的記憶に自分なりの視点から
一貫性を持たせ、いわば一種の
ストーリーとして理解することで
人は「アイデンティティ」を
維持しています。


現代社会では、今大きな
「時の狭間」にあり、21世紀を
生きる人々の生き方
(アイデンティティ)が模索されて
います。
20世紀後半を生き抜いた日本人の
生き方は”働くこと”と”生きること”
が一体化していました。
つまり、自らの仕事を最優先する
ことにより、自分と家族の生き方を
決定していたといえるでしょう。


しかしながら、21世紀中盤に向けて
”働くこと”と”生きること”がともに
自律し、一方が他方の従属物には
ならなくなっています。
21世紀中盤においては、与えられた
仕事に身を委ねていれば、必ずしも
幸福に結びつくとは限らない、
仕事に関わる年数が格段に長くなり、
老年期まで仕事を持ち続けるからです。


現代は生き方、働き方の
根幹部分において、大きな
時代変革が起こっているため、
他に委ねることなく、自らが
主体となって、生き方、働き方の
方向性を定めなければなりません。
そのため、自らの生き方、働き方
に関して、長期的展望をもった
「独自の価値観」を確立しなければ
ならなくなっており、
人生の「前半」と「後半」では、
人生から振り掛かる課題が異なる
ことに皆が気づき始めています。


したがって、夢や希望に向かって
がむしゃらに努力していけば、
それだけでよいのかといえば
そうではなく、夢の追求はもちろん
大事なことではありますが、
それは、生涯発達時代を生きる上での
片肺飛行にすぎず、それだけでは
人は幸福にはなれない、
超高齢化社会を生きる私たちの
人生の山は、一つだけではなく、
もう一つあるのです。
とりわけ人生の後半以降になると
この点がより明確になります。


世界でも類をみない超高齢化社会
を生きる生涯発達時代においては、
老年期までをも見据えた生き方を
模索しなければなりません。
この準備が不十分であると、
次の人生のステージでつまずく
ことになります。
すなわち、最初の山の勝利者が
必ずしも次の山の勝利者になるとは
言い切れないのであります。
自分のもつ能力を総点検し、
「今の自分は何ができるか」を
原点に立ち返って考える必要が
あります。


そのため、
人生の「後半」において
変身を遂げるには、
①自分自身をよく知ること。
②多様な人間関係を持つこと。
が重要になります。
①については、組織やグループの
一員ではなく、個人として
自分自身をよく見つめることが
大切になり、
②については、自分と異なる
年齢段階、性、仕事内容、国籍の
人物と交流を持つことが重要に
なります。


つまり、
自分と同じタイプの人とのみと
日常的に交流を持っていては
自分を変えることは難しいですが、
自分と異なるタイプの人と
つき合うことによって、初めて
人は変わることができます。
変身を遂げるにあたっては、
とりわけ②が重要になるわけです。


そして、ご存知のように
2050年頃の日本社会では
総人口9000万人、
100歳老人は70万人を超え、
65歳以上人口比率40%という
超高齢化社会になる可能性が
予見されていますから、


21世紀後半を生きる私たちの
仕事人生は、65歳で終焉する
のではなく、80歳近くまで
続くことが想定されています。
ですから、自らの「人生後半」が
展望できる年齢段階において、
思い切ったリセットを行うことが
必要になります。


社会、文化的脈絡の中で
ストレスに対して、積極的な
対処行動をとり、愛の関係を大事に
しながら、自己実現を目指して
常に自らの能力を発揮し続ける過程、
この営みは人生の時が止まるまで
生涯を通じて続いていきますので、
前へ進んでいく必要があります。


そのためには、軸足(基盤)が
定まっていなければなりません。
すなわち、不変の部分(変わら
ないもの=自らの拠りどころ:
アイデンティティ)が
絶対に必要であり、
それを私たちは探し求めています。
人が年をとり、あるいは周りの
環境がどんなに変わろうとも、
生きていく拠りどころとなる
「変わらないもの」は、
21世紀社会が激変しても、
人間行動を突き動かすうえで、
必ず存在するはずでありますし、


時代の変革に適応しながらの
自らの変化は、拠りどころをもった
変化でなければなりません。
時代の波に翻弄され、自らの本質を
見失った変化を強いられると、
遠からず不適応を起こします。
大変革を遂げつつある現代社会には、
こうした不適応に悩んでいる人が
少なくないのです。
たとえば、
1988年から15年連続で続いた
年間3万人を超えた不適応者数、
そしてその7割が中高年の男性で
あるという事実です。


老年期に差し掛かるころになると
「健康、経済力、自らの拠りどころ」
の重要性を徐々に意識するように
なっていきます。
なかでも「自らの拠りどころ」の
重要性がより増すことになりますから、
超高齢化社会においては、まさに
生き方の「質」が問われていく
ことになります。


それゆえに、
心に安らぎと生きる力を与える
「変わらないもの」を見いだして
いくためには、精神分析学者
「ジークムント・フロイト」の言葉、
「愛すること」と「働くこと」
が深く関わります。フロイトは、
「正常な人間として、人が健全に
行わなければならないことは何か?」
と問われたとき、即座に
「愛することと働くこと」
と答えたといいます。


共存・共生を図る”愛すること”は、
1人では達成不可能です、自分の
弱みを見せ、一緒に悩んでくれる
相手が存在すること、また嬉しい
出来事を話し、一緒に喜んでくれる
相手が存在することは、愛が成立
するための大前提、要するに、
2人以上の人間の存在が不可欠と
なります。


自己実現を図る”働くこと”は、
自分のもつ能力を発揮し、
さらにそれを通して何かを学び、
自分自身を高めていくといった
性質が備わっています。
働くことにより、社会との
結びつきが得られ、生活の安定が
確保されることもあり、
人が「自己実現」をするうえで
極めて重要な役割を果たすことに
なります。
ただし、働くことを通して
最終的に達成される自己実現は、
1人で達成されるのです。


そして、自己実現の課題は、
各発達段階に存在しており、
人生の階段を一段一段昇りながら、
一つずつクリアしていかなければ
なりません。
乳児期から幼児期、学童期、青年期、
成人期、中年期、老年期へと
人生が展開していく中で、発達課題は
姿や形を変えていきます。
私たちはそれに取り組んでいく
ことになりますが、


フロイト理論の継承者である
精神分析者「E.H.エリクソン」は、
「彼が『愛することと働くこと』と
言ったのは、人間が性器的な生き物
であり、かつ人を愛する存在である
という権利もしくは能力を失うほどに
一般的な仕事の生産性が個人を
占有してはならないことを意味した
のである」と解釈しています。


つまり、
愛することに支障をきたすほど
働いてはいけないけれど、
愛することだけ(余暇、家族、恋人
との時間他)に没頭して働くことを
忘れると、酷くつまらない人生に
なる、フロイトは、健康的に生きて
いくために「愛することと働くこと」
のバランスが重要だと考えました。

『自分を認めてくれる人がいる』
=「働く場があること」
『自分には帰る場所がある』
=「愛する人がいること」
という安心感は自信につながり、
愛されていると確信している人は、
自信をもって行動することが
できます。


1979年にノーベル平和賞を受賞し、
「人間愛の体現者」として
国際社会から幅広い尊敬を受けた
『マザー・テレサ』は、
「最大の不幸は貧しさや病ではない、
誰からも自分は必要とされていない
と感じることである」と語ったこと。


すなわち、
「愛すること(共存)」は、
「幸福」をもたらし、
「働くこと(自己実現)」は、
時代に適応していくための
「学習」を求めているのです。
ジークムント・フロイトの
この言葉には人間の生き方に関する
重要な示唆が含まれているため、
アイデンティティ概念の根幹に
位置付けられ、時代を超えた
不変の概念となっています。


まさに「自らの拠りどころ」であり、
人が生きている間、その内面において
恒久不変の価値をもつ
「変わらないもの」。


したがって、
アイデンティティが
形成・確立することによって
生涯発達が展開され、激変する
社会環境に対しても耐えられる
「アイデンティティ概念」を、
仕事との関わりばかりでなく、
愛する人や家族関係、人生全体に
どう結びつけることができるのか、
それが生涯発達の課題になるでしょう。


”大人の人生”には、そうした
いくつかの岐路が存在し、
程度の差はあれ、今までの自分の
あり方、生き方では、もはや自分を
支えきれないという自覚であり、
アイデンティティそのものの危機。
アイデンティティ発達の視点から
ライフサイクルをとらえるならば、
「青年期」「中年期の入り口」、
そして「現役引退期」にはいずれも、
アイデンテイティの獲得、再獲得という
共通のテーマが存在しています。


個としてのアイデンティティは、
「自分とは何者であるか」
「自分は何になっていくのか」という
個の自立・確立が中心的テーマです。
個としてのアイデンテイティの発達は、
積極的な自己実現の達成へ向けて
方向づけられます。


そして
関係性にもとづくアイデンティティ。
この中心的テーマは、
「自分は誰のために存在するのか」
「自分は他者の役に立つのか」
という間題であります。
関係性にもとづくアイデンティティは、
他者の成長や自己実現への援助へ向けて
方向づけられます。


大人のアイデンティティの発達には、
この両者が等しく重みをもち、
両者が統合された状態が成熟した
『大人のアイデンティティ』であると
考えられているのです。


自分のいろんな側面を他人に見せて
それを承認する他人がいることは、
アイデンティティを確立するためには
不可欠です。したがって、
『大人のアイデンティティ』は、
「個人と社会」の接点に成立します。
ですから、自己認識だけではなく、
社会における「自分の居場所」を
きちんと確保できなければ
確立することができません。


すなわち、私たちが
「何者か」であるためには
「誰か」が必要だということです。
アイデンティティの感覚は、
「これまでも今もこれからもずっと
自分である」という自己の連続性と、
「これこそ自分である」と感じられる
自己の斉一性とを感じられると同時に
連続性と斉一性とが、重要な他者から
認められていることが必要であると
いうことになります。


多様な人たちとのよい付き合いや
自分の身になるさまざまな経験を
重ねることは、濃い奇跡の
循環自己の「数」を増やします。
それらは今後新しい経験をする際の
対処パターンとなるとともに、
たとえば、
スポーツオンリーアイデンティティ
フィケーションのような単一の
循環自己に支えられた危うい
アイデンティティではなく、
多元的な循環自己に支えられ、
より安定したアイデンティティの
源泉ともなるでしょう。


現代に生きる私たちは、
決して一元化されない自己群を
自らの中に抱えつつ、時と場合、
ライフサイクルの場面場面において
多元的な自己のバランスを整え、
一元的ではないにせよ、
それなりに統一された
アイデンティティの感覚を
保っているということです。


多元的な循環自己からいえば、
「人が変わる」とは、何らかの
きっかけを経て、新たな循環の
軌跡の重なりが作られることです。
たとえば、転機は人との出会いや
環境変化(による人との出会いも含む)
のことが多いようです。
なぜなら、新たな環境や関係を得て
新たな循環が始まり、
それが何度も関係の軌跡を
重ねることによって、しだいに
それまでなかった新しく認識された
『自己』が立ち現れてくるからです。


循環は、常に外に開かれ、
他者や環境から『フィードバック』
を受けています。
環境を大きく外れる
『フィードバック』でなければ、
循環は変わらず保たれます。
ですから、少しの逸脱では
その出来事の受け取り方によって
今までと同じ出来事と認知され、
『自己』は保たれます。


それに対して、新しい人との
出会いや大きな環境変化に直面した
場合には、自分の行動に対する
『フィードバック』がそれまでの
循環とは大きく異なるために、
新しい循環、つまり新しい自分が
始まるきっかけとなりうるのです。


可能性としては、ある人と一度
出会うだけで、その後その人と
関係を重ねなくても新しい自己が
立ち現れることがあります。
たとえば、自分の理想とするような
人と出会い、その人がどんな生き方を
しているのかを知ったとします。


そのような人になりたいと
行動を続け、そのように行動できた
経験が記憶として積み重なり、
その人に出会う前のかつての
自分とは異なる行動ができるように
なったとき、自分を振り返ってみると
それまでの自分とは異なる循環の
軌跡の重なりを『自己』として
認識できるということです。


会ったのはたった一度だけでも
その人との出会いが転機となって
『自己』を変えるのです。


ただ、
『自己』が変わるためには、
循環の軌跡が変わるような行動や
思考や出来事があり、変わった
循環の軌跡の重なりが新たな輪郭として
認識されるまで、行動や思考の変化を
続けるためのある程度の時間が必要です。
もしも、小さな変化から自分を
変えていこうと思ったなら、
そんな小さな変化を続けていくことが
求められることでしょう。


いずれにせよ、変えたい
自分がいても、変わるためには
時間的プロセスが必要で、
今すぐ変えられる、変わるわけでは
ありません。多元的な循環自己から
いえることは、変わることを
焦らないということです。


人が変わるとは、循環運動の軌跡が
大きく変わることです。したがって
どんなに自分を成長させるような
大きな心境の変化があったとしても
それだけではまだ成長ははっきり
したものではありません。
いわば、「成長の種」です。


種である心境の変化にともなって
これまでとは違う行動や他者との
関係性の循環が重なり、
そこにかつてとは違った循環の
軌跡の重なりが輪郭として
認識できるようになったとき、
自分が成長したとはっきり
わかるのです。


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