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真田氏ゆかりと炭の男。群馬県利根郡。グーグルマップをゆく⑳

 グーグルマップ上を適当にタップして、ピンが立った町を空想散策する、グーグルマップをゆく。今回は群馬県利根郡。

 このあたりは、真田街道が通っており、真田氏ゆかりの土地でもある。みなかみ町には名胡桃城跡があり、こちらは真田氏が治めていた城である。

 江戸中期、ここから1人の豪商人が出る。塩原太助は利根郡新治村の農家に生まれた。18歳の時に江戸に出て、炭屋の奉公人となり、勤勉に働いて39歳の時に独立して大商人として江戸に名を馳せる。

 当時、炭は料理や暖房などに使用され、人々の生活に欠かせない、今の電気並に消費されるものであった。元々は炭は家庭で作られるものであったが、段々と消費が増え、炭だけで商売ができるほどに需要が高まった。

 江戸に至っては、多摩まどの木材が使用さていたが、それでは間に合わなくなり、群馬、栃木、紀州などからも運ばれるようになる。ちなみに、一世を風靡した「鬼滅の刃」の主人公である竈門炭治郎の家も炭を作って売って生活をしていた。

 塩原太助は、炭が高騰する中、木炭の粉に海藻を混ぜ固めた炭団を発明し、それが大流行したと伝えられている。しかしながら、この話の出どころがわからず、本当かは怪しい。

 ただ、幕末から明治にかけて生きた落語家・三遊亭圓朝の話に「塩原太助一代記」なる話があり、塩原太助が大成功した炭問屋であったことは伺うことができる。裸一貫から大商人へと成り上がった塩原太助のサクセスストーリー、当時の人々の心を掴んだようだ。残念ながら、二代目は放蕩息子で、塩原は没落し、塩原太助一代の繁栄だった。

 みなかみ町には塩原太助にちなんだ記念碑などがある。かの渋沢栄一が塩原太助記念碑建立のために書かいた書が保管されている。これからも実業家にリスペクトされている存在であることがわかる。

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