見出し画像

日本スキー発祥の地。新潟県上越市。グーグルマップをゆく㉕

 グーグルマップ上を適当にタップし、ピンが立った町を空想散策する、グーグルマップをゆく。今回は知人にタップして頂きピンがたった新潟県上越市。

 上越市といえば、上杉謙信である。上越市にピンが立った時点で上杉謙信しかないなと思いながら、マップ上を色々眺めていた。

 上杉謙信が拠点にした春日山城がある。マップで見るとよくわかるが、この地域は、日本海を背後に日本アルプス、妙高戸隠連山、上信越高原に三方囲まれている。すなわち、自然の城壁がすでにあり、立地としては敵からの攻撃を受けにくい。弱点としては、他国に出にくいという点であり、上杉謙信が冬に動けなかったことは有名である。

 春日山上跡から南に、「日本スキー発祥記念館」なる文字があるのが、ふと目に留まった。これは面白そうだ。

 1911 年(明治 44)1 月 12 日、オ ーストリア・ハンガリー帝国の軍人・テオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐によって、日本で初めてのスキーの訓練が行われた。訓練を受けたのは、大日本帝国陸軍第 13 師団歩兵第 58連隊将校。長岡外史という人物が師団長を務めていた。

 ちょうどこの時期、日本は日露戦争においてロシアに勝利した時期で、軍隊拡大のために師団を増やしており、上越市に13師団が作られたところだった。レルヒ少佐は、ロシアに勝利した日本の軍隊を視察するために、たまたま上越に訪れた。

 スキー好きのレルヒ少佐は、自前のスキー道具を持って上越にやってきおり、日本で滑ってみたいと思っていたらしい。なぜ、13師団に教えることになったのかについての詳細はわからないが、レルヒ少佐がスキーで滑っているところを長岡外史が見かけ、教えを乞うたのではないか。

 この10年ほど前、八甲田雪中行軍遭難事件があり、雪の中での行動についてどうするかについて答えの出ないままであった。また、八甲田雪中行軍遭難事件の直後、スウェーデンからスキー道具が日本陸軍に送られたが、使い方がわからず放置されていた。

 スキーというもの自体は江戸期から知られていた。アイヌ民族が用いていることや、スウェーデンで軍隊に用いられていることなど、知識もしくは遊びとしては知られていた。しかし、実用化されるレベルではなかった。また、歴史としては松川敏胤が欧州から持ち込んだとされている。

 長岡外史師団長もスキーは知っていた。しかし、レルヒ少佐が滑るところを初めて見て、「これは使える」と思ったに違いない。歴史の面白いところは、レルヒ少佐も軍人であった点である。ただ、スキーの滑り方を教えるのではなく、軍隊で活かせる技術や方法をうまく指導できたのだろう。

 こうして、日本で初めてスキーが実用化されるに至り、日本でスキーが広まることになる。

余談ながら、レルヒ少佐は在日中に中佐へと出世し、レルヒ中佐とも呼ばれている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?