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一遍上人をたずねて⑥

 一遍上人は各地で踊り念仏を広めていく。というのが定説になっているが、一体どのように広めたのか。という疑問を解消するため、まずは一遍上人の移動距離について整理することにした。

 伊予(愛媛)で生まれた一遍上人は、九州太宰府で修行しており、一番北は岩手県となっている。これを文明の力を用いて距離をまとめることにした。グーグルマップである。

 長島尚道、砂川博、岡本貞雄、長澤昌幸、高野修各氏による共著、「一遍読み解き事典」(柏書房、2014年)に掲載されている一遍上人の移動の記録を用いて、グーグルマップに入力し、移動の距離とそれに伴う移動時間を算出した。

一遍上人移動距離と時間のまとめ GoogleMapによる

 一つ断っておきたいのは、あくまでグーグルマップ上で歩いて移動するを選択してたものによるので、現代の道路を使って移動した場合の想定となる。当時よりも道が舗装されているので歩きやすい箇所があることなども考慮に入れるので、この通りではない。

 これで私が知りたかったことは、一遍上人は移動にどれだけの時間を費やしたのかということである。移動にかかる総時間は、9週間余りという結果であった。しかし、グーグルマップは、あくまでノンストップで歩き続けた場合の時間を示すので、休憩や一日にどれくらい歩けたかなども考慮しなければならない。

 ここで、当時の旅について参考になったのが、一遍上人と同時代に生きた公卿で歌人の飛鳥井雅有という人物の日記である。彼は役人で、京と鎌倉を何度も行き来し、それを記録としていた。

 その中には、浅瀬の川は渡るのではなく、川の中を川沿いに歩いた方が早いということや、天候や災害などで橋がながされて川が渡れなくなった場合、何日も足止めしなければならないといったことなどが書かれており、当時の様子がわかりやすく書かれているものである。

 こういった旅日記なども参考にすると、一遍上人が移動に費やした総時間は長く見積もっても2、3年ほどではないかと私は見当をつけた。あくまで私の主観である。

 これを目安にした場合、再出家して遊行にである33歳から亡くなる50歳までの17年間のうち、ほとんどが空白の時間であるということになる。また、そのうちで踊り念仏について記されているのは7箇所なのである。

 つまり、一遍上人についてはほとんどわからないというのが事実であることが確認されたと言ってよい。そして、この空白をどのように読んでいくかということが課題となる。

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