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たたら製鉄から見えた信仰について。リアルグーグルマップをゆく。島根県安来市。

 リアルグーグルマップ。今回は島根県安来市の和鋼博物館に赴いた。

 出雲国風土記によると、安来市はスサノオノミコトが「吾が御心は安平(やす)けくなりぬ」と言ったことから、安来と名付けられたとされている。

 スサノオノミコトによって退治されたヤマタノオロチの尻尾から出た剣が草薙剣で、天皇の三種の神器の一つである。

 これは、スサノオノミコトが出雲地方のたたら製鉄の技術を持つ豪族を退治し、刀を献上させたことを表しているとも言われている。

 たたら製鉄とは、古代から近世にかけて発展した製鉄法で、主に刀の原材料となる玉鋼の生産を目的としたものであった。和鋼博物館では製法の過程映像や道具などが紹介されており、国内唯一のたたら製鉄の博物館である。

 今は年に一度、春に行われているという製法過程を収めた映像を見せて頂いた。その中で、職人とその家族と思われる人々で成功祈願のしているシーンが映し出された。日常的な一風景として映し出されたこの映像に、私は日本の信仰の原風景を感じた。

 信仰とは、神や仏を信じることや宗教的な意味で使われることがほとんであるが、本来は純粋に「信じる」ということである。それは、神や仏を崇拝するということではなく、たたら製鉄であれば、「うまく製鉄ができますように」ということである。

 山岳信仰にしても海洋信仰にしても、山に狩に行く、海に出る、「無事に帰って来れますように」とみんなで祈願する。神もなにもなく、ただただ無事を願うということしかない。そして、「無事に帰ってきてくれてありがとう」、ただこの繰り返しであったものが、神という目に見えない何者かのおかげだという風に変わっていっただけではないか。

 つまり、神とは結果として作り出された概念でしかないということである。それがいつしか、親から子に「鉄の神様がおってな」といった具合に言い聞かせてる間に、祈りと神の順番が入れ替わり、神を信じるというものに変わっていったのだろう。

 製法過程の映像の話に戻す。みんなで一丸となって祈願する姿は、成功を祈るだけではなく、「みんなで怪我に気をつけよう」「みんなで助け合ってがんばろう」と言ったような気持ちが表れているようで、とても前向きな姿に映った。神や仏といったことは全く別の、どこか、人としての美しさが見えるような思いであった。

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