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日本のセメント王。富山県氷見市。グーグルマップをゆく㊵

 グーグルマップ上を適当にタップして、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は友人にタップしてもらった富山県氷見市。

 「氷見」という言葉の由来について、氷見市のホームページでは、以下のように説明されている。

1、古代、蝦夷防備の狼煙を監視する場所で、狼煙の火を見るところだから火見と言った。
2、海をへだてて、立山連峰の万年雪が見えるところだから氷見と言った。
3、海の漁り火が見えるところだから火見と言った。
4、海が干し上がって、陸地になったところだから干海(ひみ)と読んだ

氷見市公式ホームページより転載

 氷見には城が少ない。それも、肥後菊池氏の末裔である菊池武勝が流れ着いて築城した阿尾城くらいで、あとは武将らしい武将も出ていない。

 氷見の由来が蝦夷防備の狼煙を監視する場所ということであったが、もしそうであれば、その後も重要な場所として発展するはずであるが、どうもそうではなかった。

 実際、氷見から蝦夷の方角を見ると佐渡島があり、蝦夷まで見渡せるとは思えない。越後の上杉氏に対抗するならば格好の場所と思われるが、それは素人考えなのかもしれない。とにかく、穏やかで平和な土地であったらしい。

 幕末、ここから浅野総一郎という「日本のセメント王」と呼ばれる実業家が排出される。医者の家に生まれ、結婚と離婚を何度も繰り返し、事業を起こすも失敗し、二十三歳で東京に出て、砂糖冷水売りから始めて、資金を貯めて、そこから竹皮商、薪炭商、石炭商、コークスとコールタール事業、そしてセメント事業で大成功し、京浜工業地帯の礎を築くに至り、渋沢栄一などとともに明治を代表する偉大な実業家の一人と数えられる。

 浅野総一郎は何か一つの事業に賭けると言うよりも、事業をすることが好きだということである。これは渋沢栄一などにも通じるのかもしれない。一つの成功経験に依存するわけでもなく、成功も失敗も含めて事業をしていることを面白がっているという風である。

 こういった人物が、氷見のように穏やかな土地から排出されたことが非常に面白い。

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