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鉄の国、宍粟。兵庫県宍粟市。グーグルマップをゆく #55

 グーグルマップ上を適当にタップして、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は兵庫県宍粟市。

 宍粟市は兵庫県の中西部にあり、西のど真ん中に位置する。関西と中国地方のちょうど真ん中でもあり、歴史的に非常に重要な土地でもある。歴史は古く、律令国家時代はは宍禾郡(しさはのこおり)といい、平安期までは「しさは」と呼ばれ、それが訛って「しそう」となった。

古事記に書かれた天日槍命

 古代、朝鮮半島の新羅の王子である天日槍命(あめのひぼこのみこと)は、妻の祖先の国である難波に向かおうとしたが、地元の神に邪魔をされて但馬国に留まったと古事記に書かれている。

 日本がまだ日本と名乗る以前、国内に国がいくつもあった頃、朝鮮半島との交流が盛んい行われていた。天日槍命の妻の祖先が難波出身であったことが何より関心を引く。日本では何かと渡来人の話が出るが、日本から朝鮮半島に渡った人もそれなりにいたということである。朝鮮半島から見れば日本から来た人が渡来人である。

日本書紀に書かれてた天日槍命

 また、日本書紀には、新羅から船に乗って播磨国にやってきた天日槍命に朝廷が宍粟の地と淡路島を与えようとしたところ、これを断り、「自分が住むところは自分で探す」といい、淀川を遡って近江、若狭へち行き、但馬国に辿り着き、そこに住むことにしたと言う。

 但馬国を出発した天日槍命は結局但馬に帰って来るという話になるのだが、これはどう受け取るべきか。

 大阪、京都、滋賀、福井と見て回った結果、「やっぱ但馬国がいい」となったのか。全く違う土地に辿り着いたと思ったのだが、但馬国だったということなのか。後者であるとするならば、なんとお茶目な王子らしいエピソードである。

天日槍命と宍粟

 天日槍命は、新たな製鉄技術を伝えるためにやってきたとも言われている。中国地方はたたら製鉄が盛んな地であり、これも渡来人によってもたらされたと言われている。また、宍粟は「千草鉄」と呼ばれる良質な鉄が取れるところであった。そのため、ここで新たな製鉄技術を試していようと思った可能性はある。
 天日槍命の名前は九州、中国地方、関西などではよく見る。一人であったかもわからないし人名であるかどうかも実際のところはわからない。しかし、但馬国を語る上ではキーワードとなっていることは確かであり、古代において人が住みやすい土地であったことは間違いなく、宍粟もまたそうなのだろう。

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