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キリスト教信仰の証言[1] -祈られた胎児-

キリスト教と一切、無縁の家庭で育った私が、神の導きによって、どのように主イエス・キリストを信じるようになったかを振り返ってみたい。

「あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。 わたしはあなたに感謝をささげる。 わたしは恐ろしい力によって 驚くべきものに造り上げられている。 御業がどんなに驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。 秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。 あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。 わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。
https://bible.com/bible/1819/psa.139.13-16.新共同訳」
‭‭詩編‬ ‭139:13-16‬ ‭新共同訳‬‬
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1994年の7月、それは夏の暑い日だった。汗まみれの私は、プロテスタントの某教会で信仰告白をした後、三位一体の神の御名によって洗礼を牧師から授けられた。

東京での大学生活を夢見て、地元の北海道から上京して一人暮らしを始めたのだが、希望はすぐに失望に変わった。たくさん勉強しようと決めていたので、いくつかの学術系サークルに出入りして、将来は政治家になるか、大学院に進学して研究者になるか、自分の中ではその二択だった。

時計の針を巻き戻すならば、私は出産時の医療ミスにより、吸収性右腕分娩麻痺という身体障害を被って誕生した。右腕が完全に麻痺して動かせない状況だったのである。市役所から職員が来て両親に「お子さんの右腕を手術で切断するならば身体障害者手帳1級、障害年金1級となります。しかし、切断せずにリハビリを受けるなら福祉制度は利用できません」と伝えたという。両親は悩みに悩んで右腕を残してリハビリを選んだ。赤ちゃんの時の写真を見ると、私は右肩と右胸、右腕を医療器具でしっかりと固定された異様な姿勢で動けないのである。確かに仰向けになっている他なかったので、天井の光景しか記憶にない。

そして、私は身体障害者リハビリテーション・センターで、他の障害者たちと一緒にリハビリを受けることになった。誰もが内気であり、職員は優しく、私は環境に馴染んでいた。

一通りのリハビリを終えて、いよいよ、幼稚園に編入することになったのだが正直、母親から捨てられたと勘違いして大号泣したことをはっきり覚えている。保育士が慰めてくれたし、その後も色々とフォローしてくれたが、幼稚園児たちは障害児たちとは明らかに違って元気で外向的だったため、ノリについていけず、いつも一人ぼっちで疎外感が大きかった。

そんな私の友だちは地元の空き地だとか、自然の豊かさだった。芝生の上で大空を見上げるのが大好きで、綺麗な空気が美味しかった。

当時も今も、障害者差別があったため、両親は私を障害者としてでなく健常者として育てることを実践していた。そのことが私の人格を歪曲させ、アイデンティティー形成と劣等感に苦しむ原因となった。「他の人々にはできることが、自分には何故、できないのか」と。

不自由な体を克服するために両親が提案したのが「勉強すること」であった。小学生の時から「あなたはただでさえ体が弱いのだから、一流の大学に進学して選択肢を増やしなさい」「読書はずっと残るものだから本を読みなさい」と言われても成績は底辺だった。リハビリのためにバスケ部に入部させられて、同じ理由で習字教室に行き、ボーイスカウトの活動をすることになった。加えて、塾に通って勉強する日々だったため、休日などなかった。

高校生の時、進路に困り果てた。両親に「中学の時から目標にして頑張ってきたので漫画家になりたい」と言ったのだが軽く一蹴され、受験勉強をして大学に進学する以外の道は否定された。生徒会とバスケ部を辞めて、高校1年の秋から本格的に受験に向けて勉強することになった。英語でお世話になっていた担任が中央大学の法学部出身だったため、第一志望は迷うことがなかった。他に明治と法政を受験したが、すべて合格してしまい、両親を見返したつもりだった。あの時ほど歓喜して泣いたことはない。

さて、表面的には受験生の話に過ぎないが、内面では複雑な毎日を送っていた。私はキリスト教の異端であるエホバの証人による訪問伝道で、幼少期から偽りの聖書とその教えに騙されていたのである。彼らは両親不在の時を狙って頻繁に私を教えた。ある日、「エホバ様と祈れば幸せが訪れる」と言われたのだが、ひょんなことから思いっきり母親から怒られた私はいつものように号泣していたが、ふと「そういえば祈れば何かあるらしい」と思って、彼らに教えられたように祈ったのだが、神の沈黙というあまりにも恐ろしい時間が流れるだけで、神の不在を強烈に意識した。その時から私は彼らから騙されたことに気付き、「神なんて絶対にいない」と憤激して、怒りの涙を流した。高校生の時にはすっかり理論的で攻撃的な無神論者になっており、エホバの証人の訪問者を論破して会うこともなくなった。初詣などの宗教行事でさえ嫌悪して、神社の賽銭箱にお金を無駄に投げ入れる友人たちを心の中で馬鹿にしていた程である。

キリスト者になった頃も、エホバの証人が訪問して来る度に、聖書を何度も読み込んでいたので、どこからでも神の言葉を引用して次々にキリスト教の異端を撃退していた。

しかしながら、同時に「無神論者たち、特にフランスとか、ドイツの作家や哲学者たちは何故、キリスト教だけを作品の中で徹底的に攻撃しているのだろうか」と疑問を持ったので、彼らが批判する本物の聖書を読もうと決めた。学校の友人にキリスト者を探して聖書を得ようとしたが見つからず、聖書は入手できない…と諦めていた。後日、忘れかけていた時に同学年の少し面識のある男子から「お前、聖書が欲しいんだって?俺は信じてないけど、親がカトリックでさ、聖書を渡すように言われたんだ。ほい、これ」と渡されたのが、新共同訳の聖書だった。もちろん、しっかりと料金は取られたw

聖書はとにかく分厚い。こんな本は初めてで、どこから読めば良いのか、さっぱり分からない。とりあえず、いつものように最初の頁から開くと創世記となる。神が人間を創造してエデンの園から追放する箇所に怒りが沸点に到達した。「神は人間が罪を犯すことも知っていたはずだ。何故、エデンの園から追放したのか。訳がわからない」と怒って、改めて自分の無神論を貫こうと決めた次第である。「人間は、俺は神のロボットじゃないんだ」と。

話を大幅に省略するが、大学生でキリスト者になってから、北海道の実家に帰省することになった。信仰者となってから初めての帰省である。すると、家に見知らぬ婦人が母親と楽しそうに喋っている。「誰だ、この人…」と思ってウロウロしていたら、キラキラした雰囲気を持つ婦人は「あら、大きくなったわね!」と話しかけて来る。どこかで会ったっけ?記憶にないから困った。どうやら母親の親友でカトリックの方らしい。私が母親の胎内にいた時から「キリスト者になりますようにって毎日祈っていました」と言うではないか。キリスト教とは無縁で、自立のために選んだ信仰が祈られた結果だったことに仰天した。婦人の名前は上田さんという。次の週、上田さんは息子さんがバチカンに行った際の十字架、聖書地図、信仰書などをたくさんプレゼントしてくれて更に驚いた。プロテスタントの教会で洗礼を受けた時は、10年ぶりの受洗者だったにも関わらず、教会員の殆どが礼拝に参加しておらず、何のプレゼントもなかったからである。逆に牧師から、献金袋を渡されて毎月献金してくださいと要請されて幻滅していた。

それから数年後、母親から上田さんが病気で亡くなったことを聞いた。プロテスタントの教会生活は長期に渡り、牧師として召命を受けて開拓伝道を始めてから、千差万別の問題に苦しみ、「プロテスタントの神学だけでは通用しない。そうだ、カトリシズムも学んでみよう」と思いつき、上智大学主催の神学講座とか、イグナチオ教会の信仰講座で学ぶようになった。その時、謎に上田さんのことを思い出して「そういえば彼女もカトリックだったな。霊名は何だろう」と思ったのである。調べてみると、上田さんの霊名は「モニカ」だった。アウグスティヌス著作集で、アウグスティヌスが大好きになっていた私はその母親のモニカが上田さんの霊名だと知り、神からの何らかの導きを確信した。カトリックに転入会しようと思ったが、色々あって、それは主からストップがかかった。主は私がどこかの教派に所属するのでなく、ひたすら福音を伝えるように、キリストの信仰だけにとどまって礼拝するように、開拓途上の教会で礼拝を捧げるように導かれた。だが、内村鑑三でさえ、霊名はヨナタンとしていたし、プロテスタントの枠組みでも霊名は問題なしと考え、私たちの教会では霊名を導入している(義務でなく個人の自由)。言うまでもなく、私の霊名は「アウグスティヌス」である。

カトリックに祈られて、聖書を渡された上で、プロテスタントの聖書研究会から教会に辿り着いて、最終的にプロテスタントの教会で受洗したが、牧師として開拓した教会はリマ式文、即ち、カトリックとプロテスタントの和解の印としての式文に準拠して礼拝を捧げている。使徒信条と主の祈りはカトリックの訳を使い、教会の公用聖書は新改訳2017だが、個人的次元ではフランシスコ会訳との併読を推奨し、ロザリオの祈りも捧げている。ある意味で、修道会的な教会となっており今後も、主が導かれたカトリックとの交流を継続させていく予定である。

何にせよ、母親の胎内に宿った時から、キリスト者の祈りが捧げられていたからこそ、聖書の福音が心に響き、キリスト教の異端から守られたというのは事実である。

今回は、キリスト者から祈られていたから無神論者が救われたという内容でした。時系列順には書けませんが、次回も証言していきたいと思います。



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