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『ぼちぼちいこか』 上田正樹と有山淳司


 関西方面の軽音楽は、1960年代後半に高石ともやや五つの赤い風船、岡林信康を輩出した。これを第1次フォークブームといい、労音を中心にその波は全国へと広がりを見せて行った。そして拓郎、陽水やGARO、さだまさし、荒井由実といったメガセールス文化へと成長していった。これは“第2次フォークブーム”“四畳半フォーク”そして“ニューミュージック”という流れとなって現在のJ-POPにつながる。
ところで、全国でフォークが大流行している1970年代半ば、関西にもう一つのムーブメントが起きた。それは関西ブルースと呼ばれた。
 ウェスト・ロード・ブルース・バンド、上田正樹とサウス・トゥ・サウス、ソーバット・レビューなど、“いなたい”音楽が、むさ苦しく鳴り響いた。特に上田正樹とサウス・トゥ・サウスはミュージシャンの間でも人気が高く、エンターテイメント性も抜きん出ていた。
 僕は高校時代に、彼らのライブを日比谷野外音楽堂で目撃した。RCサクセション目的でライブに出かけたのだが、どういうわけかRCは彼らの前座扱いだった。1981年当時のRCは飛ぶ鳥を落とす勢いで音楽シーンを駆け抜けており、誰がどうみてもRCのファンで埋め尽くされた日比谷野音であった。しかし、RCが早々と演奏を終え、観客も戸惑っているところにサウスはやってきた。バンドメンバーが一人一人登場し、楽器を持ち、音を重ねていく。ソウルショーの始まりである。メンバーの最後に上田正樹(キーボー)がよろよろと現れ、シャウトすると、RCのミーハーな女の子のファンもそれまでの不満な顔から音楽を楽しむ顔に変わっていた。
舞台の袖にはRCのメンバーが胡坐をかいて楽しそうに見物していた。
 関西弁をそのまま歌詞に載せる庶民的で飾らない言葉とブルーズミュージックが混濁し、アメリカのダウンタウンを想起させる作品がスピーカーから聞こえたとき、それまでのフォークやロックとは別物のパワーを感じた。特に上田正樹のハスキーというよりしゃがれた声で、オーティスのように歌い上げている作品を聴いたとき、最初、日本語に聴こえなかったくらいだ。

 上田正樹と有山淳司の『ぼちぼちいこか』(1975)は、アコースティック・ブルーズの名盤である。当時のサウス・トゥ・サウスのアコースティックパートとして、関西ブルースの王道を行く作品である。上田のヴォーカルと有山のギターが、大阪の風景を描写する。関東人には中々わかりづらいユーモアセンスもあるが、平成の今、お笑いブームや関西弁の全国進出により30年前の感覚と全然違っていることに最近気づいた。けっして上田や有山がお笑いといっているわけではない。関西弁の持つユーモアと言葉のリズムにやっと追いついたということかもしれない。
中学時代にこのアルバムを聞いた時は、本当に外国の歌を聴いている感じがしたのだ。
 曲のタイトルを並べてみても、そのユニークさはわかると思う。
「大阪へ出てきてから」「可愛い女と呼ばれたい」「あこがれの北新地」「Come On おばはん」「みんなの願いはただひとつ」「雨の降る夜に」「梅田からナンバまで」「とったらあかん」「俺の借金全部でなんぼや」「俺の家には朝がない」「買い物にでも生きまへんか」「なつかしの道頓堀」
 
 作品の随所に出てくる大阪の地名と軽快なラグタイムブルースを聴いていると、大阪観光をしている気分になるアルバムである。
このアルバムの制作時、ギターの有山は22歳である。いやはや何と早熟なギターなのだろう。

 サウス・トゥ・サウスについてはまたの機会に書いてみたいが、このバンドもものすごいパワーのバンドで、ソウルミュージックショーをエンターテイメントとして捉えていた和少ないバンドだと思う。
みんなきったない格好で、全員ローディーに見えるのだが、楽器を持たせたら天才的な人ばかりの“いなたい”バンドである。
 上田正樹はそのバンドを従え、細い体を左右にゆすって、声を絞り出すパフォーマンスを繰り広げた。
 “ぼちぼちいこか”は“そろそろ行ってみようか”というよりも“そろそろ本気出すよ”と受けとめたほうがこのアルバム発表時のサウス・トゥ・サウスの活躍ぶりから言いえている気がする。

2006年5月12日
花形

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