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渋谷

 人間の行動パターンはそんなに簡単に変わるものではない。朝パソコンに向かうとき、インターネットで必ずチェックする“お気にいり”が数個あって、それらを閲覧しないと1日が始まった気にならない。これは習慣みたいなもので、これをしないとリズムが狂うというやつだ。
 リズムといえば、僕には以前渋谷に行くと必ず取っていたルートを持っていた。それは1人の時も友達といる時も、デートの時でさえも、そのルートを通らないと渋谷に行った気がしなかった。
駅から公園通りを上り、中古レコード屋の“ハンター”をチェック。その後、パルコ方面に降り、ハンズの前のレコファンとシスコレコードで中古盤や外盤をチェック。目当てのものが無い時は、そのまま、タワーレコードでめぼしい盤を探す。ある程度戦利品を得たときは、そのまま道玄坂のBYGか、OHWADAのサンドイッチを食べに行く。これがパターンだった。もちろん、途中途中でイシバシ楽器のビンテージ館などに立寄り、オールドのレスポールなんかを見ながらため息をついていたこともあった。

 僕が渋谷に通い始めたのは小学5年生からだ(1975)。その頃は半蔵門線も通ってなく、田園都市線と東横線を乗り継ぎ渋谷に出ていた。第一の目的は映画だった。気の利いた映画は、渋谷か新宿、日比谷が相場だったから、家から一番近い渋谷が選択されたのは自然の流れだった。
 中学に上がると(1977)、ドラムをやり始めたことも手伝って、ヤマハ渋谷本店が映画の後にメニューに加わった。ドラムを試奏できるコーナーがあったので、そこでへたくそなリズムを刻んで悦に入っていた。
 渋谷は、まだ文化村(1989年オープン)も109も無く(1979年オープン)、西武デパートやLOFTも無かった。東急文化会館と五島プラネタリウムがぽつんとあった記憶がある。道玄坂から宮益坂にかけて町並みがスッキリしており、メインストリートから1本奥に入った道筋、例えば、東急プラザの裏や百軒飲み屋街の地区は闇市のなごりがたくさんあり、おしゃれな女の子が歩く今では考えられない場所だった。
 高校生になると(1980)、僕のメニューにデートコースが加わる。今まで歩いたことも無いブティック街やパルコに緊張しながら入ったのもこの頃だ。ファイアー通りが脚光を浴び始めていた。また、ライブハウスに初めて入ったのも彼女と一緒だった。    
 今ではなくなってしまった小屋もたくさんあり、“ジャンジャン”“屋根裏”“LIVE INN”などがよく行ったライブハウスだ。酒やタバコはつきものの席に高校生が入っていることは当時としては奇異の目で見られたが、そんなの気にしちゃいなかった。
 それから時代錯誤も甚だしい人たちとの交流があり、道玄坂にたむろするヒップな人たちと過ごした店は紙面では書けないようなことが日常的に行なわれていた。

 僕が大学に入る頃(1985)は、渋谷はだんだん昔の面影が薄れ、後に109パート2も建てられた(1987年オープン)。当時の渋谷駅前の風景は三千里薬局の赤い看板が大きく目立っていたが、今ではでかいビルに囲まれた本当の谷になってしまった。ハチ公の場所が移動され、モヤイ像が建てられ、みんなの集合場所が分散したのもこの頃だ。僕は高校時代に伊豆七島にキャンプに行ったことがあったので、モヤイには馴染があったから、もっぱら出来たばかりのモヤイ像が待ち合わせの場所だった。そして彼女とは、裏通りの“ナカヤ無限堂”のようなインド雑貨を覗いたり、代々木公園でお昼寝したり、のんびりとしたデートコースが昔の渋谷にはあった。もちろん歩き疲れると円山町の奥に行けば休む場所はたくさんあった。
 今、渋谷の街を歩くとカラオケ屋とゲームセンターが乱立し、ホストのようないでたちのスカウトマンが、獲物を狙う怖い街になっている。娘を持つ親としては非常に心配な街である。しかし、当時の僕達を当時の大人達がどういう目で見ていたのだろうか。難しい問題だが、自己完結型の悪さ(?)はあったかもしれないけれど、少なくとも人を陥れるような悪さはしていなかった気がする。ちなみに僕は、渋谷の交差点で警官に職務質問をされたことがある。そのときのいでたちは、まさにヒッピーで、薬の売人かと思われたようだ。
 渋谷は僕が社会人になった1990年あたりから本当に治安が悪くなった。今では聞かなくなったが、“チーマー”とか“ギャング”とか物騒な人たちがセンター街にいて、トラブルの多い街になっていた。僕は社会人になり、移動手段に車の頻度が高くなってきたこともあり、渋谷から遠ざかるようになっていった。

 いつの間にか“ハンター”は無くなり、OHWADAのサンドイッチもなくなっていた。
それでも、渋谷あたりで飲むと、BYGに寄ることは変わらない。酔っ払って道玄坂を上り、細い路地に入るとBYGの看板が浮かび上がる。左手にカレーのムルギーを確認し、“まだここもつぶれてない”と安心する。BYGの古ぼけた椅子に座り大音量の音楽に包まれる。ザ・バンドの“ラストワルツ”のポスターとニール・ヤングのポスターが20年前と同じ位置で迎えてくれる。しかし、だ。BGMが変わっていた。ブリテッシュ・ロックがかかっているじゃないか。ここはアメリカン・ミュージックしかかからなかったのに・・・。こんなところでも、時代が変わったのだな。


2005年12月26日
花形

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