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リッチー VS ゲイリー


 友達のM君は日本で売れ始めていたゲイリー・ムーアを毛嫌いしていた。彼はリッチー一筋。スキャロップド・ネックに加工された白いストラトを弾きながら屈伸運動にしか見えないリッチーのモノマネを彼はよく見せてくれた。
 僕はレインボーもゲイリーもそれほど違いがわからず、M君を相当がっかりさせていたのだが、ちょうどその頃発表された『コリドーズ・ オブ・パワー 』(旧邦題『大いなる野望』)(1982)は、なんかいいなぁなんて密かに思っていた。しかし、M君があまりにも毛嫌いするから、「ふーん。ゲイリーねぇ・・・。名前もあんまり良くないねぇ。ちょっと汚そうだし・・・」なんて話を合わせていた。
 M君は医者の息子。僕らは高校3年生。授業が大学受験シフトとなり自由登校になった瞬間、彼の家に悪~い友達がたくさん集まり朝から晩までぐちゃぐちゃな生活をしていた。
そこは、真っ昼間からデカイ音で音楽を聴き、エレキギターをマーシャルのアンプでかき鳴らすグループと、そんな騒ぎにはお構いなく麻雀に勤しむグループがひとつの部屋にひしめきあっていた。つまり、それくらい彼の部屋が広かったのだ。そして毎日のように、M君のリッチー教室が始まり、リッチー以外のギタリストはみんなタコになっていた(いやいや、M君はちょっと高崎晃に似ていたからラウドネスは許していたかなぁ?)。
 僕はそれでもゲイリー・ムーアの『コリドーズ・ オブ・パワー 』は意外と良かった、というようなことを言った時、M君は笑いながら「いやいやいや・・・どこがぁ?」なんて言うもんだから、「じゃ、何が悪いの?」的に聞き返すと驚くべき答えが返ってきた。
「ゲイリーって、こうじゃん!」
M君は両手でほっぺたをつまみながら、引っ張った。
「えっ?」
「だから、こうじゃん!ブルドックみたいじゃん。あんな顔でなに弾いたって格好良くないね!」
「えっ?じゃあMはゲイリーのアルバムは聞いたことないの?」
「ない!」
「ええええ!」
ってな会話をしたところ、さっきまで一筒を切ろうか四筒を切ろうか迷っていた(麻雀知らないと読み方すらわからんね)H君が、
「お前、いいかげんにしろよ、ゲイリー聞いたことねぇのに嫌いとか言ってんの?」と、ちょうど立つと腰の位置で雲海のようになっているタバコの煙を切り開きながら麻雀グループの中からやってくるではないか。
さぁ大変、そこから舌戦が始まり、挙句の果ては殴り合いの一歩手前まで発展した。(立直!)
リッチーVSゲイリー
最初のうちは・・・
「リッチーはロックだけにとどまらずクラッシックの要素も備え、スパニッシュギターの心得だってあんだぞ~!」
「いやいやゲイリーはアイルランドの厳しい社会情勢の中から現れた反骨のロックギタリストだぁ!」
「リッチーは60年代半ばではロンドンで売れっ子のスタジオミュージシャンで、様々な音楽に精通していて音楽の幅も広いんだ!」 
「ゲイリーは早弾きもすごいけどスローブルースを弾かせてもすごいんだぞ~!」 
といった会話が・・・。
「なんだあのハゲ!増毛しているんじゃねぇの。そんなロックミュージシャン知らねぇよ」
「ゲイリーなんてブルドッグみたいな顔しやがって。あんなブサイク、ステージに立つんじゃねぇ!」
「なにお!」
「なにおとはなにお!」
なんて具合になり、周りもこのアホらしい言い合いにどんどん参加し始めた。

「そもそもリッチーはわがままなんだよな。バンドメンバーをすぐにクビにしちゃうし・・・」
「ばーか!あれは妥協しない姿勢なんだよ。お前がリッチー語るの10年早いわ!」
「ゲイリーだってスキッド・ロウ、シンリジー・・・どれも長続きせんもんなぁ。人間的におかしいんとちゃうか?」
もう、めちゃくちゃな会話になっていった。
僕はどっちでも良かったんだけど、M君のあまりにも幼稚な理由に笑ってしまい、お前はどっちの味方なんだと凄まれる結果に。
しかし、けっこうみんなが口を揃えて言っていたことでミュージシャンについて好きか嫌いかという軸においてルックスってかなり重要なポイントを占めていたのには驚いた。女性アイドルならまだしも海外ミュージシャンをルックスで決めつけるなんてな・・・僕もしてたか!
 そういえば、僕もハゲとチビとデブはダメだったんだ。しかもオカマのエルトン・ジョンだけは歌はいいと思うけど客の前に立つミュージシャンとして否定していたしな。あいつは作曲家になればいいと思っていたくらいだった。
 そんなこんなで、リッチーVSゲイリー戦争は勃発し、その後もいつも集まるメンバーの中では話題となり、その戦争はVヘイレンVS Mシェンカーになったり、ツェッペリンVSパープルになったり、バウワウVSラウドネスなんてのもあったなぁ。松田聖子VS小泉今日子の時は・・・もういいか。
受験が控えているのにこういったくだらないことを1日中だべっているんだから、暇人というかなんというか、なんとも言えない時間だった。

 ただ、この論争について僕は一言だけ真面目に言い、みんながそれについてグウの根も出なかったということがある。
それは、「どんなに速く弾けたってどんなにギターが泣いていたって、そのギタリストが後世に残るフレーズをどれだけ作ったのか」ということ。
これを発言した後、場は静かになってしまった。
 僕の高校時代のリッチーVSゲイリー戦争について言うならば、その当時では圧倒的にリッチーの方が後世に残るフレーズを量産していた気がする。ヴァン・ヘイレンとマイケル・シェンカーだったらヴァン・ヘイレンと主張していた。それは、テクニックじゃないのだ。作曲能力というか曲の完成度というか(ヒットソングというのも一つのファクター)。

 そもそも芸術(曲の出来具合やテクニック)と商売(販売枚数)の関係が隣り合わせの世界の中で、演者に対して優劣を付けること自体が間違いなのだが、そんなこと当時の高校生に言ったって誰も理解することができない。そいつが格好いいか、悪いか。好きか嫌いかなのだ。
だから、終わらない論争に一石を投じた僕の言葉は座をしらけさせた。しかし、しらけたことイコールみんなそのことを理解したのだ。みんなは言葉遊びをしていたかっただけだったのか・・・。

 さて、ゲイリーの顔が嫌いと言ったM君。先日偶然にも彼に遭遇し、杯を酌み交わした。彼は立派な医者になっていた。リッチーは、長かった髪もキレイに禿げ上がったそうだが増毛(植毛?)をしてかろうじて頭を賑わしている。そんなところもM君は真似しているのかと聞くと真顔で「リッチーは増毛じゃないんだ。体質改善を行なってみるみるうちに生えてきたんだよ」と言うではないか。
「じゃ、Mは体質改善をしようと思わなかったの?」と聞くと、
「一度は試みたが、改善しなかったからこうやって増毛してるんじゃねぇか!」と笑いながら増毛剤を振りまく真似をした。
そこで、昔話の中でゲイリーの話をしたところ
「ああ、死んじゃったねぇ。ブルースアルバムではいいギターを弾いてたよね。『スティル・ゴット・ザ・ブルース』だっけ?あれ、いいアルバムだったのになぁ」
遠くを見つめる眼差しでエイヒレをかじるM。
「お前さぁ・・・ゲイリーのこと毛嫌いしてたじゃん。顔がブルドッグみたいだ、とか言って!」と僕。
「ああ、そんなこともあったな。あの時はリッチーしか見えてなかったからな。それよりゲイリー・ムーアは1987年に発表した『ワイルド・フロンティア』はいいアルバムって思ったよ。ちょうど大学生の頃でコピーもしたもんな。1990年に入ってからブルースギタリストになっちゃったからコピーなんてしなくなったけどね」
M君はいけしゃあしゃあと喋っている。
所詮こんなもんだ。でも、ルックスが嫌い(生理的に合わない)というマイナスポイントを覆すアルバム『ワイルド・フロンティア』はある意味凄いね。

 『ワイルド・フロンティア』は急死してしまった親友フィル・ライノットに捧げられたアイリッシュハードロックの名盤。つまり、彼のアイリッシュとしての人生が凝縮したアルバムとも言える。そして、僕が高校時代から思っている後世に残るフレーズがこのアルバムにはたくさんある。

2013年1月18日
花形

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