『THE FIRM』 THE FIRM
「ARMSコンサート」とは、多発性脳脊髄硬化症という難病に冒されたスモール・フェイセスのベーシスト、ロニー・レインのよる呼びかけにより、自身の高額な治療費とARMS(多発性硬化症の研究機関)の研究費捻出のために行なわれたチャリティー・コンサートである。
このコンサートは、エリック・クラプトン、ジェフ・べック、ジミー・ペイジが一堂に介した歴史的な出来事であり、時は1983年9月、イギリス・ロンドン・ロイヤルアルバートホールで開催された。3大ギタリストがセッションを行なうという事件も去ることながら、特にジミー・ペイジはレッド・ツェッペリン解散後、サウンドトラック『DEATH WISH 2』(邦題:ロスアンゼルス)(1982)を制作したが、ステージからは離れており、いったいどのような音を出すのかということもオーディエンスの話題の中心となった。
そんなジミー・ペイジのセットは、試合巧者のエリック・クラプトン、ジェフ・べックにリードされつつ、スティーヴィー・ウィンウッドの熱演と堅牢なバッキングミュージシャンの盛り上げの中、大盛況に終わった。
そして、コンサートそのものは一夜限りの夢とならず、プロモーターの大御所ビル・グレアムによりアメリカに持ち込まれ、ダラス、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨークの4公演が追加された。
イギリス公演時のジミー・ペイジのセットでヴォーカルを担当していたスティーヴィー・ウィンウッドは、アメリカ公演ではポール・ロジャースに替わり、ここにTHE FIRMの原型が作られた。
FIRM・・・強固な、 硬い と言う意味。
ラジオからその言葉を聴いたとき、「だっせー名前だな。農夫ってなんだよ!」と思ったが、それはFARMであり、FIRMは、実はとてもハードな意味だったのである。
さて、そんなことより、このバンド、相当な期待を持って迎えられた。
なんせ、あのジミー・ペイジが復活する。しかも、新バンドで。
ファン心理からすれば、何故ロバート・プラントと組まないのか、などといった基本的な疑問があったが、待たされ続けたファンとしては、とにかくジミー・ペイジに表舞台に戻ってきて欲しかったと言うことが本音だろう。
THE FIRM結成の一報はFMラジオだった。DJのシリア・ポールが結成のいきさつを簡単に紹介し、早速1曲目としてファーストシングル「ラジオアクティブ」を紹介した。
乾ききったゲートリバーヴの効きまくったリズムが、スピーカーから零れ落ちる。
そしてフレットレスベースがそのリズムの上を踊る。
(ドラムス:クリス・スレイド、ベース:トニー・フランクリン)
ポール・ロジャースのヴォーカルはブレることなく、唯一無二のキャラクターであり、音色だけは80’sになったブルースロックを形成していく。
ジミーのプレイもツェッペリンの頃のそれとは異なり、随分とポップなフレーズが目立つ。
以前読んだインタビュー記事でポール・ロジャース夫人だったマチさんは、
「あのプロジェクトは、ジミーに再びギターを持たせることが目的だった」みたいなことを述懐していた。まさにそんな印象のファーストアルバムである。ヒット曲は1stシングルの「ラジオアクティブ」がスマッシュヒットを記録。あとは目立った動きは無かった。
ただ、アルバムを通して聞くと選曲もかなり頑張っている。バリー・マンの「ふられた気持ち」をカバーするなど、ポール・ロジャースでなければ出ないアイデアである。決してロバート・プラントのヴォーカルでは聞くことができないだろう。
また、この当時のライブ映像を見たが、「ミッドナイト・ムーンライト」は後期レッド・ツェッペリンを彷彿させる出来である。もちろんこの「ツェッペリン」とついつい比較する表現になってしまうが、それはしょうがない事で、あれほどのビッグネームの次のバンドとなればその洗礼は受けざるを得ない。しかし、ジミー・ペイジが何を思ってポール・ロジャースを誘ったのかはわからないが、稀代のヴォーカリストであるポール・ロジャースを連れてくればそれなりの作品はできると言うことだ。
お互いにアメリカのブルースを基調とした音楽に影響を受けたイングリッシュマンである。そんなに目新しい化学反応は起きないが、さえない時期の2人ががんばって新しいことをやろうとした気概だけは感じ取ることが出来る作品である。
後にジミーはデビッド・カバーデイルと組んだり、ロバート・プラントと組んだりと同じような路線を行き来するが、その2つのユニットに比べたらTHE FIRMの方がよっぽど変化している。プラントもカバーデイルも何の化学変化は起きなかったユニットで、退屈極まりない。どうせツェッペリンには勝てないのだから、似たような音楽を再生しても比較されてポシャるだけなのだ。
THE FIRM。私は好きなバンドだし、ファーストもセカンドアルバムの『ミーン・ビジネス』(1986)も評価している。ただただ、セールスに結びつかず、印象も薄いバンドである。
2016年2月17日
花形
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