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キャンディーズが我が家にやってきた



 僕の家に突然ビデオデッキがやってきたのは、1978年のキャンディーズが我が家にやってきたことだった。キャンディーズが後楽園球場で普通の女の子に戻った4月4日から数えて数ヵ月後、ショッピングセンターの電気売り場では、毎日のように解散コンサートの模様を当時発売されたばかりのソニー・ベータSL8500というデッキで放映していた。
学校帰りにいつもそこに立ち寄ると、キャンディーズの3人が泣きながら「つばさ」を歌っていた。
そこで見かけた1枚のチラシ。
「ビデオデッキモニター・キャンペーン。2週間貸し出します。特典:キャンディーズの解散コンサートビデオ進呈」
ほほう。いっちょ書いてみるか。

 1週間後、家に帰るとお袋が目を三角にしていた。
「あなた今度はまた何をやったの!電気屋さんが来て、テレビにこんな箱取り付けていっちゃったわよ!何なのこれは!・・・2週間後に取りに来ますだって!」

 僕は運良く、ソニーがビデオデッキ販売促進として行なったキャンペーンに当ってしまった。
とりあえず、キャンディーズを観た。3人の溌剌としたステージと最後の紙テープまみれになって泣き崩れる様は、今でも覚えている。3人とも普通の女の子に戻った瞬間である。
ソニーのベータデッキは今のデッキの2倍くらい厚みがあり、再生ボタンもガッチャンっていう感じの押しボタンタイプだ。チャンネルに至ってはダイアル式で、リモコンは何とワイアードである。

 僕は、2週間の間、テレビ番組を録画するわけでもなく、何回かキャンディーズを再生しただけだった。
そして2週間後、電気屋さんは、ソニーの営業マンを連れて訪問してきた。
そしてビデオデッキの商談を始め、約23万円の金額を提示してきた。さすがに僕も親に買ってくれとは言えなかった。
しかし、営業マンは言う。
「ビデオデッキが今日から無くなっちゃいますとこの差し上げたキャンディーズのビデオが見られなくな
っちゃいますよ。」
お袋は強い。
「キャンディーズが無くても生活には困りません。」
僕の家には見ることができなくなったベータのキャンディーズ解散コンサートのソフトだけが残った。

 キャンディーズは今聴くと非常にレベルの高いヴォーカルグループだったことに気づく。

1973年~1978年までの約6年の活動の中、多数のヒット曲を持ち、ピンクレディーとは違ったキャラクターで人気を二分していた。お姉さんキャラが10歳も年下の僕には非常に親近感を覚えたし(文化放送の《ハロー、キャンディーズ》はアイドルっぽさを排除し、本当に隣のお姉さんが話をしている番組作りであった)、歌だけではなく積極的にバラエティー番組でコントを演じる彼女達に親しみを覚えた。
大ファンではなかったが、気になる存在のアイドルだった。

 因みにキャンディーズを手っ取り早く聴くならCD2枚組の『ゴールデン★ベスト/キャンディーズ』(2002)は2枚組のベスト盤を勧める。デビューシングルから最後のシングル「つばさ」までを完全網羅。加えてアルバムでの人気曲やシングルのB面がセレクトされている。バラエティーに富んだ歌の数々と3人の独特なコーラスワークが70年代を甦らせてくれる。

『ゴールデン★ベスト/キャンディーズ』


 1980年代初頭のMTVブームや1984年のロスアンゼルス・オリンピックにかこつけてビデオ時代が到来し、ビデオデッキの価格も下がった。しかし、それでも20万円前後のプライスを付けていた。僕の家に本格的にビデオデッキが投入されたのも丁度その頃だ。当時購入したビデオはビクター製のVHS方式。当然キャンディーズは見ることができなかった。結局キャンディーズの大ファンだったY君にそのテープをあげてしまったが、彼もVHS派だった。

2006年2月25日
花形

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