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『アー・ユー・レディ!』 アトランタ・リズム・セクション


 友達とレコード屋に入った。
友達は嬉々として「R」と記されたコーナーに飛んでいく。私は、ゆっくりと「A」のコーナーへ。アヴェレージ・ホワイト・バンドの『アヴェレージ・ホワイト・バンド』(1974)とアトランタ・リズム・セクションの『アー・ユー・レディ!』(1980)を取り出した。

 親戚の家に遊びに行き、レコード棚を漁っていたときに目にしたバンド。叔父に尋ねると「お前、時代はテクノとか流行っているけど本当の音楽ってえのは基礎がしっかりしたこういうコンテンポラリーな音楽だよ。南部ロックにだってレベルが相当高いバンドもあるわけよ」などと訳のわからないことを言われながら聴いたのが、アトランタ・リズム・セクション(以下ARS)。
その時はふーんってな感じで、フィリーソウルとは違ったしなやかさのあるバンドね、という感想。でもってこれ、ロックなの?みたいな感想。
 で、もう1枚、アヴェレージ・ホワイト・バンドのアルバムを取り出して聴いていたら、「お前、このイギリス人が出すブラックなノリ。わかるか?いつまでもクラプトンじゃねぇぞ。しょせんクラプトンなんざ、黒人の真似事だ。ペンタトニックをペンペンと指癖で弾いているようなもんだ。その点、こいつらはノリが違う。黒人のノリを研究している。いや、もう黒人だ。黒人ということにしておこう・・・」なんて言い出す始末。これもふーんってな感じで、ディスコサウンドの基礎という感じ。ちなみにアヴェレージには白人だっているよ。
しかし、2つのバンドには何か引っかかるものがあったから、レコードを購入しようと思ったのだ。

 時は1980年。私が高校1年の時のことだ。
レコード屋で悩むこと30分。友達のY君はすでにレインボーの『ダウン・トゥ・アース』(1979)を手にしており、早く家に帰って聴こうぜと私を急かす。リッチーが、とかコージーが、とかロニーがいなくなっちゃったんだよ、とか言ってるやつに私の悩みを聞いてもろくな答が返って来るとは思えなかったので、ここはひとつジャケ買いを試みた。
もちろんARSの『アー・ユー・レディ!』である。
野外コンサートを俯瞰から撮った人の海。ウッドストックを髣髴させる雰囲気にやられたのだ。2枚組ライブ盤なので出費は大きかったが、期待も大きかった。

 自宅に戻り、友人はすぐに私のターンテーブルにレインボーを乗せた。
「グラハム・ボネットって誰?」なんて言っているやつに・・・止めておこう。しかし、軽いという印象は「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」だけのせいではない。本当にコージー・パウエルのドラムか、とクレジットを見直した。
さて、「ロスト・イン・ハリウッド」も終わり、友人が首を傾げながらレコードを片付けた後、わたしはARSをターンテーブルに乗せた。
映画「風と共に去りぬ」の舞台となったアトランタ。その映画で使用された「タラのテーマ」からの紹介アナウンス。そして「スカイハイ」でスタート。この興奮はナンだ?
 アルバムは、1971年にデビューしたARSの9年の歴史を辿るような選曲でベスト盤の要素もあった。そして、叔父の家で聴いたスタジオレコーディングでは感じることができなかった高揚感がこのアルバムからは感じ取れた。
もともとは南部ロックというカテゴリーで聞き始めたので、オールマン・ブラザース・バンドやレイナード・スキナードを想像していたが、もっと洗練された都会の音がしたのは、彼らがスタジオミュージシャンの集合体ということも起因しているのか。
 職人集団なので変幻自在に音を操ることは容易なのだろう。そこへ行くとブルースに根ざした集合体ではこうはいかない。叔父が言っていた「基礎がしっかりしたコンテンポラリーな音楽だよ」というのはこういうことなのかと思ったものだ。
ライナーを眺めつつ興奮しながら聴いていると、友人のいびきが聞こえる。こんなやつにARSの良さは伝わらないだろうから、起こさずそっと毛布を掛ける私。
 それから、私はARSを遡って聴いていった。
1976年発表の『A Rock And Roll Alternative』(邦題「ロックンロール魂」って誰が付けた?センス無さすぎやろ)は、南部ロックというよりもAORの音がしていてライブから入った私は少々物足りなかった。しかし、このアルバムあたりがセールス的にも内容的にも一番良かったのではないかと思う。わかりやすいしね。
 ARSは日本でのヒット曲は無く、認知度も低い。まるでグレイトフル・デッドのような扱いである。それはオールマンもそうだが、長い演奏やインプロビゼイションを多用するバンドは、「歌は3分間のドラマであります」と紹介され続けた日本の土壌には合わないということなのだろう。
 もちろんアメリカにもアイドル番組やビートポップ番組はあり、3分間の音楽は存在するが、それ以外に「音楽」という「文化」に対する懐の深さが日本の音楽産業と一線を画している。
例えば、ご当地の音楽(フィラデルフィアサウンドや南部サウンド、ウェストコーストサウンド。そして、そこに根ざすカントリーミュージックやブルースミュージックなど)を守り続ける地方色豊かな土壌がその土地のミュージシャンを育んでいるから、本当に音楽で楽しみたいと思っている人が多く、妙なコマーシャリズムには流されないということも言えるのではないだろうか。
それが証拠にARSはメンバーが次々と鬼籍に入る中、いまだに活動を続けているバンドだからだ。

 音楽業界ではヒット曲が一つの指針となるが、音楽を継続しているということはもっと重要なファクターであり、そこにはかけがえの無い文化が生まれるという奇跡を多くの人々が目撃することになる。
その事象は商売を度外視した熟練工の成せる「音楽」の奇跡なのかもしれない。

2019/7/11
花形

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