「ありのままの自分」ってなに?
2018/01/29
サティさんから質問いただきました。
Q:いちかわさんはじめまして。
いまさらかもしれませんが
私この間初めて
「アナと雪の女王」
を見たんですけど
そこで流れる
「ありのままの」
という言葉になんとなく
違和感を感じてしまいました。
「ありのままの私」
ってなんなんですかね。
「本当の自分」とは
また違う意味になるんですか?
いちかわさんはどのように捉えてますか?
みんな仮面をかぶって生きている
A:アナと雪の女王
すごいブームになりましたよね。
僕も見ましたが
サティさんと同様
「ありのままの」
というフレーズに
違和感を覚えました。
「ありのままの自分」
という言葉が
これだけ流行るということは
みんなありのままじゃない
「偽りの自分」の
仮面をかぶって生きてるの?
とか
みんな「本当の自分」を
探すために生きてるの?
とか
当時はそんなことばかり
ぐるぐる考えていました。
そんな僕の疑問に
答えを出してくれているかのように
世の中では
「自信のつけ方」や
「自己肯定感をあげる方法」
などの書籍やメディアが
どんどん増えていきましたよね。
その現象を振り返って
今の僕はこう思います。
「みんなそのままでいいのに」
と。
「ありのままの自分」を見つけるのは難しい
そもそもアナ雪が
伝えたかった
「ありのまま」って
どういうことかというと
「短所や苦手な部分もあるし
もちろん完璧でもないけど
そういう自分のマイナスな要素も
全部さらけだしていいんだよ」
「カッコつけない
着飾らない
本来の自分で
生きられるようになれば
人生は充実していくよ」
みたいなことだと思います。
でも私たちの現実は
どうでしょうか。
「嫌われたくないから
素の自分を見せられない」
「他人に対して
常に気を遣って取り繕って
毎日気疲れしてしまう」
「他人からの視線が怖くて
自分の意見が言えない」
「自分なんて
コンプレックスばかりで
どこにも魅力なんてない」
「そんなありのままの自分を
すべてさらけ出したところで
ヤバいやつ認定されるだけ」
これが現実なのではないですか?
だからこそ
普段ありのままを
生きることができていない
現代人にとって
アナ雪は良い刺激に
なったのでしょう。
「私もありのままの自分を
見つけてみよう!」
と奮起する人が
増えましたからね。
でも
「ありのままの自分を見つける作業」
って案外難しいんです。
なぜなら
「完璧でなくて」
「だらしなくて」
「短所や苦手な部分も多い」
「コンプレックスにまみれた」
そういう負の面も含めた
「自分の全て」
を知る必要があるからです。
「いろんな顔を持っている自分の存在に気づく」ことが大事
もちろん自分の
悪いところばかりだけでなく
良いところも全て
知る必要があるのですが
それでも人間という生き物は
悪いところばかりが
目についてしまうもの。
僕もこの作業を以前
やったことがあるのですが
御多分に漏れず
悪いところばかりが
目についてしまって
当時はかなり自己嫌悪に
なりました。
自分の中身を総点検した際に
出てくる感想は
人によって違うのでしょうが
僕の場合は性格がもともと
ネガティブなので
自分のことを
ゴミカス以下の人間だと
当時は本気で思っていました。
でも
どれだけ自分の性格がひどくても
価値観がねじれてても
最終的にはそれらを全て
受け容れなければならないのです。
そういう意味では
「ありのままの自分を見つける作業」は
難しいというよりも
「精神的に辛い」
と言っていいかもしれません。
ではもし
上記でお話した
ありのままの自分を見つけるための
作業が辛くて途中で断念
または挫折してしまった場合
二度とありのままの自分には
なれないのか。
といわれると
そんなこともありません。
繰り返しになりますが
アナ雪で
「ありのままの姿見せるのよ」
と歌われたあの日から
ありのままの自分を追い求め
自己肯定感をあげるための
本やワークが流行しました。
「ありのままの自分を見つける」
のと
「自己肯定感を上げる」
ことはほぼ同義語と言って
いいですからね。
どちらも自分のことを
100%受け入れ認め
愛すことができている状態
のことです。
でも先ほどお話した通り
自分のことを
100%受け入れる作業は
とてもしんどいのです。
じゃあどうすればいいの?
となると思うのですが
僕自身
「ありのままの自分」
なんて見つけなくていい
と思っています。
シンプルに
「いろんな顔を持っている
自分の存在に気づく」
だけでいいのです。
「そのままのあなた」で良い
そもそもみんな
「これがありのままの私です!」
と
自分をひとつのものとして
定義しようとしてますが
「ありのままの自分」は
「本当の自分」のことでは
ありません。
私たちは
職場にいる時の自分
家族といる時の自分
友人といる時の自分
ひとりでいる時の自分など
誰もが日常生活の中で
「数種類の顔を持っている」
はずです。
その使い分けてる
数種類ある顔の中から
「ありのままでいられる顔」
や
「本当の自分でいられる顔」
をみんな必死に
見つけようとしているのです。
まるで
「本物の顔以外の自分は
まがいものの自分です」
と言わんばかりに。
でもそうじゃないと
僕は思うのです。
例えがアレですが
ラヴィオリだって
スパゲティだって
ペンネだって
みんなそれぞれ特徴があって
みんなどれも同じ
「パスタ」のひとつとして
認知されてますよね?
その何種類もあるパスタの中で
「これが本物のパスタだ」とか
「これがパスタのありのままの姿だ」
とか言わないはずです。
それと同じように
「自分」に
本物もニセモノも
ありません。
どの顔も全て
「あなた」という同じ人間が
作り出している
パーソナリティです。
もしそのあなたの中にいる
個々のパーソナリティが
「嫌われたくないから
素の自分を見せられない」
「他人に対して
常に気を遣って取り繕って
毎日気疲れしてしまうな」
「他人からの視線が怖くて
自分の意見が言えないよ」
「自分なんて
コンプレックスばかりで
どこにも魅力なんてないよ」
と言っていたとしても
どうか否定しないであげて下さい。
数種類あるあなたの顔の中から
どれかひとつ
「ありのままでいられる顔」
「本当の自分でいられる顔」
を見つけようとしなくても
大丈夫なんです。
その数種類ある
あなたの顔のすべてが
唯一無二である「今のあなた」を
つくりあげています。
「数種類の顔を持つ自分が
多方面で頑張っているおかげで
今自分はなんとかここまで
やってこられているんだ」
このことに
気づくことができれば
「仕事の辛苦に耐えながらも
なんとか食らいついている自分」にも
「家族や友人に少なからず
気を遣っていつのまにか
気疲れしている自分」にも
「ひとりの夜に
泣いてしまっている自分」にも
きっと愛おしさのようなものを
感じることができるはずです。
それが僕の思う
「そのままの自分を認める」
ひとつの方法だと思います。
だから「ありのまま」
じゃなくていい。
「そのまま」
でいいんですよ。
おしまい。
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