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大人はもっと遊んでいい

2019/03/25

ひろとさんより質問いただきました。

Q:社会人二年目のサラリーマンです。

なんか最近
久しぶりに童心に帰って
オールでゲームをしたり
気になってる漫画を
大人買いして一気読みしたりとか
とにかく無性に遊びたい欲が
高まってきてます。

だけど実際
ゲームをしてても
漫画を読んでても
テレビを見てる時でさえ

「こんなことしてる場合じゃない」

とか

「もっと
生産性のあることしなきゃ」

とか

「もっとほかにやることが
たくさんあるはず」

などと考えてしまって
ちっとも楽しめません。

実際この間買って読んだ
自己啓発の本にも

「君が遊んでいるこの瞬間も
ライバルは前に進み続けている」

とか

「20代は時間の使い方で
人生が決まると言っても
過言ではない」

みたいなことが
書いてあったし
この間も
ふと見てしまった
進撃の巨人で

「なにも
捨てることができない人には
なにも
変えることはできないだろう」

ってアルミンが
名言つぶやいてるのを見て

「やっぱりなにかしなきゃ」

って思うんですけど
なんだかんだこの

「なにかやんなきゃ」

みたいな焦燥感が
ストレスになってるのも
事実なんですよね。

だけど
なにかやんなきゃって
考えてても
実際なにをやればいいのか
わかってないところが
またさらに焦燥感に
拍車をかけてます。

ダサいすよね。


このストレスから
逃れるためにまた
「遊びたい」
という欲が
出てくるのですが
その欲に負けると
さっき言ったみたいに
後悔とか罪悪感に苛まれます。

このいたちごっこに
どうにかして終止符を
打ちたいのですが
結局僕は
遊んでもいいのでしょうか?

それともここは社会人として
きちんと働いたほうが
いいのでしょうか?




大人だって遊んでいい!


A:ひろとさんこんにちは。

質問文を拝読する限り
ひろとさんはとても真面目で
将来はこうありたい
という自分像をしっかり
持っている方なのかなと
感じました。

そんなひろとさんに
僕からひとつアドバイスを
させていただけるならば

「オンオフの切替力を
身につけましょう」

となるでしょうか。

ひろとさんが読まれた
自己啓発本にもあるように
社会に出ると
とにかくまわりの大人たちが

「遊んでないで働け」

と口酸っぱく言ってくるので
自然と我々大人は

「遊ぶことに罪悪感」

を抱きやすくなってしまいます。

ですが僕は
どちらかといえば

「大人だって遊んでいい!」

と大手を振って
主張するタイプです。

その理由をこれから
お話したいと思いますので
よろしければ最後まで
お付き合いくださいませ。


なにより怖いのは「失敗すること」


子供の頃って
自由にのびのび
遊ぶことができましたよね。

僕が小学生の頃は
公園で野球をしたり
駄菓子屋に行って
ブタメンを食いまくったり
友達の家でゲームをして
盛り上がったり
たまに盛り上がり過ぎて
そのまま泊まっちゃったり。

仕事や人間関係の悩みや
他人からの視線や迷惑など
これっぽっちも考えず
好奇心の赴くままに
やりたいように遊べました。

でも社会人になると
そうもいきません。

やりたいように振舞っていたら
最悪警察に捕まって
懲役をくらってしまいます。

なので我々は
社会人になるにつれて
忍耐力や協調性
自律心や規律のある態度
その他もろもろを
習得しないといけないのですが
社会という
世知辛いコミュニティの中で
生きていると
どうやら余計なものまで
身につけてしまうようです。

それが

「失敗に対する恐怖心」

であると僕は思っています。


ミスや失敗が許されない社会?


大体のことは
ネットで少し調べれば
すぐに正解や答えが
手に入る時代になりました。

めちゃくちゃ便利になったな
とは思いますが
これは裏を返せば

「ミスや失敗が許されない社会」


できてしまったのではないかと
思うのです。

だってこれだけ
情報に溢れているのですから
なにかをしようとしたときは
最適解を求めてから行動した方が
効率的ですからね。

そんな中で
もし失敗でもしようものなら

「どうして事前に
ちゃんと調べなかったの?」

といった声が飛んできそうで
人によっては
なにかに挑戦する前から
不安に駆られてしまいます。

もちろん
長い人生の中で
仕事も恋愛も人間関係も
ただの一度も
失敗したことのない完璧超人なんて
一人として存在しませんが
それでも求めれば
いつでも正解や答えが
手に入る今の世の中では
ミスや失敗をするハードルが
非常に高くなったと感じます。

だからなのでしょうか。

今回のひろとさんのように
こうした失敗への恐怖心が
プライベートの時間にまで
及んできてしまう方が
最近増えているのは。


息抜きなしでは脳は働かない


今回質問をしてくださった
ひろとさんは
自己啓発書を何冊も
読まれているあたり
仕事や自分の将来に対して
とても真面目に
向き合っておられることと
思います。

だからこそ
遊びたいという欲求があっても

「もっと生産性のあることを…」

とか

「こんなことをしてる場合じゃない」

と考えてしまうところが
あるのかもしれないと
僕は思いました。

そんなひろとさんに
恐縮ですが僕から
ひとつ質問させてください。

「今自分がしている行動は
果たして最適解なのか?」


ミスや失敗への恐れから
ことあるごとに
現状の自分に対して

「なにが正解なのか」

を問い続けながら
生きてはいませんでしょうか。

勘違いしてほしくないのですが
そのような意識を持つこと自体
社会人の鑑と言えるくらい
素晴らしいことです。

ですが
四六時中理性を働かせて
常に自分を律しながら
気持ちや感情をガン無視して
とにかくミスや失敗をしないよう
最適解の行動を取り続けていると
ひろとさんも仰るように
ものすごく疲れるんです。

なので
タイミングを見て
「息抜き」
をしなければいけないのですが
ひろとさんみたいに
意識が高い方は

「息抜き」=「怠慢」
「怠慢」=「ミスや失敗のもと」

と捉えてしまって
罪悪感を抱いてしまいかねません。

しかし罪悪感を
抱いたままだと
溜まったストレスを
解消することもままならない…。

そんないたちごっこに
終止符を打ちたいと
仰っていたひろとさんには
ぜひこの原理を
覚えていてほしいなと思います。

それは

「息抜きは脳にとって必須項目」

であるということです。


身につけるべきはオンオフの切替力


ひろとさんのまわりにも
いわゆる

「仕事ができる人」

が何人かいると思います。

上司や取引先からの評判も
すこぶる良くて
コミュ力も抜群で
必ず定時までに
仕事をきっちり終わらせて。

そういう人を見ると

「さぞ休日も自己研鑽に
励んでいるんだろうな」

なんて思ってしまいます。

ですが
僕の経験上彼らは彼らで
仕事のパフォーマンスを
最大限上げるために
休日は敢えて遊んでいます。

ちなみにここで言う
「遊ぶ」とは

「脳の疲れをとるための
リフレッシュ全般」

のことを指します。

たとえばこれら
リフレッシュ全般の中には
キャンプやハイキング
散歩やジョギングなどの
軽い運動系のものから
ボーリングやダーツ
カラオケなどみんなで
楽しめるものもありますし
読書やお風呂
アロマなど
「独り」
で楽しむものもあります。

(詳しくは前回の質問者さんからの
回答として書きました

↑こちらをよろしければ
ご参照くださいませ)。

そしてひろとさんが
罪悪感を抱いてしまう
ゲームやマンガも
もちろん
「リフレッシュ全般」
のカテゴリーに入ります。

確かにはたから見れば
マンガを読んでも
ゲームをしても
なにもうまれませんし
ましてや昇進できたり
お給料が上がるわけでも
ありません。

ですが
仕事ができる人というのは
休日にもかかわらず
仕事のことを考えたり
自己研鑽に励んで
脳を酷使するよりも
できるだけ遊んで
脳内をデトックスした方が
次の月曜日からも仕事で
最高のパフォーマンスを
発揮できることを知っています。

なので僕が思うに
仕事ができる人というのは
発想力や問題解決能力などの
ビジネスマンに必須の能力を
兼ね備えているのでしょうけど
その中でもきっと一番重要で
高めるべき能力は
脳にストレスを
溜め込まないための

「オンオフの切替力」

なのかもしれません。


班長の名言「心はゴム毬だよ」


最後の最後に
アニメの名言返し
みたいになってごめんなさい。

ご存じかもしれませんが
こちらの

「心はゴム毬だよ」

というセリフは
福本伸行さんが書かれた

「賭博破戒録 カイジ」

に出てくる
大槻班長がカイジに言った
名言です。

要は
心の欲求を
抑えつければ抑えつけるほど
あとあと
ものすごい反動が返ってくるから
適度に息抜きしなさいよ
という意味です。

僕がこの
「ものすごい反動」
と聞いた時
まず思い浮かべてしまったのは
「感情の暴走または喪失」
です。

感情の暴走とは
抑えつけていたゴム毬が
一気に反発してきた時の
様子を表していて
自分で感情を
コントロールできなくなって
自我が暴走した状態のことを
言います。

逆に感情の喪失とは
抑えつけていたゴム毬が
破裂してしまった時の
様子を表していて
嬉しいとか悲しいなどの
感情表現が乏しくなり
自分の気持ちにも
気づきにくくなります。

これらは総じてストレスを
溜め込み過ぎた際に表れる
症状のひとつなのですが
僕の個人的な意見としては
この感情の暴走と喪失を
防ぐために

「娯楽」

というものが
存在しているのだと
思っています。

娯楽に興じることに
罪悪感を抱いてしまう気持ちも
僕なりに理解できます。

ですがご自身の
ストレスマネジメントとして
娯楽はむしろ

「適宜取り入れた方が良い」

というのが
今回のひろとさんからの
質問に対する回答となるのでは…
と思いこうして長々と
書かせていただきました。

なのでこれからは
ゲームやマンガへの意識を
少し変えて

「自己管理としての娯楽」

そう捉えて楽しんでみては
いかがでしょうか。

あまり自分を
追い込み過ぎないで下さいね。

応援しています。

おしまい。


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