人間をやめたいと願う人たちへ
2019/02/22
みゆきさんから質問いただきました。
Q:長年付き合っていた彼と
別れました。
将来の話も
ちょこちょこ出てたんです。
家はどうしようとか
何処に住もうかとか
子供は何人くらいほしいかとか
家族でこういう所に
行ってみたいねとか。
幸いにも彼は高給取りで
お金に不自由することもなかったし
性格もとても穏やかだったので
彼と結婚したら家族みんな
幸せに暮らせそうだな
と思っていた矢先
彼から突然
別れを切り出されました。
どうも昔から
二股をかけられていたらしく
どうやら私は
ふるいに落とされたようです。
今でこそこうして
落ち着いて言えますが
当時は怒りと悲しみで
頭がおかしくなりそうでした。
いや
ていうか
十分おかしかったと思います。
当然仕事なんて
手につくはずもなく
ミスを連発した挙句クビになり
今は実家に戻って
廃人に片足突っ込んだような
生活をしています。
振られはしましたが
私にとっては
かなり大きな恋でした。
それこそ私の人生の
全てをかけられるほどの。
でももう彼はいません。
母親からは
「今町内会で
流行ってるんだけど
みゆきの新しい趣味として
カラオケでもどうかしら」
とか
「もっと良い人
たくさんいるわよ」
とめちゃくちゃ
気を遣わせてしまってます。
ただ母親には申し訳ないけど
どんな話を聞いても
全然面白そうとは思えないし
私自身日常の中にある
ささいな楽しみや幸せを
見出す気力すらも
なくなってきました。
生きてても
何も楽しくありませんし
これから楽しいことや
幸せなことが起こるかも
みたいな淡い希望すらも
持てなくなりました。
もう疲れたんです。
最近は本当に
人間辞めたいと思うことも
多くなってきて
首をくくるためのロープを
買ってみたりしたんですけど
母親に
買ってきたロープが見つかって
「頼むから
バカなマネだけはしないでくれ」
と泣きつかれてしまいました。
おかげで今こうして
生きる意味も
死ぬ希望も見いだせずに
ウダウダと生きています。
きっとまわりからも
私のやる気がないからだ
とか
根性が足りてない
だとか
甘えきってる
とか思われてそうで
今は外を歩くのすら
怖いです。
いちかわさん
私はどうすればいいですか?
死ぬこともできずに
ただただ
年齢だけを積み重ねて
気がつけばもう40目前で
焦りを感じているのですが
なにをすればいいのか
本当にわからないんです。
藁にもすがる思い
と言ったら失礼ですが
なんでもいいので
とりあえずなにか
教えてくださいお願いします。
必要なのは「ほんの少しの勇気」
A:将来の話も出ていた彼と
別れてしまったのですね…
そのショックから
立ち直れず
今はご実家に
閉じこもるように
なってしまった。
みゆきさんはきっと
自分の努力とかやる気が
足りないせいで
今こんな事に
なってしまってるんだと
思われているかもしれませんが
全くそんなことありません。
これは僕の勝手な
願望なのですが
みゆきさんには
その振った元カレよりも
幸せになってほしいですし
ひょっとしたら
このような表現は
言い過ぎかもしれませんが
むしろその元カレと
別れなければ
こんな幸せは味わえなかった
と思えるくらいに
心豊かに生きていってほしいと
思っています。
実際これは
僕の個人的な気持ちなので
みゆきさんに
共感頂けているかどうかは
わかりませんが
それを抜きにしても
今みゆきさん自身に
必要なものは
努力でもやる気でもなく
ほんの少しの
「勇気」
を持つことなのじゃないかな
と思います。
毎日生きてても辛いことしかない
全生物の中で
生きる難易度が最も高いのって
「人間」
なのではないかと
僕は思っています。
他の動物は基本的に
腹が減ればエサを食べ
眠くなったら眠り
交尾をしながら
繁殖するという
本能に従った
至極シンプルな生き方を
しているわけですが
人間は違います。
中途半端に
「脳みそ」
なんて器官があるが故に
人は傷ついたり苦しんだり
辛い思いをしたり
しなければなりません。
実際みんながこうして
頑張って生きている毎日は
しんどいことばかりです。
朝の満員電車内では
他の乗客を
イラつかせないように
気を遣いまくって
職場に着いた時点で
もうグッタリ。
にもかかわらず
職場は超絶ブラックだから
サービス残業なんて当たり前で
終電で帰れるのなんて
まだマシな方。
寝る時間も平均3〜4時間で
心身はとっくに
限界を迎えているけれど
今会社を辞めたら
生活が立ち行かなくなるから
辞めるに辞められない。
パートナーとの関係も
冷えきってしまって
顔を合わせれば
喧嘩が始まるような
一触即発状態。
生きていく中で
こんな毎日が続いてしまえば
「人間やめたいな」
と思ってしまうのも
僕なりにわかるような
気がしています。
特に大失恋を
経験してしまった
みゆきさんの場合は
なおさらかもしれません。
風のように過ぎ去るしんどいばかりの毎日に価値はあるのか
光陰矢の如し。
毎日があっという間に
過ぎ去るように
一年もあっという間に
過ぎ去ります。
その日その一年の内容は
人それぞれだと思いますが
上記のように
しんどいばかりの時間を
過ごしている方も
多いのではないでしょうか。
そんな辛く苦しい毎日を
目まぐるしく生きていれば
「今を生きている」
「生を享受している」
という実感や価値は
どうしても
薄らいでいってしまいます。
だからなのかもしれません。
死後の世界に
希望を見出したり
救済を求めたりする人が
出てきてしまうのは。
死後の世界に価値はある?
人間という生き物は
希少なものに
価値をおく習性がありますから
今生きている
このろくでもない世界よりも
「死後の世界」
の方に価値があるのでは?
と錯覚します。
なぜなら
いろんな人が
いろんなメディアを使って
「死後の世界は
慈愛に満ちている」
とか
「あの世は極楽浄土である」
などと言っているからです。
そういう事を言う宗教や人を
否定するつもりはありません。
でもそんなこと言われたら
「死」や「死後の世界」は
少なくとも
現世での苦しみや悲しみとは
無縁の世界なのかも!
と考える人が出てきても
おかしくないのです。
でも
シンプルに考えてみて下さい。
なぜ今生きている人間が
死んだ後の世界のことを
語れるのかを。
中国の思想家「孔子」は
「死後の世界なんてわからない」
と言っていますが
僕もこれに同意見です。
要は
どうなってしまうのか
本当に全く検討もつかない
死後の世界に望みを持つより
今どんな状態であっても
自分次第で
これからどうとでも
夢や希望を叶えられる
現世にいた方が
よっぽど合理的なのです。
自分のやりたいことにワクワクを感じるところから
「人間をやめたい」
とは
「希死念慮」
と少し違うと思っていて
世の中苦しいことばかりで
生きてても辛いし
なんも楽しいこともないし
幸せでもないし
この先の未来にも
希望が持てないから
いっそのこと
生きるのをやめてしまって
死後の世界に
旅立ってしまいたい。
事情は人それぞれあれど
要約したら
こういうことになるのかな
と僕は思います。
世の中とは皮肉なもので
生きてるだけで
苦しみや辛いことは
望んでもいないのに
向こうから
勝手にやってくるわりに
楽しいことや幸せは
どれだけ望んでいたとしても
自ら掴みに行かないと
手に入れられません。
そんな世界に生きている
僕たちに必要なのは
幸せや楽しいことを
自らつかみに行くための
「ほんの少しの勇気」
です。
そしてこの
「勇気」
を生み出すための
モチベーションになるのが
「ワクワク」
という感情です。
ではどうすれば
世知辛過ぎるこの世の中で
ワクワクを感じることが
できるのかと言いますと
「もしあなたの夢や願いが
全て叶うとしたらあなたは
何がしたいですか?」
という
ミラクルクエスチョンに
思いつく限りの答えを
書き出してみる。
というものです。
内容はなんでもいいのですが
できるだけ空想を通じて
自分の心が躍るような場面
をイメージして
先ほどお伝えした通り
ワクワクを感じられることを
書いてください。
その際
「いやいやどうせ
フィクションでしょ?」
とか
「ただの子供だましじゃん」
とか
「こんなの自分にできっこない」
だなんて
ネガティブなことは考えず
持ち合わせている想像力の
全てを使って
素直にワクワクできることを
書きましょう。
障害になるのは一歩踏み出すための勇気が出ないこと
僕が初めてこのワークに
取り組んだ時は
「ハワイに行って
夕暮れ時の海岸沿いを
電動キックボードで
走ってみたい」
「全国にある
有名温泉地に行って
ひとりでボーっとしながら
ゆっくり温泉に浸かりたい」
「気の合う友達をつくって
10代の頃よくやったみたいに
好きなテレビゲームを
夜通しやって盛り上がりたい」
といったことを
書きました。
書いていて確かに
とてもワクワクしましたし
内容的にも
決して非現実的なことを
書いてるわけでも
なかったのですが
それでも当時の僕は
これを実現させるための行動を
とることができませんでした。
なぜなら僕に
勇気がなかったからです。
苦手な飛行機に乗る勇気。
ひとりで全国をまわる勇気。
友達をつくる勇気。
そしてその友達に
「夜通しゲームでもしませんか」
と誘う勇気。
僕はそれらを
持ち合わせていなかったんです。
自ら動き出せば世の中には楽しいことがたくさんあると気づける
ですが
やはり紙に書き残すことで
僕のワクワクはずっと
手元に残り続けます。
そしてその
ワクワクが書かれた紙を
何度も見返すうちに
次第にそのワクワクに
抗いきれなくなってきたんです。
僕は意を決して
行動に移しました。
まず友達をつくろうと
街中でやってる
「お茶会」や「街コン」
に参加しました。
結果お茶会で気の合う友達を
ひとりつくることができて
その人の家で
テレビゲームではなかったですが
夜通し語り合うことができて
とても充実した一日を
過ごせました。
この結果に調子に乗った僕は
次になけなしの貯金を
はたきまくって
秋田の玉川温泉と
大分の別府温泉まで
一人旅をしてきました。
こちらもめちゃくちゃ
大満足な一人旅だったのですが
この旅の帰り道で
ふと感じたことがあるんです。
それは
「やってみれば
意外となんでもやれちゃうし
やってみれば
意外となんでも楽しい」
ということです
(とか言っておきながら
飛行機の苦手意識だけは
未だ払拭できておりません
ごめんなさい)。
みゆきさんもおそらく
一度は聞いたことが
あるはずです。
「こんな楽しいこと
どうしてもっと早く
やらなかったんだろう」
というセリフを。
一人旅の帰り道
新幹線の中で僕は
やりたいと願っていることを
実現できていない人は
自信がないからでも
お金がないからでも
時間がないからでもない
「一歩踏み出すための
ほんの少しの勇気」
がないだけなんだ。
って気づいたんです。
事実僕自身も
お茶会や街コンに
参加するとなった時は
結構緊張しましたけど
結果最後に残った感情は
「楽しかった」
でしたし
「やってよかったな」
とも思えたのです。
長々と僕の話が続いて
興が削がれて
しまいましたね。
ですが自ら動き出せば
世の中には楽しいことや
幸せを感じられることが
本当にたくさんあるのです。
ただ難しいのは
お伝えした通り
「初めの一歩を踏み出す勇気」
がなかなか出ないことです。
しかしこの
「ほんの少しの勇気」は
自分にとってのワクワクを
書き出してみることで
奮起させることができます。
みゆきさんも今は気分が
乗らないかもしれませんが
少しずつで構いませんので
自分の気持ちに素直になって
ゆっくりと
みゆきさんにとっての
ワクワクを感じてみてください。
必ずその先に
「幸せ」
が待っていますから。
おしまい。
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