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カタルシス

人格否定、好きな人がバレンタインに他の男に渡すという散々なバレンタインを過ごした。ここまで生きてきて辛い!と断言できる日はこれ以上にないほど苦しかった。

まず人格否定だが、母親が自分のだらしない姿を見て 真面目に生きていない という失言をしたのだ。そんなことはない。そうだとしても言い過ぎだ。共働きで大変なのは分かるが、日常を過ごすだけで疲れるというのに家でも自己研鑽を続けていないとうまい結果は得られないと主張をするのだ。

事実として、積めるお金が限られているのは揺るがない。かといって休憩なしで出来る程の体力なんて本当に理想に過ぎない。休めば元気になるのは自覚しているが、休まなければ元気になれないのもわかる。背伸びしてまで苦しむことは出来ないというのは経験値から分かるのだ。

バレンタインなんてどうでもいい、と思うかもしれないが自分にとって本当にいい相手だと信じてやまない人だった。会話をこちらからすると反応してくれるのが嬉しかった。さすがに、ロッカーに詰める時まで耳にしたのは心へのダメージが最大限に大きかった。知らないふりで勉強をし続けていたが昼頃には不機嫌になってしまった。

だが、悪いことばかりではないと感じられることもあった。それは片想いをしていた相手が優しくて、悩みの相談相手になってくれたことだ。
母親の失言に対して怒って喧嘩になっていた所に、謝る方がいいと判断をしてくれたのは後から考えると本当に正解だったなと感じる。

近くにいた優しい女子や担任も話に応じてくれた。
朝になっても晴れない憂鬱に対して苦しんでいる所にせめてもの優しさを感じるような言葉を差し出してくれたのは感謝している。
2時間ぶっ通しで本音をひたすらに話し続けるという経験が楽になることを許してくれた。
世知辛いと嘆いていたら高校生にしては立派だと太鼓判を押してくれたのは中々に嬉しいことだった。

帰る際、宇多田ヒカルの曲を聴いてどれほど傷ついてきたのかを理解して寄り添ってくれる人間がどれほど優しかったかを実感させられた。
寝てからも自分の聴きたい音楽を聴き、感情を発散させることで安定した気持ちになりうる状態まで持って行けた。人のことが好きだから正しい価値観でいられるんだと思うと本当に安心できた。

私は諦めが悪いので自己研鑽が必ずしも上手くいかないとわかった上でもやめることはしないでおく。勉強は孤独のように思えても人生は違う。

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