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娘の誕生日によせて

今日は娘の23歳の誕生日。
彼女はわずか0歳で兄を亡くし遺族となった。

物心ついた時には家に仏壇があり、笑顔で並ぶ亡き兄との写真に囲まれて成長していった。

私たち両親から息子のことを娘に話した記憶はない。しかし彼女は幼い時から自分には兄がいたんだろうな、ということは理解していたようだ。

彼女が生まれた時、息子は2歳になったばかり。やんちゃだった息子も妹の存在は可愛く愛おしかったようだ。


息子は常に娘のそばで寄り添い、それはそれは妹想いのお兄ちゃんだった。娘が泣けば手を握り声をかけていた。

娘はお腹にいる時、「男の子」といわれていた。だから私たち夫婦は次男になるであろう我が子の名前を必死に考えていた。
長男の「将貴」の「将」を使って「将義」「将徳」などなど・・・息子は近所のお母さんや友達から「まーくん」と呼ばれたいたので、同じ「まさ◯◯」だと次男はなんと呼ばれるのかな、など余計な心配までしていた。

生まれたその瞬間、「元気な女の子ですよ〜」と言われ私は驚いた。男の子だと思っていた子が女の子だって⁉︎
私は男の子を望んでいたこともあり、不謹慎ながら女の子と聞いて少し落胆したような記憶がある。娘よ、申し訳ない。

そこから夫が入ってきて、同じように女の子だったことに驚いていたが、娘を抱っこする夫は嬉しそうだった。

入院中に必死に名前を考えた。息子の時から男の子の名前しか調べていなかったこともあり、女の子の名前の情報がなさすぎる。

6月に生まれたこともあり海にちなんだ名前がいいな、と想いいろいろ考え、私は静かな波と書いて「静波(しずな)」がいいと閃いた。夫もいいねと言ってくれたのでそうしよう、とほぼ決まった。

しかし小さな箱のようなベットに窮屈そうに眠るデカい我が子を見て「違うな」とまたまた閃いてしまった。
そう、娘は当時としては大きく3400グラムあり、並んで眠る生まれたての赤ちゃんの中でダントツの大きさだった。

ということで、娘の名前は変更を余儀なくされたのである。


娘が小学生になると、仏壇に息子宛に書いたて手紙が仏壇に置いてあるのを何度か見かけた。それは私たち両親に何も告げずそっと置かれたあった。

そこには小学生の娘が兄への想いをつらつらと書かれたいた。その手紙は今でも大事に仏壇に飾ってある。


彼女なりに何かを感じていたんだろうな、と胸が締め付けられる想いだった。

そんな彼女もあっという間に息子の年齢を抜き、中学生、高校生、専門学生になり大人になった。
改めて息子のことをどう思っているのかなど聞いたことはないが、いつか聞いてみたいと思っている。

一番親の愛情を必要としていた乳幼児期に両親は毎日のように嘆き悲しんで、ちゃんとした子育てができていなかったと思う。
乳幼児期だけではなく、ことあるごとに「息子がいれば」と思ったことも多々ある。

ただ、彼女が私たち夫婦の生きる支えになったことは間違いない。私たちだけではなく私の両親にも希望を与えてきた。

娘曰く「結婚はしない」らしい。「しない」と「できない」では全く意味が違うと思うが、娘の人生、自分で決めたらよい。
まだ実家住まいでフリーターで自立とは程遠いが、本人は25歳には一人暮らしをする夢を妄想しているようだ。

母(私)はあなたの年齢では結婚していた、と話をしても全く興味がないようだ。今はいろいろな「推し」がいて、その推し活に忙しい様子。

将貴、まだまだ妹を見守ってあげてね


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