「野球」とぜんぜん違う世界の方がむしろ・・・

中学生、高校生のときは、部活動に熱中することは多いのではないでしょうか。私も25年近く前の経験ですが、とにもかくにも、野球ばかりを考えていました。

部活動のある時は、誰よりも先にグラウンドに出て、グラウンドの整備をかって出て、声を全力で張り上げて、緩急というものはなく、全てに全力を注ぐという感じでした。よくチームメイトからは、「もう少し力を抜けよ!」「かたいよ!」と言われてきましたが、「頑張るのは当たり前だ!」と思っていて、あまり、その意味がよく分かりませんでした。

張り切って高校野球部に入部して早々、監督が新入部員を集めて、「野球そのものよりも、野球を通じて人生の大事なことを学んでほしい。」と言われ、「なんだその緩さは、野球を一生けん命やるんだろう!」と内心思いました。高校3年生の夏の甲子園予選直前、打撃不振で悩んでおり、職員室に監督を訪ね、「どうすればいいか教えてほしい!」と涙ながらにアドバイスを求めました。

「野球」という世界にとても重きを置く一方で、「学業」にはさっぱり重きを置いてきませんでした。しかし、野球では、決して上手な選手ではなく、高校3年生の甲子園予選も、3塁手のレギュラーポジションは、1年生に譲ることになりました。一方で、あまり重きを置かなかった「学業」は、学年250人程度でしたが、10位以内に入ることもあるなど、あまり苦労しない状況でした。これまでは、このエピソードの振り返りは、単に、得意・不得意なのかなあと思っていました。

しかし、最近の気づきでは、これは野球という世界に対する力のかけ方のバランスが崩れていたのではないかと思っています。こう思うのは、仕事以外に学ぶ場を持ったことによります。

私は、会社員としての15年近い期間のなかで、アサインされた仕事に全力を尽くしてきました。「野球」が「仕事」に移り変わったのです。仕事に問題があれば、絶対に解決するぞと張り切り、壁にぶつかっては乗り越えて、着実に進んできました。こうした歳月は、決してだめだとも、無駄だとも思ってはおりません。得られることはとても多かったと思っています。しかし、こういう「仕事」という世界に全力を注ぐからこそ、できていないこともあるように思います。今は、学ぶためのオンラインコミュニティーの世界に身を置いたり、既に転職が決まり次の世界を見据えている状態において、今の仕事に対する向き合いがとてもよくなり、パフォーマンスや満足度がとても高まり、充実感が非常に高いのです。

具体的には、例えば上司に対して、より自然体で率直な話ができるようになりました。部下に対して、より自然体で励ますことができるようになりました。業務改革についても、全然進まないダメな状態だ・・・という認識ではなく、私が発する言葉で少しでも良くなってほしい、と思いを込めて話しています。仕事の完成度に関するこだわりも、バランスを意識するようになり、残業時間は減り、その分睡眠時間、家族の時間、学習の時間に当てられるようになりました。睡眠時間の向上は、確実に日々のパフォーマンスを押し上げました。家族の時間は、職場で周囲の方の話を傾聴することにつながりました。学習の時間は、学んだことを仕事に、仕事から学びに、というよいサイクルにつながりました。これは、「仕事」の世界にだけどっぷりつかっていると見えない世界でした。

OBとして高校野球の練習に参加すると、同じOB諸氏から、「なんか現役のときよりうまくなった気がする」、と口々に言っていたことも思い出します。監督は、「練習量が多すぎて、常に疲れた状態だから現役時代は最高のパフォーマンスが発揮できないのではないか」、といって、「そういうものか」と納得していました。でも、このメカニズムは、OB諸氏は、「野球」以外の世界にどっぷりつかって、「野球」の世界を眺めるから、気づきがあったり力が抜けたりして、パフォーマンスが上がるのではないかと思います。

私のように仕事熱心の方は、ぜひ仕事と違う世界を持たれたらよいのではと思いました。

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