03:ゲイのおじさんが40歳で女友達と結婚して子供を作り、ゲイを隠さないまま暮らしているという話▪️30代の僕−2

病院に行く前に自覚症状を主にネットで検索し、蓄膿症による睡眠障害かな?と思いながらまずは耳鼻科に行きました。そこで先生から「これは、、、蓄膿症ではなく顔の中に腫瘍ができてそれが鼻に出てきていて鼻の穴を塞いでいます。かなり大きな腫瘍でなのでここでは対処できません。すぐに大学病院に行ってください」

顔の中に腫瘍?
大きな病気をしたことのなかった僕にとってはショッキングな言葉でした。

相変わらず仕事漬けの生活を送っていましたが、仕事の合間を見て大学病院で診察を受けました。病理検査などのステップを踏み、とりあえず腫瘍は良性ということがわかりました。しかし、かなり大きいサイズであるということ、将来腫瘍が悪性になる可能があること、そして腫瘍が脳や眼球、鼻の穴を圧迫していること、そしてそのこが原因で睡眠障害が起こっていること、これらの理由から手術をすること決断しました。

初めての入院。そして初めての手術。仕事に支障がないように年末年始に手術日程を設定し、とにかく時間をかけずに色々な手続きを進めていた中、病院から最後の呼び出しがありました。

「ご家族は近所にいらっしゃいますか?もしいなければ家族の代わりになる方に来てもらい、手術の前日に同意書にサインをしてもらいに来てください」

両親は遠方に在住していたため、手術の当日は立ち会えない。
となると家族に代わる人って誰なんだろう。。。

大学進学を機に上京をして約10年。その10年間でできた家族に代わる関係の人とは一体?東京でできた友達って一体何人?東京でできた恋人は何人?
いわば自分の人間関係のおさらいを行なったのち、ある人にお願いをしました。

「白い巨塔」のダイジェスト版が放映されていた手術前日の夜。
縁起の悪い財前先生の吐血シーンをベッドの中で眺めながら、ぼんやり術後の自分をイメージしていた時、ノックの音がしてその人はやってきました。

「久しぶりだね。体調大丈夫?」

おカッパ頭のボーイッシュでスレンダーな女性。彼女の名前はマイ。
実は東京に出てきて大学2年の時に彼女を好きになりました。
ゲイなのに何故?今から思うとその感情がどういうものだったのかもよく思い出せない。男の子と女の子の要素を兼ねた不思議なビジュアル。言葉数が少ないけどインパクトある発言をする彼女。美術大学に通っていた僕は、同じ科に通っていた少し風変わりな後輩のマイに興味を持ち憧れました。そしていつの間にか付き合うようになっていました。

性的な魅力、というよりは人間性や憧れの部分が大きく、とにかくマイに自分を理解して欲しくて一緒にいた相手。好きの表現としての延長での体の関係はあったものの、精神的な繋がりの方が強かったマイとは約5年お付き合いをした後、フェイドアウトに近い形で終わりを迎えた関係でした。

僕の家族に代わる役割として、約5年ぶりの再会となりました。ぎこちない会話を交わした後、主治医から僕とマイに今回のオペについての簡単な説明がありました。腫瘍がかなり大きく眼球や脳の圧迫している状態だったこともあり、視力についてのリスク、脳の機能や記憶に関してのリスクなど、詳しい説明の後マイが各項目にチェックを入れる形で説明が進みました。

泣いてる。

ふとマイを見る静かに涙流していました。会わなかった5年間の間に僕はゲイになった。出遅れた焦りからかなり多くの人と体の関係を持った。そこまでハードな行為はなかったものの、手術前血液検査のHIV項目で陰性の反応を見て正直ホッとした。「家族に代わる人をなぜゲイの中に作れなかったのだろう。多くの人との肉体関係よりも、1人の人との末長い関係を持てなかったのだろう」と切ない気持ちになりました。5年間も会っていなかったマイへの申し訳ない気持ちとともに、ゲイとして生きてきたつもりで、快楽の上澄だけ拾っていた自分を反省した夜。明日の術後、両目が見えて脳に記憶や障害がなく手足が動いたら、家族に代わる関係をゲイの人と作ろう。涙を流すマイを見つめながら、僕は自分にとっての理想のゲイライフを明確にイメージしていました。


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