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1999年から2003年までの阪神タイガース その⑦

勝ち試合は本当に貴重だった。

2001年までのタイガースは四年連続最下位。
99年に至ってはシーズン終盤に12連敗を喫し最下位だった広島に抜かれ結局定位置となった。

僕はホームでの試合がメインだったけど、
年に20試合観戦しても半分も勝てない年が続いた。
それでも球場に行くまでの道中はドキドキしたものだ。

勝ち試合が少ない=二次会が少ない
という事になる。

言わば、騒げない。
二次会というのは貴重な時間であるワケだ。

タイガースがリードしている試合では7回あたりから胸がザワつく。
「今日は二次会が出来る・・・!今日は二次会が出来る・・・!!!」

9回表、抑えが出てくる。
今思うと福原選手以降はアテにならない抑えだ。
ピタっと三人で抑えた思い出が無い。
「頼む!!抑えてくれ!!」

ヒヤヒヤながらピシャリ。
大歓声が沸き起こる。

あと一人コール。ヒーローインタビューに六甲おろし。
ここまでは球場に行かないファンの方もご存知だろう。
楽しみはこれからだ。

まず外へ出る通路から二次会は始まっている。
人でごった返す中、応援歌の大合唱が始まる。
みんなが笑う。みんなが歌う。

21号門前に着くと既に人だかり。
アイパーも壇上に立つ。
歓声が湧き上がる。
目の前には300人以上のイケてないタイガースファンだ。

阪神を讃える内容から巨人の悪口へと内容がシフトする。
「長嶋親子!!バカ親子!!」
「東京ドーム!!コンドーム!!」
アイパーに続き大合唱。

ゲートの上では酔っ払った兄ちゃんが六甲おろしを唄いながら一枚ずつ脱いでいる。
胴上げが始まる。

引退した選手の応援歌で盛り上がる。
300人以上が真弓ダンスで踊り狂う。
亀山の応援歌の後はヘッドスライディング大会が行われる。

遂に機動隊がやってきた。
スマッシュブラザーズを超える大乱闘が始まる。

二次会は21号門前〜高架下〜阪神電車梅田行き直通特急〜ホワイティまで続く。

こんな非日常な空間はあの頃の野球場にしか無かった。
電車の中で六甲おろしを大合唱するとサラリーマンが歌ってくれるんだ。
あれから長い月日が流れたけど、当時の二次会以上の一体感と爽快感を味わった事が無い。
タイガースファンの二次会の喧騒の渦の中にいる事は僕とって幸せそのものだった。

学歴や職業や収入なんて関係ない。
学校や会社、社会の中で居場所を求めていた
生きることに不器用なタイガースファンは
野球場の二次会に夢を見た。
ホームでもビジターでも、タイガースファンの二次会は凄かった。

誰もがみんな、笑っていた。
誰もがみんな、二次会が生きる希望となっていた。

僕は高校生にして二次会の常連となった。
アイパー含め、当時の球場に通っていたタイガースファンは未成年が出会うべき人種ではない。

しかし、あの時の数々の名言や名シーン・人間模様は今でも脳裏に焼き付いている。

そう。2003年までは。

続く

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