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命を考える(今回は短め)

先日の夕方、突如『黒崎真音』さんの訃報が飛び込んできました。一昨年に他界した神田沙也加さんとのユニットを組んでいたほどの仲の良さもあったし、神田沙也加さんの死についての動画を見た直後の訃報だった為、余計に頭が混乱しています。真音さんも沙也加さんも35歳という若さで旅立ちってしまったことが、とても残念でなりません。

神田沙也加さんの事故(?)のニュースの時には『藤原ここあ先生(漫画家)が亡くなった時に貴女は「いやです」と仰ってましたね?まだ間に合うなら引き返してきてください。貴女を待ってる人はたくさんおります。』
とTwitterのリプを返したことを思い出します。

その後「さやの分まで生きる」と言っていたそうですが、この突然の訃報に私自身も唖然としました。彼女の歌が好きでした。綺麗な高音を出し、素敵な歌声で憧れさえありました。
私が一番好きな曲を貼っておきます。

そんな彼女が……と突然の事で、まだ頭がついてきていません。持病があった、ということでしたが、彼女の命を奪った『硬膜下血腫』とはなんなのか簡単に言うと

症状について 外傷後数週間は無症候性のことが多いですが、血腫が徐々に増大するに従い、頭蓋内圧亢進症状(頭痛、嘔気嘔吐など)、片側の麻痺(片麻痺)、しびれ、歩行障害、失語、認知機能低下(または短期間での進行)、意欲や活動性の低下などが生じます。
wiki

というものらしい。

頭蓋骨の内側で脳を包む膜(硬膜)と、脳の表面との間にゆっくりと血液(血腫)が溜まる状態を指します

どのように起こるのか?

一般的に高齢者に起こります。お酒を多く飲む人、高血圧や血液が止まりにくくなる薬(抗凝固薬)を服用されているとリスクが高くなります。軽い頭部への打撲などが引き金になり、徐々に血液が溜まることで脳を圧迫し、その数週間から数カ月のち、頭痛がしたり、なんとなく元気がない、言葉が出にくい、尿失禁をするようになった、麻痺がある、歩行がおかしいといった症状で来院されます。ただし、頭部への打撲がなくても起こることがあり、「急に認知症が進んだ」といったエピソードがあればこの疾患の可能性があります。
https://www.akita-noken.jp/general/sick/brain-nerve/page-2040/


これは持病と呼べるものなのだろうか?

何らかの理由で頭を打ってしまった人には誰にでも可能性があることなのではないだろうか?
私もそれなりの年齢なので、学生時代教師に叩かれる、などのことはしょっちゅうあった時代に育ちました。現在は教員が生徒に手を上げる、という行為が暴力とみなされ、事件となってしまいますが、その『暴力』が当たり前の時があったのも事実ではあります。そういった教師に出会ってる人は多少なりともいらっしゃると思います。中学の部活同窓会、というのが不定期的に行われますが、顧問は現れないものの、『オキニ』だと思われていた子ですら殴られた経験があったのですから驚きでした。

やっと保険適応になりましたが『脳髄液減少症』という病があります。私はそこの署名活動にも参加していたのですが、交通事故でむち打ちになった人に多く出る病気でもあり、中では部活中、頭にボールが当たったり、転んで頭を打ってしまったりなどの日常の中で『誰が』『いつ』なってもおかしくない病気です。小脳の脳髄液が体内のどこかから少しずつ漏れて体の機能を著しく奪っていく病気です。症状が重い人は寝たきりになる人もいます。大半の人は車椅子生活を余儀なくされているようです。たまたまネットで知り合った子がその病気で、当時は保険適応ではなかったので、治療費、通院費がかなりかさんでいたようですが、署名を集めては国会に提出する、という活動をしてる被害者の会がありまして、電子署名をする形での署名です。私はそれだけでなく、高知小学生水難事故の署名もさせていただいています。それについてはまた後日語らせて頂きます。

今回の黒崎さんの件についてもなにか先手を打つ方法はなかったのか、疑問が残ります。最初に倒れた時に手術はしたと言いますが、それでも完治してなかったこと、再発したのであれば、なぜ治療をしていなかったのか?場所によっては手術での治療は出来たはずなのに、してないということは余程のリスクを伴う場所に再発しまっていたという可能性がありますが、仕事で時間がなかった、ということであれば命より仕事?と本人が希望していたのなら、とても残念ですね。症状がもしかしたら軽かった、と本人が判断して『まだ大丈夫』と思っていたかもしれません。周りがさせなかったという推測も出来ますが、あくまで想像の域を出ない話です。何故、急変する前に手が打てなかったのか、倒れているのを目撃してる人がいる、という人がいるのだから尚更そう思うのですが、なにかのリスクが伴うことで判断が厳しかったのかもしれませんね。

本当に、今日生きていることが奇跡なんだ、と思うことが大切かもしれません。年齢関係なく、人はどんな形で命を落とすか、なんて1秒先のことだってわからないんですから。信号待ちしてたってトレーラーの荷台が歩道にのりあげてくることだってあります。私は原付に乗ってますが、強風の日にはハンドルを取られます。体もグラグラしてていつ横転してもおかしくないです。天災でなにかあるかもしれません。突然倒れるかもしれません。本当にわからないんですよね。交通ルールを守っていたって車が突っ込んできてしまえばそれまでになってしまうかもしれません。

眠ったからといって翌朝目覚める保証だってない。ストレス社会に生きてる状態で過度なストレスは時に体に不調を出してくる。でも、多少のストレスがないと人は生きていけないという矛盾も抱えている。今、自分にとってのストレスがなんなのか、を自覚してない人は良いストレスな状態なのかもしれない。過度のストレスを抱えていた場合は、原因がここにある、ということを把握した上で状況を改善できるか出来ないか、の瀬戸際にいるのかもしれない。私の場合は元旦那が過度のストレスの上に、精神的に病む原因になってもいたので、離婚した今はそれなりのストレスフリーのはずですが、また新しいストレスはあることには変わりなくて、それに手をつけられずにいる。

今、生きてることに感謝しながら、なにかの役に立てないか?と思う時があります。

献血
ドナー登録
臓器提供意思

薬頼りに生きてる身としてはなかなか今になって出来なくなってますが、ある人のTwitterを見ていた時に、これほど献血ができない自分がつらいとは思いませんでした。同じような薬を服用していたので、その人ピンポイントでもいいから献血したい、でもそれも叶わない。私はただ、献血のお願いのツイートを拡散してもらうしか出来ませんでした。今でもお父様がTwitterを更新されてますが、ご本人はこちらの願い虚しくら24歳という若さでこの世を去りました。ご本人もお父様も全く知らない人です。けれど、「死にたくない」もっとやりたいこともあった、苦しい思いだってしたくなかった、色んな思いを書き綴っていました。

私が余命宣告をされるようなことになったら、そこまで強くいられるだろうか?考えさせられました。今は未成年がいるので弱ってる場合ではありませんが、その子が独り立ち出来るまでは何とか生きていかなければ、とは思います。

最後に一言残させてもらえるなら

自ら命を絶つような真似だけはしないでください

生きていれば辛いこともたくさんあります。みんな楽しいだけで生きてはいません。

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