昼下がりの雨上がり
概念としての雨上がり。草花や鉄柵から滴る雫、アスファルトの水溜まり、雲間から覗く薄光は木漏れ日みたいなおひさま。頭の中はこんなに綺麗なのに現実はきったないね。濡れた土の匂いはあの頃を思い出す。ほら顔を上げて。
最近いろんなことを覚えていられない。昨日何をしたとか、何を食べたとか。あの頃本当に欲しかったものとか。がんばらなきゃ思い出せない。乾いた砂のように両手からこぼれ落ちていく。怖くてたまらない。自分から掬おうとしなくたってそういうものはずっと自然に僕の一部で、何か特別なことをしなくても覚えているって思ってたんだ。可能かどうかなんて考えもなかった。何かを知るれば知るほどに悲しくって、幸せだなって思う度に苦しいんだ。今この手にある大切なものを、今、あと一瞬握りしめていたい。
真剣に考える夜がある
ここから飛び降りたならって。きっと気持ちがいいだろうな。今日は、心地よい風が吹いている。でもこんなこと考えるぼくが怖くなる。死んでも構わないと思っているぼくが紛れもなく今いて、きっと思っているより簡単に人は死んでしまえるのだと思った。
洗濯物が揺れる。遠くの景色が見え隠れする。明かり、明かり、明かり。今ここから飛んでも誰も気づかない。家族は、寝ている。夜も寝静まって、鳥も猫も花も皆。あぁ本当に飛べる気がして。
自分の痛みまで愛することはそんなに楽ではないから、こんな苦しいときはただはやく過ぎてほしいと思うし、今死ねたらもう楽になれるのにとも思う。死ねば何もかも無くなるということが怖いと感じられるのは健康な時だ。ご飯が美味しくって、お風呂があたたかくて、誰かの手の温もりを思い出せる、そんな時。朝歩く道が憂鬱でなくって、眠るのが簡単で。当たり前なんかじゃないよ。できて当然なんて、これっぽちも思わないでいいんだよと思う。
君は君の速度で。
死にたい朝に流れ着いた。大切な人一人救えなかった昨夜の淵にぼくの心臓は未だぶら下がってる。独り善がりなんだ、結局。ぼくの前で泣いてほしいと思うのは、この人にとってぼくは安心できる場所なんだと存在意義を確かめたいから。承認欲求に犯されて、そんな自分を殺したい。こんなんじゃ助けられるわけがない。あの子は愛されたいと言ったのに、ぼくも愛してなんて身勝手で傲慢で浅ましい。
全部、全部。夢に置いて行けたら楽なのにね。悪い夢の中に閉じ込めて。自分の醜い場所を愛する必要もないのかもしれない。死ね!と思いながら傷を抱えて生きている。
今日も人、人、人。電車に揺られる朝。目的地駅、パンパンに膨れ上がった胃袋から吐き出されるように皆が歩き出す。
社会は今日も歩いている。
昼下がり、百日紅、恋煩い。どれも可愛くて素敵
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