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「家主さんの秘密」 本編

「入るよ、母さん」

 僕は声をかけて、病室に入った。

「あら、息子さん? まだ中学生でしたっけ。いつもお見舞いに来て、偉いわね」

 中にいた看護師さんが、ニコニコしながら部屋を出ていく。

「葵、よく来てくれたわね」

 母が体を起こそうとしたので、ベッドに近づき、それを押しとどめた。

「寝たままでいいよ。調子はどう?」
「おかげさまで、今日は大分いいわ」

 そう答えて、母がにこやかに笑ったが、少しやつれて見えた。

「そうだ、また家で怪奇現象があったよ」
「前にいっていた、スリッパを揃えておいたはずなのに、いつの間にかバラバラになっていたみたいなこと?」
「うん。昨日、風呂場の掃除をしていて、排水口の蓋に溜まったゴミをとろうとしたんだ。そしたら、なんと、大量の長〜い髪の毛が巻きついていたんだ……。怖いでしょ?」
「怖いわねえ。長い髪なら、お父さんの幽霊でもないし」
「だからさ、早く病気を治して帰ってき――」
「そうそう、一人で家にいるのが怖いなら、いいことを教えてあげる!」

 励まそうとした僕を遮って、母が妙案を思いついたとばかりに、手を叩く。

「うちの3階に、物置部屋があるでしょう? 貴方は入ったことないと思うけど」
「ああ、いつも鍵がかかっている部屋?」
「そう。夜中の12時きっかりに、そのドアを3回ノックしてみなさい」

 母の意図がわからず、僕は首を捻った。

「どういうこと? トイレの花子さんみたいで、逆に怖いんだけど」
「ふふ、やってみればわかるわ」

  母は質問には答えず、ただ悪戯っぽく笑っているだけだった。

 ○

 夜12時少し前、僕は自宅3階にある物置部屋の前に立っていた。
 こんなときに限って、廊下の電球が切れている。真っ暗闇の中、スマホのライトだけが頼りだった。

 母の悪戯好きは、昔からの悪い癖だ。よくパーティーグッズやびっくり箱などで驚かされた。
 びっくり箱など時代遅れだと思われるかもしれないが、誕生日にもらったプレゼントをワクワクしながら開けた、いたいけな子どもの気持ちを想像してみてほしい。

 今回は何を企んでいるのやら。やれやれと思いながら、ここまでやって来た。

 3階は夏だというのに、なぜか妙に肌寒い。
 病室での「花子さんみたい」という会話を急に思いだした。

(大丈夫。僕に霊感なんてないんだから、きっと大丈夫なはずだ……)

 自分にいい聞かせながら、スマホの画面をチラッと見ると、ちょうど12時を示した。
 意を決し、ドアをノックする。

 コン、コン、コン――。

 しばらく固唾を飲んで見守っていたが、何も起きない。
 下に戻って宿題でもやろう、そう思って踵を返した瞬間だった。

 ガチャッ、キイッ――。

 背後の扉が、ゆっくりと開いた。慌ててライトで照らすと、ドアの隙間から長い黒髪が垂れさがっていた。

「ない……」

 下を向いていたそれが、頭を上げる。

「ご飯は?」

 垂れさがった髪に隠れて顔だちはよく見えないが、こちらを睨んでいることだけはわかった。

「うわっ、お化け!!」

 一目散に駆けだすと、お化けが追ってきた。

「こらっ、待ちなさい! 誰がお化けよ!」

 お化けは僕の服を引っぱって、無理やり静止させた。
 もがきながらもよく見ると、お化けが来ている白いワンピースの下には、ちゃんと足があった。

「君、もしかして葵? しばらく見ないうちに、大きくなったね」

 ○

 僕たちは、明るい1階のリビングまで降りてきた。

 リビングの棚には、家族写真が飾られている。
 幸せそうに笑う写真の中の父、母、自分。
 それを見て落ちつきをとり戻し、目の前の女性に向きあう。

 年齢は10代後半から20代前半といったところだろうか。透きとおるような白い肌の小柄で華奢な女性だった。

 ただ、どうしてもこの人物に見覚えがない。なぜ、この家にいたのか。

「君が部屋に来たということは、恵子さんの身に何かあったの? 今、入院しているはずよね?」

 恵子さんとは、母のことだ。

「母さんは確かに入院しているけど、危篤とかではないよ」
「そう。よかったわね。それじゃ」

 それだけいうと、そのまま部屋に帰ろうとした。
 僕は慌てて呼びとめた。

「ちょっと待ってよ! 急に出てきて、誰なの? いつからこの家にいたんだ?」
「……恵子さんから聞いていないの?」

 女性は気怠げに振りかえって、不思議そうな顔をした。

「何も」
「ふーん……。まあいいわ、教えてあげる」

 女性は俯いて何ごとか考えていたようだったが、やがて顔を上げて、ニヤリと笑った。

「私は、ここの家主様よ!」

 ドーンという効果音が鳴りそうな感じで、家主がドヤ顔で胸を逸らす。

(この人、態度はでかいけど、胸は小さいな……)

 思わず、余計なことを考えてしまった。

「家主って、大家さんってこと? うちって賃貸だったっけ?」
「まあ、少し違うけど、似たようなものよ。恵子さんとは、重要な契約をしていてね」
「契約?」

 突然出てきた重々しい言葉に、思わずゴクリと唾を飲みこんだ。

「そう。君たちをこの家に住まわせる代わりに、私に手料理を用意するという契約よ!」
「……普通、そこは家賃なんじゃないの?」
「でも、恵子さんが入院したことで、その契約が反故にされかけている!」

 確かに母は毎日、手料理をつくっていた。パートのかけもちで忙しかったはずなのに、それだけは欠かさなかった。
 まさか契約のためだったなんて、思いもしなかったが。

「これは由々しき事態よ。いい? ここを追いだされたくなければ、君が恵子さんの代わりに、わたしの食事をつくりなさい!」

 キメ顔で、家主が僕をビシッと指さす。

「え、僕がやるの? 家事はするけど、料理だけは全然ダメなのに」
「簡単なもので構わないわ」
「毎晩12時になったら、さっきみたいにドアをノックして、廊下に料理をおいて去りなさい。返事は?」

 家主がズイッと顔をよせて凄む。

「……はい」

 気がついたら、頷いてしまっていた。
 家主は返事を聞くと満足げに、さっさと階上に消えていった。

「もしかして、怪奇現象は全部、あの人が原因か……?」

 ○

 学校からの帰り、僕は足早に歩いていた。母の入院している病院に行くためだ。
 途中、鞄を置きに家によると、見知らぬ中年くらいの女性が呼び鈴を鳴らしていた。

「うちに何か用ですか?」
「あら、もしかして葵くん? 大きくなったわねえ。おばさんのこと、覚えてない?」
(このセリフ、テンプレ化しすぎてないか?)

 思わず、昨日の家主の台詞を思い出してしまった。しかし、自分のことを知っているようだが、この女性にも覚えはない。

「ああでも、前にあったときは、こーんな小さかったものねえ」

 僕が答えられずにいると、女性は勝手に自己完結したようだ。
 ただし、僕の当時の大きさを表しているらしいその指先は、小豆くらいの大きさしかなかった。

「おばさんね、あなたのお父さんの妹なのよお」
「父さんの? ということは叔母さん?」
「そうよお。恵子さんに会いたいのだけれど、今入院されているんですってねえ?」

 妙に耳障りな猫なで声で話す人だと思いながら、それでも親戚だといわれると無下にはできなかった。

「それなら、これから病院に行きますけど、一緒に来ますか?」
「あら、助かるわあ。」

 叔母がニイっと下卑た笑いを見せた。こちらの肩に手を回し、馴れなれしく掴んでくる。

「それにしても、立派なお宅よねえ。恵子さん、病気で働けないうえに、入院費や手術費もかかって大変でしょう? お金が必要よねえ。そうだ、このお宅を譲ってくれないかしら」 
「は?」

 いきなり、何をいいだすのだろうと思った。タチの悪い冗談かと思ったが、叔母はいたって真面目に話を続けている。

「そうすれば、まとまったお金が手に入って、家族で安心して暮らせるわよ。葵くんからも、恵子さんを説得してくれないかしら?」
「そんなこといわれても……」

 慌てて距離をとろうとしたが、叔母に肩をがっしりと掴まれてしまっていて、動けなかった。

「貴方も学校に通っているし、まだまだお金がかかるでしょう? これはね、お母さんのためなのよ。黙っていうとおりになさい!」

 態度を急変させて凄んできた叔母に、恐怖で動けなくなった。肩を掴む叔母の手が食いこんで痛い。
 離して、と叫ぼうとした瞬間だった。

「そうやって、この家を安く買いたたくつもりなんでしょう。前に恵子さんに断られたくせに、懲りないですね」

 急に、冷ややかな声が割って入った。いつの間にか叔母の背後に、家主が立っていた。
 叔母が驚いて飛びあがった。それと同時に、僕の肩を掴んでいた手も離れた。

「貴女、柚香ちゃん? いやあねえ、買いたたくだなんて」
「葵を丸めこんで、恵子さんを説得しようとしても、無駄ですよ」
「な、何でそんなことがわかるのよ!」

 叔母は家主にも高圧的な態度を緩めなかった。
 しかし、家主は一歩も引かず、堂々としていた。

「だって、この家は、私が株で儲けたお金で建てたんだもの」
「へ?」

 家主の意外な言葉に、叔母は目を真ん丸にして、すっとんきょうな声をあげた。

「もちろん、私を説得しようとしても無駄です。葵を利用しようとしたこと、許しませんから」

 家主がキッと睨みつける。叔母は青ざめて、そそくさと帰っていった。
 僕はホッとして、家主に礼を述べた。

「助けてくれて、ありがとう」
「別に。たまたま、窓から君が絡まれているのが見えたから。むしろ、巻きこんで悪かったと思っているわ」
「そんなことない。カッコよかったよ! でもあの人、家主さんの知りあいなの?」

 家主は、大きくため息を吐いた。

「あー、やっぱりそれ聞く? いつまでも隠しておけないし、仕方ないかあ」

 家主は困った顔をして、頭をポリポリと掻いた。

「実は私ね、あなたのお姉ちゃんなの」
「は?」

 家主の突然の告白に、僕は混乱した。

「え? どういうこと? じゃあ、ずっと一緒に住んでいたの? 僕が生まれる前から?」
「そうよ。私、名前は柚香っていうの。父さんは恵子さんとは再婚で、私は父さんの連れ子だったのよ」
「そんなこと、全然知らなかった……」

 当然といえば、当然かもしれない。
 母が息子に、父は再婚だったと、わざわざ伝える必要はない。ましてや、自分はまだ思春期真っ只中の子どもだ。

「でも、私は新しいお母さんに、なかなか馴染めなくてね。間もなく父さんが亡くなって、私は引きこもるようになったわ」

 柚香は過去を遡るような遠い目をした。

「でも、恵子さんは働きづめで忙しいのに、ちゃんと手料理を用意して、毎日私の部屋の前から話しかけてくれた。だから、私も少しでも何か返さなきゃと思ったの」

 ようやく納得がいった。
 母が毎日料理をしていたのは、契約なんかのためじゃない。母にとって、手料理は娘との唯一の絆だったのだ。

「それで、試しに株を独学で勉強してやってみたら、思いのほか儲かってね。この家を買ったの。そこで、あの契約を結んだというわけ。契約がなくても、恵子さんは手料理をつくってくれるわけだし、契約っていう形なら気負わなくてすむかなって。もちろん、恵子さん一人のパート代では足りない生活費も、私が稼いでいたのよ」
「そうだったんだ……」

「ちなみに、恵子さんがこのことを隠していたのは多分、最初はほんの悪戯心ね。葵が私を覚えていないのをいいことに、実は姉がいたと驚かせるつもりだったんでしょう。でも、なかなか姿を見せない私に焦って、昨日のことを企てた」

 柚香が、やれやれとばかりにため息を吐いた。ここまで来ると、母の悪戯好きも筋金入りだ。

「人騒がせな……。母さんとは、頻繁に会っているの?」
「メールでやりとりはしているけど、未だに直接会うことはないわね」
「何で?」
「……あえていうなら、引きこもりのプライドってやつ?」

 ようは、今さらどんな顔をして会えばいいか、わからなかっただけだろう。
 どうりで、家族写真がなかったわけだ。

「じゃあ、これから一緒に、母さんのお見舞いに行こう」

 柚香の手を引いて、歩きだした。

「そんな急に……」
「ね? 柚香姉さん」

 振りかえって笑いかけると、姉は驚いた顔をしたが、すぐに照れた笑いを返した。

「もう、しょうがないなあ」

 今度は3人で、とびっきりの家族写真を撮ろう。そう心に決めて、歩きだした。


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