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(番外編01)自己肯定感のとらえ方。

1.今日の余談(SNSの向き不向き)

最近気づいたことがある。
私は人に興味がないのかと思っていたが、それは違った。
どうやら妬みの感情が極度に低いようだ。
これは人に言われて気づいた。
その代わり正義感が強く、しょーもない争いや棘のある表現が苦手だ。
これらが顕著に表れるのが、SNSからのストレスだ。

Instagramからのストレスはほぼない。
これはInstagramが自己表現の場であることが多いからだ。
そこに対しての妬みが少ないため、自身の休日の参考や、近況報告として受け取っている。

対して、Twitterからのストレスは大きい。
バズっているツイートへは、争いのリプライがあふれている。
妬みハンマー、価値観の押し付けパンチ、正論ソードをわざわざリプライで振りかざす必要はないと思ってしまう。
140字で伝えきれるわけもないし、
そのツイートは私へ向けたものでもないから、安心したいところなのだが、仲良くしてくれと思ってしまう。

小さな電気機器に振り回されて馬鹿馬鹿しい。
そんなのは映画の中だけにしたい。

余談の余談だが
東京という街は、自己表現と同時に、争いもあふれている。
魅力的な投稿と、読みたくないツイートを永遠と浴びているような感覚を覚える。

最初にも書いたが、
自分の良いところ、感情や考え方の癖は誰かに言われて気づくのだろう。
つまり自分を信じられるかどうかも同様と考える。

2.一般的な意味合い

自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉(ウィキペディア参照。)
研究者によって表現は多少異なり、、多義的に用いられるている。
近年よく聞く言葉だが、定義は曖昧なようだ。
自信と同様の意味や、自己を肯定する感情程度の意味合いで使われているのだろう。

3.自信は分野でとらえよ

私は自己肯定感が高い状態を下記のようにとらえている。
「その環境において、自信のある特性を複数持っている状態」

・自信とは

まず「自分に自信がない」と大きく語って良いものではない。
(もちろん自信がある方はそのままで良い。)
理由は、自分に自信がなくなってしまうからだ。
今日の余談でも記載した通り、自分の考え方は誰かに言われて気づく。
それは自分に言われて気づく場合もある。
だから「自分に自信がない」と声に出してはならない。

・特性にわけて考える

自信は特性に分けて考えてほしい。
わかりやすく人の見た目で例えていく。

・まずは身長。
私は身長が168.5cmと、ほとんど平均身長にも関わらず、自信がない。
これは高校2年生まで、背の順で前から2番目だったことが要因だ。
もちろん小学生のころはイジメられた。
他者からマイナス評価で育ったのだ、自信があってたまるか。
私は見た目に自信がなかった。

・次に肉体。
私は肉体美にはあまり頓着がない。
大学生以降、肉体美も評価基準に挙げられるようになった中で、
そもそも身長が低いため、無意識に諦めているのが実状かもしれない。
ちなみに他者と比較すると、筋肉は少なく、腹は出ている。
自分が気にしなければ、自信のあるなしの評価基準からは除外される。

・最後は顔。
私は顔に自信がある。
まぁ聞いてくれ、noteを閉じないでくれ。
本当に思っているわけではないから、会っても殴らないでくれ(笑)。
先述した通り、小学生までは身長などで評価されていたが、
中学生卒業ころから、顔も評価されるようになったのだ。

はじめは理解ができなかった。
急に新しい特性の評価軸で褒められても、受け止められない。
「私は、見た目に自信がない」と考えていたため、価値観は急には変わらない。

・評価
それぞれで見ると、自信がないのは身長だけだと分かる。
しかも自身を持てていない理由も、過去の経験から明確である。

また見た目全体を評価するにあたっては、人によって重要視する特性は異なるだろう。
そこでわかりやすいように、自分にとっての評価を特性ごとに点数付けた。
大学では60点以上で単位がもらえ、下記のような点数配分で評価がされていた。同様の基準を用いる。
可:60~69点
良:70~79点
優:80~89点
秀:90~100点

特性ごとに分けた自信の評価

20点+10点+30点で、合計は60点。単位はもらえる。
もはや「見た目の自信はない」ではなく、「自信普通」だと言える。

・まとめ

「私は、見た目に自信がない。」と言ってはいけない。
正しくは、身長には自信がなく、肉体には頓着がなく、顔には自信がある。
わかりやすいように点数を付けたが、「見た目」全体としては合格点だ。

もし自信がないようであれば、別の方法を提示しよう。
髪を整え、毛を処理し、爪を研ぎ、適した服を着てみてはいかがだろうか。
自信がでてくるはずだ。
なぜか、それは自信のある評価軸を増やしたからだ。

常に大枠でとらえるのではなく、特性ごとに分解して考えよう。
「自信がない」問題は、自信のない特性を是正するか、評価軸を増やして自信がない特性の評価配分を減らすかで、解決できる。

3.自信は環境によって異なる

先ほど身長に自信がない要因として「背の順で前から2番目だったことが要因だ」と記載した。
しかし正しくは、身長は高い方が良いとされる環境に起因する。
また、ここで誤ってはいけないのは、先ほどの話はあくまで例えである。
自分が今、自信を持ちたい事柄は何についてであろうか。

・環境に適した自信

見た目に自信がついたからといって無意味な場合もある。
当たり前だ。
高校時代の部活の大会、大学時代の研究発表など、君は「見た目」によって自信を左右されただろうか。
きっとこれまでの努力、部内や学部内でのランキング、そういったものが自信に関連したはずだ。
「自信がない」はその場その場で「何に自信がないか」を考え、それを特性ごとに分ける必要がある。

・他者軸の自信

顔の例にもあったように、自信は人から与えられることが多い。

極端ではなく、平安時代を例として考えてほしい。
肉付きが良く、肌を白く塗った女性が評価された話は聞いたことはあるだろう。
要するに自信のあるなしに関しては、周りにどう評価されて育ったのか、環境次第である。
自信は人から与えられるもので、多くは育った環境に左右される。

・自分軸の自信

ん?待てよ。
人からダサいと言われた服でも、着ていると自信が出てくる服があるぞ?
先ほど、自信は人から与えられるものだと記載したが、これは条件付きだ。
その事柄に関して、自分を信じたことがない場合、自信は人から与えられるもので、多くは育った環境に左右される。」

「思い入れ」がある、もしくは「数」をこなした場合は例外なのだ。
「思い入れ」は自分の中から湧き上がるものである。
私であれば映画が好きだから、映画においては自論を展開する。
また人の前で話す「数」がこれまで多かったため、
話す行為であれば、権威のある人が相手でも自信をもって話せる。
本来自信とは、自分を信じられる状態を指す。

・まとめ

1.自分が自信を持ちたい事柄は、何についてであろうか。
2.なぜ自信がないのだろうか。
3.自分を信じるに足る「思い入れ」があるか、ない場合は「数」をこなしてみてはいかがだろうか。
4.書き忘れたが、人より努力しても、思い入れも得られないものは捨ててしまおう。
私の場合、勉強英語を捨てた。
勉強という環境において、努力はしたが、点数という他者からの評価が得られず、特に親しみもない科目であったため、受験後に英語の勉強は捨てた。
洋画は字幕過激派だ(笑)。
英会話であれば、また違った楽しみを覚えるのかもしれない。

4.自己肯定感のとらえ方。

・総括

改めて、自己肯定感とは
「その環境において、自信のある特性を複数持っている状態」
である。

・自信がないと大枠で語ってはいけない
・今置かれた環境において、求められているものは何か。
・そのものの中で、何には自信があり、何には自信がないのか。

・はじめて出会う評価軸には、他者評価が入る。その場合、自信は人から与えられるものになる。
・思い入れがある場合は、自信など気にならない。

自信のなさを解決したい場合
・自身のある特性で、評価軸を増やす。
・自身のない特性を、経験「数」でカバーする

・最後に

あらゆる環境において、自分軸の自信を複数持っている人間は、どんな場面においても自己肯定感が高く見えるはずだ。
まずは数をこなし、自身のある特性を増やしていくことから始めよう。

実際に私も、
新卒入社時は、学ぶために誰より早く行動することを心掛け、同期で唯一の初月成約をした。
また新規事業部への部署異動時には、慣れる必要があったため、1日に電話・メールなどで600本と、誰よりも多く行動した。
そして平均在籍年数1年未満の環境で、同期16名中2番目に長く営業職を続けた。

そのため行動に関する、スピード、量、タフさには自信がある。
ただし、会社という環境で求められる基準が高く、自己肯定感は下がり続けた。正しく自己評価ができなくなり、そして立てなくなった。
そういうわけだ。
過酷な環境に身を置く場合は「数」だけでなく、最後に足を支える「他者評価」もしくは「思い入れ」など、複数の要素が必要なようだ。

次回の番外編では、自己肯定感の3フェーズについてまとめる。

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