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海外ドラマ「ボッシュ:受け継がれるもの」シーズン2 エピソード10より

エピソード9で、主人公であるボッシュは
彼の警護をすり抜けて単独で犯人を捜しに行った。

犯人は見つかったが、正に撃たれる直前に、
警官になった娘に救われた。

その話の続きであるエピソード10の冒頭での
やり取りを見て、日本人には無い感情を
見た。
それについて書きたいと思う。

娘のマディーは犯人を撃ち殺した事により、
PTSDに近い状態になっていた。
ボッシュは「正しいことをした」
と娘に言ったが、娘は「仕方なかった」と
言ったが、間を置いて、本当の気分はと
話を続け、途中で本心をさらけ出した。

それは父に向けての怒りであった。
娘の怒りの言葉を受けて、
ボッシュは「俺に?」と尋ね、
マディーは「パパに」と答えた。
彼女は続けて言った。
「エリスとママにも」
「ママ?」とボッシュが言うと、
「パパが常に心配なの」と言うと、
「俺もだ」と父は答えた。

「パパは警護をすり抜けて単独で動いた。
もし私が気づかず間に合わなかったら」と
怒りをあらわにするマディーに、
ボッシュは、
「怒ってる理由は分かった」と言った。
「本当に?」とマディーは更に聴き返した。
「本当の意味で?」と
重ねて娘は父に、問いただした。
ボッシュはそれに答える事が出来なかった。

「パパまで失ったら。。。
どうなるか考えたことは?」
と彼女は思いのたけを父に伝えた。
ボッシュは涙を流す時のような籠った小声で
「常に」と言った。
「なんだか・・・すごく疲れた」と
マディーは答えて、
「ちょっと走って頭を整理する」と言った。

行く前にボッシュの額にキスをして、
「愛してる」と伝えて出て行った。
ボッシュも「俺もだ」と答えた。

私はこのシーンを見て、感じた事は、
どんなに怒っていても、「愛してる」と口に
した事だった。

日本人には無い思想だと感じた。
アメリカでは子供の頃から頻繁に愛を伝え合う。
日常的な挨拶に近いものである事は認めるが、
怒っていても、愛の言葉を伝える場面は多く
見られる。

海外ドラマのホワイトカラーでも似たような
シーンがあった。
たまたまだが、主人公の一人とも言える、
切れ者の捜査責任者が誘拐された時、
その日の朝、妻と喧嘩をして、どんな時でも
いつも愛の言葉を交わすのに、その日に限って
愛を伝えれなかった。

その事を妻は非常に後悔していて動揺した。

海外の映画やドラマには、多くの愛の形が
出て来る。私はそれらを見て来て、
愛というものに対して、非常に興味を抱いた。

親からの愛が無かったのも、自分では気づいて
いないが、おそらく心の中にトラウマのように
あるからだろうと思う。

国が違うからだと言う意見もあるが、
愛に関しては世界中が認めているものである。
そこに国境は無いと私は思うが、
お互いが想い合っていれば、
愛の言葉の数だけ幸せが生まれるものだと
思うが、他の事では一切照れない人でも
この事に関しては、最初の頃だけという人が
圧倒的に多い。

よく聞く理由は、慣れて空気のような存在だと
言う人も多数いるし、別にわざわざ言わなくても
等の理由があげられる。

しかし、それは男性目線からであって、女性は
どうなのかは男性は知らない。
私は常に男性と女性の違いは理解しているが、
理解が及ばない時も希にある。

そういう時、女性の真理が読めず、どうするべき
か困る事もあった。
叔父がいつも妻への愛を私に伝えて来るように、
正直言って、見ていて春の花が開花するように
気持ちよく聞こえる。

子供の頃は私もどうしていいか分からず、
照れていたが、いつからか言葉にして伝える
事は、大切な事だと気づくようになった。

この「ボッシュ」を見ていて、その想いが
頭を過ったので書いてみた。
男性同士で恋の話は滅多にしない。
世の中には一度もしない人も少なくないだろう。

しかし、女性はする。
それは喜びを伝えたいのか、共有したいのかは
私にとっては分からないものではあるが、
日本の場合、女性のほうが愛をよく知っている
のかと思わされた。

女性の場合は、好きな男性に対して
愛を伝え続ける人も多い。
だが、男性は口説くために言うだけの人も
少なくない。

私にとって謎の世界ではあるが、
愛を伝える事はちゃんとしている。
それは正しい事だと思っているからだ。


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