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悲しすぎる実話 5

私は中学生になって、全ての塾と習い事を辞めた。少林寺拳法も習っていたし、兄弟喧嘩を普通は止めるのであろうが、私の父親は奨励《しょうれい》するかのように、止めた事は一度も無かった。

「ただ武器は使うな、後は何でもしていい」と言って両親は遠くの部屋へ行き、一切関知しなかった。今から考えても、弟の危険性は誰もが知っていた事を考えると有り得ないことだ。

臭い物に蓋《ふた》をするように、見て見ぬふりを生涯貫いた。
弟は喧嘩モードになると、全くの別人になる。武器を使うなも忘れたように尋常では無い事を平気でする。一番大きい乾電池を顔面に向かって投げられた事もある。当たれば間違いなく死んでいた。

ある時、私の友達と弟の三人で何かのゲームをしていた。テーブルに私と弟は向かい合い、友人が挟まれてるような形に座っていた。

その時、普通に遊んでいたが、何かの理由で弟が怒りを露《あら》わにした。私は慣れてはいたが、殺気を放ち、いつ何をしてもおかしくない状態だった。弟は私の友人がいたせいか、襲っては来なかったが、物を殴りつけて出て行った。

弟が居なくなってから、友人は言った。殺気を初めて感じた。殺されるかと思ったと。
奴はそういう奴だった。というよりそういう奴に父親が育てた。
弟は明らかに精神的な病気を抱えている。

その一番の原因は知っている。

弟は敵対してくる奴には恐ろしい奴だったが、初めて友人が出来た。
そいつは私は同じバス停で、私に喧嘩を売って来た奴だった。
私の友人がそいつに負けるからやめとけと言ったからやらなかったが、
私たちよりも年下の不良とも呼べないほどの雑魚だった。

私は嫌な予感しかしなかった。
だから弟に友人になるのは辞めとけと言った。
しかし、弟にとっては言い寄って来た初めての相手に近い存在で、忠告を聞かなかった。そして家に連れて来た。そいつの友人2人と一緒に家に来た。

私は中学時代は荒れていた。2,3日に1度は喧嘩するペースで相手が複数でも負けなかった。それは中学時代の皆が知っていた。
私はよく家に友達が泊まりにも来ていたが、礼儀は当然守っていた。

しかし、弟の連れて来た奴が、弟の知らない奴を2人連れて来た事を知って
トラブルに絶対になると思った。
そして、私の想像以上の事を家にきた3人はやらかした。

#未来のためにできること

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