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私に精神の強さと誰にも負けない勇気を与えてくれた言葉

人は大小はあれど、必ず人生の分岐点が幾つかある。

それは自分の人生が変わるか、変わらないかとても
重要かつ自分が試される何かが起こる。

私は元々それなりに強くはあった。
強い意志を持って、生きていた。

しかし、必ず己の意思を貫く事が出来るわけではない。
自分に負ける事もあった。
つまりは自分に誓ったものが壊れた時だ。

中学生の頃、私は体育の時間に遅れて、体育館に行くと、
人だかりが出来ていて、割って中に入ってみると、
教室は違うが、私の友人が丁度、相手に顔面を殴った
瞬間を目にした。

彼は小学校も同じだった友人で、喧嘩など一度もした
事が無かった。
当然、人を殴ったのも初めてで、
大した威力も無かったのか、相手は私も嫌いな別の
小学校から来た奴だった。

私の中学は2つの小学校が1つになる為、
人数も多く、対立も最初からあった。

相手は大した事は無い相手だったが、普通に頬を
殴っただけだったので、少しよろける程度で、
ダメージは殆ど無かった。

何が原因なのかは解らなかったが、
私も嫌いな奴が、私の友人に対して、
「謝れ」と迫った。

友人はうつむきながら「ごめん」と言った。
相手は「土下座して謝れ」と更に迫った。

友人が片膝をついた時に、私は彼が手を床につける
寸前に腕を掴んで止めた。
そして、相手も何も言わず、事は終わった。

私は何故、喧嘩にまで発展したのかは敢えて
聞かなかった。喧嘩をするような人物では無く、
相手はチンピラみたいな奴だったし、
忘れたいであろう事だろうと思って、
その後もその件に触れる事は無かった。

それから数年たった年末に友人6、7人でバー
に飲みに行った。暫くの間、テーブル席で皆と
話ながら会話を楽しんでいた。

私はカウンター席に行き、一人で飲んでいたら、
彼が横に座ってきて、
「あの時は本当に有難かった」と彼は言った。
私は忘れたふりをしていたが、
彼にとっては最悪の事態になりかねない事
だったので改めて御礼を言われた。

取り囲んでいた奴等は誰も助けようとも
しなかった。
所詮しょせんは友人であっても
行動を起こすとなると、判断力や決断力が
必要になる。短時間で決めなければ
手遅れになる。

私は中学生になるまでは親の言いなりだった。
親の言う通り生きなければ、虐待されていた。
当然、その暴力を使って言いなりになる
時期は近づきつつあった。

私が中学生に入って、何年生だったかは
覚えていないが、その時は訪れた。
父親は大学時代から空手10年ほど
やっていたが、私と弟の喧嘩を止めた
事は一度も無く、武器無しで、
「気が済むまでやれ」と言って自分の部屋に
行っていた。
喧嘩は慣れが重要でもある。本気の喧嘩か
どうかは相手の攻撃してくる場所で
だいたいは分かる。

小学生の頃は弟とよく喧嘩をしていた。
そして中学生になったら、金持ちだからと
喧嘩を売られる事も多々あった。

父が最後に力では敵わないと
知った時の事は今でも鮮明に覚えている。

父親がいつものように力で言う事を
聞かせようとした時、放ってきた拳を
私は掌で止めた。
2、3秒だったはずだが、長く感じた。
それ以後は力で制しようとはしなくなった。

何歳の頃かは覚えていないが、
私は漫画が好きで、その中に、
「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズも
見ていた。
その頃まで、私が自分に負けて屈して
しまった事は2度あった。

「ジョジョの奇妙な冒険 第四部」で
登場した岸部露伴と言うともう分かった
人もいるだろう。

分かりやすいように、そのまま張らずに
自分の思いを乗せて書かせてもらう。

そう、主人公である東方仗助ひがしかたじょうすけ
岸部露伴はお互いに嫌いな相手だった。
二人は同じバスに乗ったが、仗助はイライラしていた。
その時、岸部露伴は何かに気づき、仗助に話しかけた。

仗助からすれば文句を言ってきているのだと思い込み、
相手にしなかったが、岸部露伴が気づいたのは敵だった。

そしてその敵に仗助は捕まり、敵は岸部露伴に対して、

敵「仗助じょうすけが目的だ。
お前はここから去れば、お前には手を出さない」

露伴「本当に私を追って来ないのか?」
と、やや恐れを抱いた表情で再度、確認した。

敵「ああ、お前の事は追わない」
この言葉は本心であった。敵は仗助から栄養を
奪い尽くすつもりでいた。既に捕まってしまった
仗助がいれば、敵としては露伴は必要無かった。

露伴の顔つきが変わり、彼は心の言葉を吐いた。

「だが断る! この岸部露伴が最も好きな事のひとつは、
自分で強いと思っている奴に「NO」と断る事だ!」

これは相手が嫌いな仗助であっても、
自分の意志を貫いた時の、気丈なる決して折れない
心の強さは何よりもまさる事だと、
露伴は言った。

この言葉から彼はかなり前から、そういう自分を
通してきた事が分かる。そして、状況がどうであれ
それは関係なく、自分との戦いに勝つ時こそ、
自分という人間性をしっかりと見つめていて、
漫画の中では敢えて嫌いな仗助を登場させる事に
よって、より明確に岸部露伴の性格を前面に
押し出した瞬間であった。

私はこの言葉を自分の人生に引用した。
人生に於いて二度、自分に屈したが、
今でも私は三度目は無いと、自分に誓っている。
イバラの道を通る事は、辛く勇気が必要になるが、
難関な道を行く時こそ、
実際、何よりも勝る快楽に近い感情が生まれる。

彼女がいるのに他の女性の誘惑も断ってきたし、
誰一人として出来なかった事にも挑戦し、私一人
だけが、成し遂げた事もある。

厳しい道を行くのは、己の為であって、それは
人助けも同様に、結果として人助けになるだけで、
自分自身の中で善悪が戦っていて、自分で決めた
ルールに従っているだけである。

少なくとも、私はそうしている。
ここ数年、私は頭の狂った父母と親族18名と単身
で戦い続けた。結果としては完全敗北だったが、
完全敗北なほど、戦い続けた。
やり抜けば、後悔は一切無いし、自分自身を
強い人間へと導いてくれる。

他にも私は映画や漫画などにも、
自分を奮い立たせる場面や言葉が詰まっている。
キツイ事だからこそ意味がある。

簡単な事や道を選ぶのは、容易い事で誰にでも
出来ることだが、行けば100%辛いと分かって
いても、自分に言い聞かせるように、頭の中で
多くの事を思い出して、タイミングを見て前進
する。

私がまだ小学5年生の頃、同じような環境の兄弟
が来ていた。私も弟と通い、その子たちも兄弟で
来ていた。お互い、時間が無い為、帰る方向が
同じだった事もあり、少し話してから帰るように
なっていた。

ある日、私と同じ年齢の兄のほうが来なかった。
弟は来ていたが、風邪か何かだろうと思って、
母に尋ねたら風邪じゃない? と言っていたので
そこまで気にしなかった。

しかし、その兄はそれ以後二度と見る事は無かった。

私には近畿大学のPC専門の教授が伯父にいて、
親族の中では唯一の味方で、色々な分野で名のある
人たちに出会ってきたが、尊敬しているのは
その叔父だけだ。

10日に一回程度、私を駄目な人間にならないように
実父よりもトータルで言うと、長い時間一緒にいて
くれた伯父で、いつものようにお手伝いさんを
使わずに、自分で広島焼きを頼んで、受け取りに
行って、近畿大学まで届けに行った。

私はその時、何げない会話として、同級生には
友人はいないに等しい程で、勉強漬けと習い事漬け
の日々の中で出会えた子が塾を辞めたみたいだと
話した。
叔父はその私の話を聞いて、いつも笑顔っぽい
顔つきの叔父が、難しそうにため息をついた。

「まあ、食べてから話そう」と叔父は言った。
食べ終わり、遠縁の伯父ではあるが、一番
教育してくれた伯父が椅子からソファに来て、

「ワシから聞いた事は内緒にしとけ。
あの子は・・・首吊り自殺をしたんよ」

突然の告白だったが、納得は出来た。

その子も医者の息子で、似たような境遇だと
思うと、最後に意地を見せたかったんだろう
と、心でそう感じた。

虐待や不正は当たり前で、簡単に言えば、
悪い事を教えている親に対して、子供でも
嫌になる日々の連続で、夢も希望も無く、
医者になりたくなくても、ならされる事は
決まっていて、親が決めた相手と結婚を
して、医者である父は常に上にいる存在が
変わる頃には、もう内面は廃人に近い
状態になる事までは、決められていた。

実際、私も小学生の頃からお見合いの話
等も出ていたし、門限を5分でも過ぎれば
17時から何時間も外に出されて、
向かいのアパートの人たちの間では、
「危ないから、うちにおいで」と言って
くれる人も何人もいた。

アパートにいると知った母は教育の為
だと、住民に言ったが、やりすぎにも程
があると言って、警察を呼んでくれた
事もあった。

私とその子の違いは、私は父親の死ぬまで
喧嘩をしろと言われて不仲な弟と、よく
殺し合いの喧嘩を子供の頃からしていた
ので、中学に上がってからは力で勝てる
ようになったから助かった。

そしてその子が自殺してから、
丁度一年後、その子の弟は同じ日に兄の
部屋で同じく首吊り自殺をした。

私たちの世界では、死ぬか、言いなりに
なるか、縁を切るかの三択しか無い。
私は幼い頃から疑念を抱いたのもあり、
伯父が助けてくれたのもあって、運よく
助かっただけであった。不仲な弟は重度
の精神の病に侵されている。

母は漫画をよく読んでいた私を恥じだと
世間に言いふらし、頼んでもいない
見合いを私が断れば、私のせいにして
自分の体裁を守っていた。
それは長い間続き、私の町ではもう、
動きが取れなくなるほどまでに
なっていた。

同級生の友人は私にしか理解者は
いないと言い、夜中に来ていたが、
私と付き合うのは悪いようにしか
ならないと言われてからは、彼は
来れなくなった。

その彼は小学生の頃、親は離婚し、
跡継ぎとして友人は残り、弟は母親
が連れて行った。

しかし、祖母の余りに酷い追い込みで、
彼は孤立し、携帯さえも持てなくされ、
精神力の強かった彼もまた孤独になり、
誰とも会えず、誰とも話せず、跡取り
の為だけに残ったのに、跡継ぎに
選ばれたのは父親の弟だった。

彼も私のように従業員からは白い目で
見られ、誰とも話さず、マネージャー
のような役職で本店のスーパーにいるが、
陽気で信頼性も高く、よくしゃべる男
だったが、その欠片すらも残ってない。

彼は一生独身であろうと思う。
他にも多数の犠牲者がいる。

私は最後の砦だと言われていたが、
父の末路で本性が出た。
母も最後は本性を出した。
私の家では家族はいなかった。
父、母、私、弟の四人が住んでいる
だけだった。
会話など無いに等しいし、
お互いを警戒していた。
利害が一致した時だけ、バレないように
笑顔の仮面をつけて外に出ていた。

父は癌になり、余命半年か一年ほどで
あったが、医者しか入れない医師会の
掛け捨て保険を解約した。
おそらく、解約したのは医者の中でも
父くらいだろう。

そして私に弟を本気で殺す相談をして
きた。手にバッドを持って、自分が
取り押さえるからバッドで殴り殺せと
言ってきた。

その後に分かったが、私を犯人にして
刑務所に入れるように仕向ける為に、
邪魔な弟を殺させて、私を裁判にかけて
実刑を受けさせるつもりだった。

父は医者で世間には見えない顏を持って
いる。医者というだけで人格を見ようと
する人は少ない。

その上、癌も利用し、陪審員制度になり
父、権威のある弟も医者で、父の兄弟は
住んでいる地では名士で通っている。

うちに関しては世間は貴族だと言って
いた。陪審員は一般人で、私たちの世界
の1%程度しか知らない。
どう考えても私に勝ち目は無かった。

精神が破壊された弟は暴力性が高まり、
夜中に警察を呼ぶ事が多々あった。

私も一度だけ父と口論が激化した時、
母は警察を呼んできた。
私と父と母は別々の部屋で事情聴取
を取る事になり、母は私が原因だと
言っていたので、私には来た中では
一番上司にあたる人が話を聞く事に
なった。

後で知ったが、母も父も黙秘権を
使って何も話さなかった。
自分たちが悪い事をしておきながら
話せる訳も無く、実に愚かだと思った。

私の話を3時間くらい聞いてくれて、
「賢いだけにお辛いでしょう。
私どもには何も出来ませんが、どうか
生きて下さい。この事は全て記録として
残しておきますので」と言ってくれた。

後に分かったが、膨大な記録が残されて
いる事が分かり、信用出来る人を久々に
見た。

色々な体験を子供の頃からしてきた。
そのせいもあり、考える時間も増えて
いっていた。
母は単純な上に実に頭も悪く、
私が漫画を読むのは恥だと世間に
言っていたが、日本の漫画が世界では
高い評価を受けている事を知ると、
漫画を褒めるようになったほど、
単純な人だ。

実体験から私は私を見つける事が
出来た。
岸部露伴の話の前から次は無いと
思っていた。
三度も落ちればもう這い上がれない
と思っていただけに、
岸部露伴の歪んだ性格であるにも
関わらず、自分をしっかりと持っていた。

そういうものが、私の柱となり、
心を埋め尽くしてくれるから、
何とか助かった。だからこそより一層
しっかりと自分を見つめようと思っている。

これから先も私はイバラの道を歩くだろう。


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