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無から生むのは容易くはない


地球が生まれて約46億年経ったとされている。
我々の住む地球を始めとした他の惑星も
突然生まれた訳では無い。

巨大な惑星の寿命により、
超新星爆発を引き起こし、
その中心に出来るのがブラックホールで、
それから生まれる微惑星が互いの引力に
引き寄せられ、集合体となったのがこの地球であり、
他の星も同様であるとされている。

生命体の起源よりも昔の事なので、あくまでも予測で
しかないが、今も引き続き研究をしていて、新たに
発見する事により、大前提が変わる事もある。

これを人間に例えて見たら何が見えるのか?
産まれた時の記憶は当然無い。
性善説や性悪説などは、
そもそも有り得ないものだと
私は思っている。

ただ記憶にも留まらない幼い頃に、
何かしら衝撃的な事を受けたとしたら、
それ自体は記憶には残らないが、
何かしらの影響を受け、
善悪が生み出されると私は実体験や、
友人たちを見てそう考えている。

人間形成で言うと、始まりはそこにあると思う。
動物等にはそれが明確に現れている。
弱き動植物は生き残るために、高い場所に生地を
求めて進化していき、植物も簡単に絶滅しないように
トゲや毒性の強い液体化した噴出物等を出したりして、
強者に対抗してきた。

そうして弱者である動物等は、生き残り、時代が変化
していっても、生き延びてきた。
それは途方も無く長い時間を費やして、進化してきた
と言えるだろう。

しかし、人間の娯楽により、多くの動植物が犠牲に
なったのは確かな事で、そういった悪意ある行動は
今も尚、続いている。

サイや象などは、密猟者により角を取るためだけに
殺され、角だけを持ち帰る。

サメも同様に、ヒレを取るためだけに殺して、
同体は捨てられる。

人間はそのような行為があった事を知りながらも、
お金のためや趣味のために、沈黙して喜びだけの
感情をあらわにする。

人間は殆どの記憶は年齢と共に消えていく。
しかし、心に留まろうとする記憶もある。
大抵は、あまり良くない体験が頭や心に残って
しまうケースが多い。

良い想い出でも、それを上書きするように、
消える記憶もある。
経験としては一番身近なもので言うと、
恋愛であると言えるだろう。

その他で言えば、友人などの影響は
大きなものとなりやすいはずだ。

私の中学生の旧友の中で、
誰も知らないが異色の三人
は仲が良かった。

私と、喧嘩に明け暮れていた奴と、
大手スーパーの跡取り息子の三人は、
学校では見せないが、学校以外では
話もしたし、気楽に本音を語れる
友人だった。

喧嘩に明け暮れていた奴は、
本来は照れ屋で口下手でもあり、
実は優しい奴だったが、
喧嘩に強いという世間や
学校での視線から逃れる事が
出来ないまま、暴走族に入り、
特攻隊長になって、その後、
彼は望んではいなかったが、
ヤクザになった。

ソイツが暴走族をしていた頃、
スーパーの息子の駐車場で集会
を開いていた時、下っ端も大勢いる中で、
スーパーの息子が苦笑いしながら近づいてきて、
「いつまでこんな事してんの? もう止めなきゃ」と
皆のいる前で、アイツに叱られて、
立つ瀬がなかったと、愚痴をこぼしていた。

私は2、3カ月に一度は二人で飲みに行っていたが、
彼の本来の性格を知っていた為、
彼的にも本音で話していた。
その時に、その愚痴を聞きながら、
「自分でも馬鹿をやってるのは分かってる」
と言っていた。
もうそういう奴だと勘違いされている為、
上にヤクザがいるので、動けなくなっていた。

ソイツもそうであったが、大抵の場合、
暴走族などで有名な奴はヤクザから声がかかる。
断れないまま、ソイツはヤクザになった。

ヤクザになって、最初の頃から
「ヤクザを抜けたい」と言っていた。
ずっとやめたがっていたが、
実際、抜けるのは難しく、
10年ほどはヤクザをしていた。

ある人が仲介してくれて、
ヤクザをやめる事が出来た時には、
非常に喜んでいた。

しかし、それはあくまでも本音であり、
他の友人たちは知らない話でもあった。
だから私に話すことによって
ストレスを抜いていた。


スーパーの跡取り息子に関しては、
よく深夜に私に会いに来ていた。
私にしか話せないと彼は口癖のように
よく言っていた。

それは私の家が昔は財閥であった事を
知っていた為、テレビなどでそういった
ドラマの役柄などとは、比較にならないほど
現実では差があったからだった。

現実はもっと酷で残酷な世界であるが、
それを知る人は、誰もが口を閉ざしていた。

私の父親は5人兄弟の長男であった。
そして私はその父親の長男であった。

私はこの現実が許せなかった。
だから公言していたが、私は精神的異常者
扱いされ、世間では親が権力を使って
例えば居酒屋ではビール1杯しか出して
くれないほど、あらゆる自由を縛られていた。

そこで親に屈するのが99.9%なのだが、
私は戦った。それには意味があった。

塾仲間に、学校は違ったが同じ年の話し相手が
できた事があった。
彼は自殺した。小学3年から5年くらいだった
記憶がある。同級生であった兄が首吊り自殺を
した。基本的には兄に全てを背負わされるのが
一般的であり、跡取りとされるためだ。

弟は1人になり、兄が背負うべきものだったもの
をいきなり背負えるはずもなく、
弟は意地を見せた。
きっかり1年後に兄の部屋で同じように
首吊り自殺でこの世を去った。

そこに自由など一切無い。死ぬくらいしか無い。
言う事を聞かなければ殴られるだけの世界だ。
言う事を聞くまで、あらゆる暴力を受け続け
ていたであろうと、同じ年齢の私も同様だった
ので知っていた。

家では殴られ、学校では友人も作る時間も無い。
走って家まで帰って、塾に行って、帰ってまた
他の塾に行く日々が延々と続く。
幼稚園から小学生になっても、どんどんやる事
は増えるだけで、それに対して何かを考える
ような暇さえ無かった。

その他にも色々あるが、私のような立場で、
公然と話す人はまずいない。
言えばどうなるか、皆、知っているからだ。

父親は長く生きて癌になって死んだが、
死ぬ前に私に頼み事をしてきた。
「弟をこれで殴って殺せ」と言われた。
手にはバットが握られていた。

当然、断わった。
勿論、断われば私が危険になる事は
承知していたが、弟とも不仲ではあったが、
殺すほど嫌ってはいなかった。

母親は弟が暴力的になる度に警察を呼び、
手足の自由を奪われるほどの精神病院に
強制入院させて、逆らわないようになる
まで入院させられたが、入退院を繰り返して
いた。

私の父が医者であったため、相手も強くは
言えないのだ。強制的に言う事を聞かせる
だけであって、そこには何も無い。

父母の事は、出来るだけ苦しんで
死んで欲しいと心から願っている。
まだ母はどこかで生きている。

父が入院した後、母は財産を全て
持って逃げた。
私は既にその頃には精神的に
限界を迎えていた。

だから何もしなかった。
人生で一番キツイ数年間がきていた。
真偽も解らないまま、騙され続け、
父親は愛犬を毒殺し、私は弟を
殺せと言われた時からは、用意された
食べ物には手をつけなかった。

一度だけ私と父の公論が激化した時、
愚かな母は警察を呼んだ。
警官が8名くらい来た。

取り調べは別々の部屋で行われたが、
父母は黙秘権を行使した。
自分たちが悪いため、言える事は何も
無かったからだった。

私は年配の警官一人と話しをした。
3時間以上現実を話した。
その間、その人は一言も言わず、
私の話を聞いてくれた。

話も一部分しか話せなかったが、あまりにも
かけ離れた現実に対して、
「私たちのような者には到底起こりえない
世界です。賢いだけにお辛いでしょうが、
生きて下さいとしか、何もできないのです。
どうか生きて下さい。この事は全て記録として
残させて頂きます」

そう言ってくれて、実際に話を聞いてもらおうと
後日、電話した。対応したのは婦警だったが、
その人は休みだったので、その婦警さんが対応する
と言ってくれた。

私がいつの事か言うと、
「ちょっと待ってください。膨大な量で読むだけでも
時間がかかりそうなので、申し訳ありません」
と言われた。

しっかり書いてくれた事は、それで分かった。

世間が思っている表と、
残酷な裏の世界を知っている人は多くは無い。
私もそうであったが、我々の世界は異質過ぎて、
話しても誰も信用しない話が現実の物語で、
それは幼い頃から始まる。

明らかにやってはいけない事も平気で
やってしまうのが、現実である。
そんな中、
誰もが一度は抵抗を試みる事はある。
しかし、実際、勝敗で言うとすれば敗者になる。

その反動は耐え難いもので、
精神が強くても限界値に達するまでいったら、
実際に全てを失うように、
これまでつちかってきた
事が全て無に帰してしまう。

記憶も数少ない想い出も、何もかもが消し飛ぶ。

それからは永遠に彷徨さまよい続ける
生ける屍となる。
スーパーの跡取り息子として、
親が離婚した時に母親が連れて
いけたのは弟だけだった。

しかし、離婚が彼を崩壊させたのではない。
その程度の問題は、誰にでも起こり得る問題であるし、
当然、それが辛い体験だったという人もいるが、
我々の場合は、産まれながらにして、
精神面でも強くなければならない環境に置かれる為、
基本的には精神面は特に強い。

許容範囲が大きいので、大抵の事が起きても
対処できるし、飲み込んで終わりにする事も出来る。

スーパーの彼は父親の母である祖母に、
徹底的に悩まされていた。
誰もが持っている携帯も駄目とされ、
友人を作る事にも制限を設け、
彼の趣味の数少ない趣味も奪われ、
彼はどんどん追い詰められていった。

高校では虐めにあい、家では居場所も無いほど
疲れる日々を送り、
それは日に日に彼の精神力を奪って行った。

今でも信じられないほど、明るく、性格もいい、
誰からも信頼のおける男だったが、
絶望した彼を救う事は出来ないまま、
彼は跡取りから外された。
今後の彼の人生は、目に見えるほど
悲惨なものでしかない。

私自身も一族を相手に戦い続けたが、
結果として敗北し、やれる事は
もう無いと分かった時、
私が産まれた意味を示すには、
死しか無いと思った。
屋上から飛び降りて、
病院の真下を赤く染めてやろうと思った。

仕返しをしようかとも思ったが、
伊達政宗や春秋時代の人物たちを見て、
仮に相手が絶対的に悪い状況下でも、
仕返しをすれば、世間には誤解され、
真実は伝わらない事は、
哲学的にも歴史的にもそうであった為、
他の手を考えた。

ちなみに「屍に鞭を打つ」という言葉は
春秋時代に実際にあった事だ。
人徳を備えた人物であったが、それをも
越えるほどの怒りを表している言葉だ。

3年ほど前までは最後の手として残していた。
しかし、ここ数年で生と死が、反転し、
生きようという心が去年から芽生え始めた。

昔とは明らかに違う自分だと認識している。
良し悪しでは言えないほど、
繊細なものではあるが、
ここにこうして書いている時点で、
生きようとしていると言える。

私は今は少しずつ人間を取り戻し始めているが、
簡単な事では無い。
よく人が言う、第二の人生では無い。

完全に第二の人生を送るようにして、
この山場を乗り切るしか無いと結論付けた。

そのためには一度全てを捨てなければ
ならない事が分かった。
友人たちやネット上の知り合い、
聴く音楽、好きだったドラマ、
何もかも捨てた。

実際、YouTubeが見れるようになったのは
2年前ほどからで、
それまでは何の情報も入らない
自分の世界の中にいた。
資産はそれなりにあったので、特に問題
は無かったが、第二の人生を始めるに当たり、
人生で一番悩んだ。

完全な第二の人生である以上、
無から始めるしかなかった。

私の世界はドラマや映画の世界だと、
皆が口を揃えて言うが、楽なものじゃない。
苦から始まり、苦で終わる日々を毎日、
繰り返している。

繰り返す事に、色々考えてはいるが、
以前よりは確かにまともになり出してきて
いるような気はする。

東京の知り合いにカウンセラーを紹介された。
このnoteを約1年前に始めたのは、
そのカウンセラーさんの勧めだった。

通常、カウンセラーは相手の話を聞いて
その心を推し量り、助言をするもので
あったり、何かしらの進言をしてくれる。

しかし、やはり次元が違い過ぎる事も
あり、私の場合は過去との決別を如何にして
つけるかが問題である事は、私自身が一番
よく解っている事であったため、
一般的なカウンセラーとの会話では無い。

大抵は世間話が中心となっている。
今の私はまだ完全には復活できてないので、
迷惑がかかるだろうと思い、退職しようと
したが、私がしている仕事は私にしか
出来ないので、出来る限りはゆっくり
出来るよう取り計らってくれた。

私の仕事は考える事で、分析や難易度の高い
とされる仕事がメインである。
分析は会社や個人が対象で、相手の思考を読み、
それから取材内容を考える事等が主なため、
会社に顏を出さなくても、それほど問題は無い。

大抵はPCの前にいるか、寝ているかで、
やり取りはPCでするので、会社に顏を出す時は、
打ち合わせの時くらいにしてくれた。

去年あたりから、noteで書く楽しみを覚えた。
カウンセラーと死なないと約束をしたので、
もう死ねない。

私は実に汚らわしい父母を見て、その逆を
生きる事にしたからだ。
約束は限り無く守るし、自分の言葉も
曲げないようにしている。

偉人たちの言葉を再び思い返し、
今の私は確実に前に進み始めている。

乗り越えたのかどうかはまだ分からないが、
以前の自分より強くなった事を感じる。

だからこそ、偉人たちの言葉を理解できる
ようになったのだと思う。

言葉自体は問題が起こる以前から知って
いたが、その本当の意味に触れたのは、
この激動の世界を乗り越えた時に、
初めて見え始めた。

だから私は体験する事の大切さをよく
書いている。
実体験からの事なので、間違いは無い。

1日3本以上書くというものも、
本当の意味での第二の人生であるから
今までの分を取り戻すために書いている。

しかし、手抜きはしないと決めている。
偉人たちの頑張るという意味もしっかり
受け止める事が出来たので、
頑張る事の本当の意味を知る事ができた。

彼等も激動の時代の中で、苦しみ、自分
すら疑い、悩み、そして成長していった。

それらを体験する事により、本当の意味
を知ったからこそ、私は頑張り続ける
事を決めた。

無から私の第二の人生は始まったが、
本当にこれからが勝負どころなのだ。


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