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月が綺麗だと幼い娘が言った。

私も同じく思った。

遠くに光っている。

月はただそこでひっそりと世界を照らす。

私はただその世界の一部の生き物としてその月を見ている。

暗くなると太陽光の力を借りて輝く月

昔からなんとなく月が好きだ。

月をぼんやり眺めながら、妙な言葉がこだまする。

「子どもさんを保育園に預けて、こんな大変な事してるんでしょう?自分のお子さんに目は向けるの?大変ね。なんか頑張り過ぎていて可哀想ね。偉いわ、凄いわ。」

私は仕事の傍ら、お子さん発達に悩む母親達とのサークル運営と外出が出来ない医療ケア児の親子サポートをボランティアで行っている。

その活動のサポートに来てくれた高齢の女性が熱心に先ほどのセリフを何回か繰り返した。

その言葉がニュアンスを変えて繰り返される度、私は自分の深いところにある不確かでありながら確かな信念にグサグサとナイフを突き刺されている感覚になった。

色々悩んできた。
別に凄いとか偉い事がしたくてここまで来たわけではない。

後先なんて考えてない。

ただ…
「放って置けなかった」というのが始まり。

私は基本、かなり非情な人間だし、すべての人を助けてあげたいとは思っていない。合わない人もいて、意見もぶつかるし、嫌になって距離を置きたくなる時もある。

初めての出産の時、私は緊急帝王切開となった。陣痛の度に呼吸が止まる息子…。あのままいけば、低酸素脳症となっていたかもしれない。しょっちゅう熱性けいれんを起こす娘も髄膜炎や脳症のリスクが高いから、障害を抱える事になってもおかしくない。

育児は思っていたよりも辛くて過酷だった。泣き叫んだり、自我を強く主張する子に、我を忘れて途方に暮れた。手を挙げた事もある。その度に手のひらに嫌な感触がずっと残った。そして、子どもと一緒に泣いた。

子どもがいる私にとって、状況は違えど、育児に苦しむ親子の問題は「他人事」じゃ無かった。

転職して障害児と接する仕事ついたが、周りの反応はどこか冷たかったし、理解に苦しむというような感じだった。

自分の家庭を顧みず、好き勝手やってるんだと思われたとしても、理解されなくとも、それは仕方が無い事だとわかっている。

しかし、「好きな事をする…」は許されないのだろうか。

「偉いわね、大変ね、凄いわね、可哀想ね」

正直、一番嫌いな言葉のオンパレードだ。

笑って流せばいいのに、揺らぐ私…。

選択したきたことに後悔は全く無いはずだ。
何が私を揺らがせるのだろう。

揺らぎもいつか、しなる竹のように強くなるだろうか。


月は闇を優しく照らす。

朝になれば光の影にだんだん消えていくが、ちゃんとそこにある。

私は、そんな風に生きていたいだけなんだ。

自分で決めた事をやり続ける事。

自分との戦いは始まったばかりだ。




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